沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

いつまでも変わらぬ会を

2025年02月13日 | どぅしぐわぁ

 沖縄も立春が過ぎ、一時期ほどの寒さはなくなりました。とはいっても、これからモドリビーサ、ワカリビーサが来るので、ジャケットを収納にしまうのはまだまだ先ですね。

 さて、今回のカテゴリーは久しぶりの「どぅしぐゎ」なのですが、余談から先に行きます。

 またしても海中道路を車で走ってきました(何回いくねん)。ということで写真を数枚アップします。いつまでも変わらぬ構図ですみません。

 完全に冬の海でした。

 冷たい金武湾を満喫するウィンドサーファーたちがいました。

 今年7回目の挑戦をする受験生にとって禁句の文言が書かれた黄色い注意板をまたも構図に入れてしまったことはご愛敬ということで。

 ランチは恒例の『海中茶屋』さんではなく、平安座漁港内にある海鮮食堂『味華(あじけー)さんにしました。初めてです。

 『海鮮丼の沖縄そばセット』(2,000円)です。あまりに寒かったので味噌汁では物足りず沖縄そばにするなど、かなり奮発しました~。

 海産物の宝石箱や~(久しぶりの8麻呂登場)。頭としっぽを取った海老もプッリプリでした。

 おいしゅうございました。ちょっと高値だけどボリュームもあるので、たまにはいいですね。店員さんの対応もアットホームな感じでよかったです。

 帰宅して体重計に乗ってみると、、、

 70㌔の世界いずこ! 

 このメタボおじさんはいつまでも同じことを言い続けるのでしょうね。。。3月最初のブログで70㌔台報告は実現できるのでしょうか。

 

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 そんな海中道路ドライブで8郎の胸に鳴り響いていた平成の名曲をご紹介いたします。

 タイトルからすでに予測できたという方も多いと思いますが、8郎が敬愛するアーティスト織田哲郎氏が1992年に作詞・作曲を手掛け、自ら歌い上げた『いつまでも変わらぬ愛を』です。和製ジェニファー・コネリーこと一色紗英さんがブレイクしたポカリスエットのCMソングにも使われるなどミリオンセラーになりましたね。8郎もメルカリで中古CDを買ってしまいました(USB対応でない古い社用車で聴くためです)。

 

♪  週末の小さな冒険

 朝焼けが君を照らしてた

 裸足の二人の足跡

 白い波がすぐ消し去っても

 

 実はこの曲の発表当時、8郎はそれほど好きにはなれませんでした。理由は2つあります。これまでに何度も書いてきた通り、8郎の人生ナンバーワンPOPSが同氏作曲の『シーズン・イン・ザ・サン』であるからゆえに、どうしてもその比類なき完成度と比べてしまうというのがまず1つ。もう1つは、一色紗英さんのインパクトの強さから恋愛ソングとして評価が確立されてしまったことに対する違和感からです。織田さん、小室哲哉に負けずミリオンセラーを続けるためとはいえ、こんなベタなラブソングを作ってしまったのかぁ、と。音符も読めないおじさんの批評をお許しください(笑)。

 しかし30年の時を経て、とあるネット記事で、織田さん自身はラブソングとして作ったわけではなかったことが判明したのです。

 織田さんは若くして亡くなったお兄さんへのリスペクトとオマージュを柱に、そして一度引退しかけた作曲家としての自らの復活を期する情熱をこの曲に注入したのだそうです。「君に届けてあげたい」という歌詞は、天国のお兄さんと全国のファンに向けた言葉なのだそうです。何を届けたかったのかは、この曲を聴けばお分かりですよね。言葉で説明する必要などありません。

 それらが分かる貴重なインタビュー記事をリンクしておきます。

織田哲郎ロングインタビュー第13回|織田哲郎Project2007

 Youtubeもリンクしておきます。おじさんたちも決して、少女から大人の女性に変わりゆく一色紗英さんのまぶしさだけに目を奪われずに、織田氏が書き上げた詩の意味から永遠の兄弟愛を感じてください。白波に消し去られた砂上の足跡は、カップルなどではなく優しい兄と兄を尊敬する弟2人のものだったのです。幼い織田兄弟の純粋無垢な笑顔が浮かんで泣けてきます。

