沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

いつまでも変わらぬ会を

2025年02月13日 | どぅしぐわぁ

 沖縄も立春が過ぎ、一時期ほどの寒さはなくなりました。とはいっても、これからモドリビーサ、ワカリビーサが来るので、ジャケットを収納にしまうのはまだまだ先ですね。

 さて、今回のカテゴリーは久しぶりの「どぅしぐゎ」なのですが、余談から先に行きます。

 またしても海中道路を車で走ってきました(何回いくねん)。ということで写真を数枚アップします。いつまでも変わらぬ構図ですみません。

 完全に冬の海でした。

 冷たい金武湾を満喫するウィンドサーファーたちがいました。

 今年7回目の挑戦をする受験生にとって禁句の文言が書かれた黄色い注意板をまたも構図に入れてしまったことはご愛敬ということで。

 ランチは恒例の『海中茶屋』さんではなく、平安座漁港内にある海鮮食堂『味華(あじけー)さんにしました。初めてです。

 『海鮮丼の沖縄そばセット』(2,000円)です。あまりに寒かったので味噌汁では物足りず沖縄そばにするなど、かなり奮発しました~。

 海産物の宝石箱や~(久しぶりの8麻呂登場)。頭としっぽを取った海老もプッリプリでした。

 おいしゅうございました。ちょっと高値だけどボリュームもあるので、たまにはいいですね。店員さんの対応もアットホームな感じでよかったです。

 帰宅して体重計に乗ってみると、、、

 70㌔の世界いずこ! 

 このメタボおじさんはいつまでも同じことを言い続けるのでしょうね。。。3月最初のブログで70㌔台報告は実現できるのでしょうか。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 そんな海中道路ドライブで8郎の胸に鳴り響いていた平成の名曲をご紹介いたします。

 タイトルからすでに予測できたという方も多いと思いますが、8郎が敬愛するアーティスト織田哲郎氏が1992年に作詞・作曲を手掛け、自ら歌い上げた『いつまでも変わらぬ愛を』です。和製ジェニファー・コネリーこと一色紗英さんがブレイクしたポカリスエットのCMソングにも使われるなどミリオンセラーになりましたね。8郎もメルカリで中古CDを買ってしまいました(USB対応でない古い社用車で聴くためです)。

 

♪  週末の小さな冒険

 朝焼けが君を照らしてた

 裸足の二人の足跡

 白い波がすぐ消し去っても

 

 実はこの曲の発表当時、8郎はそれほど好きにはなれませんでした。理由は2つあります。これまでに何度も書いてきた通り、8郎の人生ナンバーワンPOPSが同氏作曲の『シーズン・イン・ザ・サン』であるからゆえに、どうしてもその比類なき完成度と比べてしまうというのがまず1つ。もう1つは、一色紗英さんのインパクトの強さから恋愛ソングとして評価が確立されてしまったことに対する個人的な違和感からです。小室哲哉に負けずミリオンセラーを続けるためとはいえ、こんなベタなラブソングを作ってしまったのかぁ、織田さんよぉと。音符も読めないおじさんの立場をわきまえない批評をお許しください(笑)。

 しかし30年の時を経て、とあるネット記事で、織田さん自身はラブソングとして作ったわけではなかったことが分かったのです。

 織田さんは若くして亡くなったお兄さんへのリスペクトとオマージュを柱に、そして一度引退しかけた作曲家としての自らの復活を期する情熱をこの曲に注入したのだそうです。「君に届けてあげたい」という歌詞は、天国のお兄さんと全国のファンに向けた言葉なのだそうです。何を届けたかったのかは、この曲を聴けばお分かりですよね。言葉で説明する必要などありません。

 それらが分かる貴重なインタビュー記事をリンクしておきます。

織田哲郎ロングインタビュー第13回|織田哲郎Project2007

 ついでにYoutubeもリンクしておきます。おじさんたちも決して、少女から大人の女性に変わりゆく一色紗英さんのまぶしさだけに目を奪われずに、織田氏が書き上げた詩の意味から永遠の兄弟愛を感じてください。白波に消し去られた砂上の足跡は、カップルなどではなく優しい兄と兄を尊敬する弟2人のものだったのです。幼い織田兄弟の純粋無垢な笑顔が浮かんで泣けてきます。

