折々のうま-当たらぬでもなし

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私達は不完全な世界に住んでいる

2011年05月13日 18時36分15秒 | 社会
 この世には二種類の人間がある。
 この世が不完全であるということを認識している人間と、
 予定調和の世界に生きる人間である。
 官僚などは予定調和の最たるものだが、東京電力の官僚のお株を奪う予定調和ぶり
には、ある意味感心した。
 マスコミの菅総理バッシングも見事としかいいようがない。
 小泉総理なら震災も原発事故も起こらないかのような書きぶりだ。
 現実には起こってしまったし、どれだけ対応が違うのかは疑問だ。
 菅総理の震災直後の原発視察が問題になっているが、そもそも爆発は起こりえない
と言ったものが責められないのは滑稽どころか、さすがは商業媒体、東電に広告を
売って、餬口を凌ぐ犬だけのことはある。
 これとよく似た主張は、尖閣諸島問題の時もあった。
 小沢幹事長なら中国にこんなことはさせないし、起こらないといった主張だ。
 中国の思惑で我が宰相が振り回されるとは、内政干渉も甚だしいと怒るべきところ
である。

 環世界(かんせかい、Umwelt)はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物
学の概念で環境世界とも訳される。
 すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として
行動しているという考えで、ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間も、動物主体
にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で
異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。
ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と
名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。(Wikipedia「環世界」より)

 曾野綾子氏の著作にもあるとおり、世界で停電のない国はまれであるという。
 水道が無く、毎日1時間以上水汲みに通う地域もある。
 我々はライフラインが確保されていることを既定のものとして生きてきた。
 私達は文明を謳歌しているつもりでいたが、実は人間本来の本能が衰え、
ライフライン完備の便利で快適ではあるが、偏った「環世界」でしか生きられなく
なってしまったのではないだろうか。
 被災地に思いを馳せ、寄付や節電を行ったり、貢献することは尊いことである。
 この際エネルギーと文明の問題に向き合い、積極的に問題提起したり、諸問題の
解決について思索していくことも貴重である。
 許されないのは、政府が機能すればすべて解決されると考え、政府に責任転嫁して
しまうことだ。
 私達が生きている世界は残酷なくらい不完全な世界である。
 何の落ち度もない児童が波にさらわれ、自らの身を賭して防災無線の放送を続け
た公務員が無残な姿で打ち上げられる。
 私達はこの不条理に打ち勝たなければならない。
 予定調和の主張に惑わされてはならない。
 政府をなじることはたやすいし、快感ですらあるが、この環境に安住していては
プランクトンやアメーバ以下の存在になる日も近いだろう。
コメント
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