(ユキヤナギ 早い開花です)
・紫の上は、
いまはしきりに出家したい、
というようになっていた。
(せめて五戒だけでも、
受けさせれば、
それが本復への力に、
なるかもしれぬ)
と源氏は考えて、
許してやった。
頭のいただきの髪を、
ほんの形だけ切って、
在家のままで、
五戒を守ることを誓い、
仏門に入ったしるしとする。
五戒というのは、
殺生、
偸盗、
邪淫、
妄語、
飲酒、
の五つのいましめ。
源氏は今は、
人目もかまわず、
紫の上にひたと付き添って、
涙を拭きつつ、
一緒に念仏をする。
五月ごろは長雨で、
うっとうしく、
紫の上は、
少しも快方に向かわない。
今も物の怪は折々現れ、
悲しげなことをいって、
去りやらぬ。
暑い夏の盛りは、
病人はいよいよ弱って、
息もたえだえであった。
「生きていてほしい・・・」
源氏は夜昼、
紫の上のそばを離れず、
祈るばかり。
あまりに深い愁嘆のため、
涙も出なかった。
紫の上は、
生死のあいだをさまよいながら、
源氏の悲嘆をいとおしく、
感じていた。
(わたくしは死んでも、
心残りはないけれど、
こんなに悲しんでいらっしゃるのを、
見捨てて逝くことは出来ない)
紫の上は、
少し気分のよいときは、
源氏に微笑んでみせる。
(大丈夫よ・・・)
というように。
自分が亡くなったら、
源氏がどんなに人生の張りを、
なくして崩れ落ちてしまうか、
彼女は病人の鋭い直感で、
見通すことができた。
すると源氏に対して抱く思いは、
いとおしさとかふびん、
というものになった。
(こんなに悲しい思いを、
させてはお気の毒。
一人残してわたくしが先に、
逝ってしまうなんて、
そんな無常な仕打ちはできない)
紫の上は
まるで幼な子を残して逝く、
母親のような気になる。
(元気になってさしあげないと)
と薬湯など飲むように、
務めている。
そのせいでか、
六月ごろになると、
時々は床に半身を起こすことも、
できるようになった。
源氏はそれが嬉しくて、
ならない。
そんな具合なので、
六條院の女三の宮のもとへ、
足を向ける気にもなれなかった。
女三の宮は、
悪夢のような柏木との一夜から、
思い乱れていられた。
お体の具合もよくなく、
お苦しそうであるが、
とりたてて、
御病気というのではない。
あれ以来、
お食事もすすまず、
たいそうやつれていられる。
柏木は、
恋しさに耐えかねる夜は、
いまも折々夢のように現れ、
宮に忍び逢う。
おのずと大胆になって、
人目を避けて、
宮と契りを重ねてゆく。
柏木は、
恋に目がくらんでいるので、
もはや冷静な判断力も、
麻痺してしまっている。
宮のほうは、
いつまでたっても、
(ひどいわ)
というお気持ちしかなかった。
源氏を恐れ、
怖がっていらっしゃるだけで、
とても青年の気持ちを、
汲み取るお心のゆとりは、
なかった。
宮にしてみれば、
幼いころから源氏に托され、
男性といえば、
源氏しかご存じないこととて、
すべての発想のよりどころは、
源氏である。
(どんなにお叱りを、
受けるだろう・・・)
とひたすらおどおどして、
いられる。
柏木の魅力に、
気付かれるどころではなく、
青年をただ、
無体な、心外な、
とばかり思っていられる。
それでいて、
青年を拒み、
しりぞけられる才覚も、
おありでなくて、
身を任せておしまいになる。
あわれなご宿世というべきは、
近くに仕える乳母たちが、
「ご懐妊されましたのでは?」
と気付いたことである。
「おめでたというのに、
源氏の院は一向、
お渡りもなく・・・」
何も知らぬ乳母たちは、
源氏を怨んでいる。
(次回へ)