※余談ですが現在47歳の一色紗英さんは3児の母でロサンゼルス在住だそうです(山火事大丈夫だったのでしょうか)。自ら立ち上げたブランドを展開し、環境活動にも力を入れているのだそうです。はい、これもすべてネットから引用。

 いつまでも変わらぬネット情報頼りの当ブログをお許しください。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 さて本題です。中学校時代の友人だったツカピンが昨年末に亡くなったことはお伝えしました。ツカピンが創業した居酒屋自体は奥さんが引き継ぐ予定だったのですが、やはりいろいろ厳しかったのか、年度末で閉店するという寂しいニュースが届きました。2025年で一番さみしいニュースとなりました。

 8郎にとってこの店はただの居酒屋ではありませんでした。どぅしぐゎたーとの楽しい飲み会、常連さんたちとの出会いと交流、そしてわが社で2代続くクサレ人事権者がもたらすストレスを解消する場(笑)など、この10年間、サラリーマン8郎のアフターファイブに欠かせない空間、居場所でした。それが突如としてなくなる、とても寂しい思いでいっぱいです。でも時の流れには逆らえません。仕方のないことです。いつまでも変わらぬ居場所などありませんから。

 でも、ただ悲しむだけで終わりにしたくない、ということで、最後の思い出にすべく同じく亡き友であるヤスーンを慕うメンバーが集まったヤスーン会の飲み会を設定したのです。亀さん、森ドゥ、Tら~、ポン先生が集まってくれました。

 前日に51歳の仲間入りを果たしたという森ドゥにバースデーケーキをプレゼント。喜んでくれました。初老が初老を祝う、素晴らしいことではありませんか(老々介護といっても過言ではありません)。女将のM子さんからも「あんたたち、おじさんがおじさんの誕生日を祝うわけ?かわいいさぁ」とがんまりされました(笑)。

 いつも通りのくだらない会話の3時間でしたが、互いの安息を確認できた貴重な時間となりました。みんな元気でよかった。 

 この店ののれんは3月末までにもう一度必ずくぐります。 

 2次会を楽しんだあと、各人それぞれ分かれて3次会に。8郎は1人で別の2軒をはしごしました。とても楽しかったので、なんと帰宅は午前5時半!(もちろん翌日は休みですよ)。数年前に学童野球チームの父ちゃん会でやってしまった「10時間マラソン飲み」を再び達成してしまったのです!(怖)。

 下写真は1人4次会のBAR。ヤマトンチュのマスターさん(8郎と同い年)はいつも温かく迎え入れてくれます。カウンター席はほぼ満席でしたが8郎は空いていた中央に案内され、母娘で来ていた親子や、その親子に挟まれて座りながらも2人と全く関係がないという謎の男性、さらになんと8郎とN中学校の同級生だったという女性(互いに知りませんでした)と楽しく飲みました。同年生が頑張っている姿は8郎の励みになります。

 楽しかったぁ~。いい飲み屋って本当に大切ですよね~。これからも「しーぐゎ」を大切にしようと思った次第です。

 さて、ヤスーン会に話を戻します。ツカピンのお店も閉店してしまうのを機に、8郎もだらだら続けてきた幹事を今度こそ完全引退しようと思います(N居クンのようにやらかしたからではありません)。いつまでもだらだら続けることは決していいことではないと考えたからです。N高時代から続いてきたこの会で育んだ友情がいつまでも変わることがないことを願っています。

 みんな、集まってくれてありがとう。また飲まやー(誰か、幹事よろ!)。

 今回のタイトルに万感の思いを込めて、そして名曲のフレーズをお借りしながら、今日はこれにて。

 

震えるような憧れを

 いつか誰も忘れ去っていく

 

 懐かしいなんて言葉で

 いつかすべて語りつくしても

 

 陽ざしの中のその笑顔だけは

 変わらないで欲しい

 心からそう思う