※余談ですが現在47歳の一色紗英さんは3児の母でロサンゼルス在住だそうです(山火事大丈夫だったのでしょうか)。自ら立ち上げたブランドを展開し、環境活動にも力を入れているのだそうです。はい、これもすべてネットから引用。

 いつまでも変わらずネット情報頼りの当ブログをお許しください。

 

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 さて本題です。中学校時代の友人だったツカピンが昨年末に亡くなったことはお伝えしました。ツカピンが創業した居酒屋自体は奥さんが引き継ぐ予定だったのですが、やはりいろいろ厳しかったのか、年度末で閉店するという寂しいニュースが届きました。

 8郎にとってこの店はただの居酒屋ではありませんでした。どぅしぐゎたーとの楽しい飲み会、常連さんたちとの出会いと交流、そして2代続くクサレ人事権者がもたらすわが社でのストレス解消など、この10年間、サラリーマン8郎のアフターファイブに欠かせない空間、居場所でした。それが突如としてなくなる、とても寂しい思いでいっぱいです。でも時の流れには逆らえません。しかたのないことです。いつまでも変わらぬ居場所などありませんから。

 でも、ただ悲しむだけで終わりにしたくない、ということで、最後の思い出にすべく同じく亡き友であるヤスーンを慕うメンバーが集まったヤスーン会の飲み会を設定したのです。亀さん、森ドゥ、Tら~、ポン先生が集まってくれました。

 前日に52歳の仲間入りを果たしたという森ドゥにバースデーケーキをプレゼント。喜んでくれました。初老が初老を祝う、素晴らしいことではありませんか(老々介護といっても過言ではありません)。女将のM子さんからも「あんたたち、おじさんがおじさんの誕生日を祝うわけ?かわいいさぁ」とがんまりされました(笑)。

 いつも通りのくだらない会話の3時間でしたが、互いの安息を確認できた貴重な時間となりました。 

 この店ののれんは3月末までにもう一度必ずくぐります。 

 2次会を楽しんだあと、各人それぞれ分かれて3次会に。8郎は1人で別の2軒をはしごしました。とても楽しかったので、なんと帰宅は午前5時半!(もちろん翌日は休みですよ)。数年前に学童野球チームの父ちゃん会でやってしまった「10時間飲み」を再び達成してしまったのです!(怖)。

 下写真は1人4次会のBAR。ヤマトンチュのマスターMさん(8郎と同い年)はいつも温かく迎え入れてくれます。カウンター席はほぼ満席で、8郎も母娘で来ていた2人や、その2人に挟まれて座りながらも2人と全く関係がないという謎の男性、さらになんと8郎とN中学校の同級生だったという女性と楽しく飲みました。同年生が頑張っている姿は8郎の励みになります。

 楽しかったぁ~。いい飲み屋って本当に大切ですよね~。

 さて、ヤスーン会に話を戻します。ツカピンのお店も閉店してしまうのを機に、8郎もだらだら続けてきた幹事を今度こそ引退しようと思います。いつまでもだらだら続けることは決していいことではありませんので。N高時代から続いてきたこの会で育んだ友情がいつまでも変わることがないよう願っています。

 みんな、集まってくれてありがとう。また飲まやー。誰か、幹事よろ!

 今回のタイトルに万感の願いを込めて、今日はこれにて。

 

震えるような憧れを

 いつか誰も忘れ去っていく

 

 懐かしいなんて言葉で

 いつかすべて語りつくしても

 

 陽ざしの中のその笑顔だけは

 変わらないで欲しい

 心からそう思う

 


三日月に捧ぐ忘年会

2024年12月09日 | どぅしぐわぁ

【お悔やみ】冒頭から訃報ですいません。8郎の中学校時代のクラスメートで、行きつけの居酒屋の店主だったツカピンが先月亡くなりました。脳梗塞で倒れてから闘病生活を続けていましたが、病魔に勝つことはできませんでした。復帰を信じていた常連さんたちも悲しんでいます。告別式ではご家庭での光景がスライドで流されていました。そこには店と変わらぬ笑顔を見せていたツカピンがいました。家族から愛されていたんだなと感じました。ご冥福をお祈りいたします。

 お店は妻のM子さんが再開するとのことでした。常連の一人として安堵しました。廃業してしまってはツカピン、M子さんを軸にした交流関係も断ち切れてしまいそうだからです。それはツカピンの創業の思いとも違うはずだからです。

 8郎もお店の営業再開に一日でも早く貢献したいと考えていましたが、現在勤務地が沖縄市の8郎。なかなか那覇市内で飲む機会がありません。しかし、そこでふと思い出したのです。8郎が幹事役を引退したヤスーン会の忘年会を開けばいいではないかと。天国のいちどぅしヤスーンも、そしてツカピンも喜んでくれるのではないかと思ったのです。ヤスーン会メンバーにLINEで呼び掛けたところ、賛同意見が挙がったので急遽実行しました。どぅしぐゎたぁの協力はいくつになってもありがたいですね。

 下写真は仕事から帰る途中の夜空。三日月北極星がくっきり見えました。沖縄もようやく冬の空になってきました。透き通っていて気持ちいいです。

 帰路の車中でも仕事のストレスをうまく消化できないおじさんの耳に、2006年リリース、絢香さんの名曲『三日月』のフレーズがラジオから聞こえてきました。

 

 ♪ がんばっているからねって

  強くなるからねって

  君も見ているだろう

  この消えそうな三日月

 

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 いったん余談に入ります。中学2年生の愛息10郎が修学旅行に行ってきました。福岡、長崎、熊本の2泊3日です。両親のために長崎のチョコレートカステラをお土産に買ってきてくれました。おいしゅうございました。ちなみに1泊は先月の九州大会@長崎で宿泊した旅館風ホテルだったようです(笑)。

 修学旅行は小学校のみだった8郎にとってうらやしましい限りです。8郎の分まで学生生活をエンジョイしてほしいと思っています。

 おいしゅうございましたシリーズです。たまに仕事で使う北中城村の『悠愉樹庵(ゆうゆじゅあん)さんのソーキそばです。とてもおいしゅうございました。あふれんばかりの豚ソーキにくわえ、麺が8郎大好きの照喜名麺でした。この店は沖縄庶民料理の神髄をお持ちのようです。ぜひご利用ください。

 次のセリフを何度でも言わざるを得ない悲しいおじさんです。

 70㌔台の世界、いずこ!

 

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 本題に戻ります。ということで、亡きツカピンの店でヤスーン忘年会を開きました。幹事を引退した8郎ですが、上記の理由によりスクランブル登板を買って出たのです。M子さんもさすがに疲れた表情でしたが、スタッフさんともども、おじさん4人を温かく迎えていただきました。ヤスーン会は旧盆飲み会があったのですが(ポン先生が幹事をしてくれました)、8郎は会社行事で参加できませんでした。なので、メンバーとは1年ぶりの再会だったかもしれません。8郎含む4人が参加(下写真は亀さん自撮り撮影)。

 一番遅れてやってきたTら~が先着の3人を見るなり「ハゲしかいないあらに!」とうなだれたように(笑)、3人ともリアルなハゲでした。そういうTら~(写真左)もライトの直射に照らされると生え際が薄くなってきたように見えるなぁ(8郎は全反射ですが)。。。N高時代はふっさふさだったのに。時の流れは速い。。。

 今振り返っても何を話したかほとんど覚えていませんが、楽しかったことだけは記憶にあります(長渕信奉者のTら~が「トイレの神様」を信じ始めた、というニュースは衝撃でした)。8郎は仕事の別件があったので2次会に行けなかったのですが、3人はその後ミュージックバーまで行き、森ドゥのギター生演奏を堪能したようです。楽しかった様子が翌日LINEで送られてきました。

 上写真はハゲオヤジ4人(Tら~、ごめん、含めてしまった)の加齢臭ただよう暑苦しい写真かもですが、8郎にとっては、51歳どぅしぐゎたぁが元気で頑張っていることを確認できた大事な1枚となりました。自分を成長させるために何か新しいことに挑戦する、それはいくつになっても大事なことです。

 みんな、健康に気を付けて、そして今年もよいお年を!

 以上、幹事引退おじさんのスクランブル登板による忘年会でした。

 早世した2人が今を生きる大切さを教えてくれました。冬空の三日月に座っているかもしれないヤスーン、そしてツカピンがこの忘年会を喜んでくれたことを祈って、今日はこれにて。


四半世紀ぶりの乾杯

2023年05月04日 | どぅしぐわぁ

 2023年の大型連休も後半に入りました。天気は快晴です。旅行やレジャーされている方々には最高の連休日和が続いています。

 夜も満月。一年で一番過ごしやすい時期です。

 おまけに先日の座間味での一枚も載せておきます。グンバイヒルガオです。ほんと、プライベートで行きてー。

 さて大型連休の初日の土曜日、8郎は出勤だったのですが(離島出張帰りなのに酷!)、その夜はR大学の同期生との飲み会がありました。今日のお話はそれになります。8郎と職場が近いK兄を中心に2,3人でたまには飲もうやという話から拡大しました。自然発生的に8郎が幹事となりました。

 K兄をはじめ、5人が参加してくれました。学科の同期生は20人ちょいだった記憶があるので、参加率は3割程度ですが、急な呼び掛け、ましてや大型連休の初日だったことを考えると、よく集まったと思います。これもK兄の人徳ですね。ところで8郎は初めて知ったのですが、1998年3月の卒業以来、一度も同期で集まったことがないそうです(仲悪かったのか?笑)。ということで卒業以来25年ぶりの飲み会と相成りました。

 場所は那覇市の『火人粋(ひといき)。お値段がちょっと高めだけどいい雰囲気のお店でした。この店には8郎の小学校時代の友達はてこうが料理人として働いています。完全個室の予約等でお世話になりました。ありがとー。

 偏差値的には国立大学で〝最安易〟(泣)とさえ評される我らがR大学(8郎は2浪しましたが…)。しかし、戦後の沖縄を支える人材育成のために70数年前に設立された誇り高き大学であることは間違いありません。なにしろ琉球・沖縄の歴史で初めての県内大学なのです。「内地に追いつき追い越せ」という県民の付託を大いに受けていることは間違いありません。その証拠にこれまでに輩出した沖縄県知事はなんと、、、あ、まだいないようです(笑)。冗談はともかく、卒業生はみな、沖縄のかじ取りを担うところで頑張っていますよ。

 同窓生との四半世紀ぶりの乾杯はとても楽しいものでした。お互いにいい大人になった感もあり、それもまた時の流れを感じさせてくれていいものでした。同時に8郎は経済的に苦しかった当時を思い出したりもしました。大学4年間、学費自体は父が支払ったのですが(8郎の奨学金もありましたが)、それ以外のテキスト代、交通費、車のローン、ましてや遊興費など援助は一切ありません。8郎は受業が終わると同時に、家庭教師を複数こなすという毎日でした。5件掛け持ちという時期もありました(今でもよくやったと思います)。周囲の同期生たちは育ちがいいのか、バイトをせずに飲み会やサークルに全力投球できる友人ばかりのように見え(実際のところは分かりません)、ひねくれもの8郎は2浪だったこともあって、交流から遠ざかっていきました。「俺だけ就職も決まらないまま卒業した」というコンプレックスもどこかにありました。

 しかし、いざ卒業して就職すると、いろんな場面でR大同期生と出会うのです。最終学歴が同じだと進む道もだいたい似たようなものになるのでしょうね。そのころから最年長のK兄を中心に交流が再開しました(コンパもたくさんしました♥)。ところが、ここ10年ほどは再び連絡が取れないままになっていました。みんな、仕事や子育て等で一生懸命だったからです。四半世紀を経てみなアラフィフになり、一定の余裕ができてきた?ことから、今回の機会が生まれたようです。去年たまたま仕事で遭遇したこともあるこういちが「もっと呼び掛けよう」とLINEグループを作ってくれました。

 大学同期というのは、大人になってからの4年間の付き合いなので、小中高生の友達ほど「同じ釜で飯食った仲」とまでは言えませんが、出会いが大人だっただけに何も言わなくてもお互いに分かりあえる関係を築けた、という良所もあります。これからも付き合いは増えそうです。

 ところで、若い時にFP(難関資格)を取得している銀行勤めのK兄は、最近も8郎同様に宅建士を取得したそうです。自己研鑽の姿勢、素晴らしいですね! お互い切磋琢磨していける盟友だと思っています。

 とても楽しかったです。1次会で終わるつもりが、結局3次会まで行ってしまい、翌日は数年ぶりの二日酔いで午前中は起き上がることができませんでした。今後も1年に一度あるかどうかの集まりだとは思いますが、それでも地道に続けていき、お互いの成長、努力、立ち位置を確認できればいいですね。

 頑張ろうぜ、R大同期メンバー!

 自分のために、家族のために、そして沖縄のために。

 

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  最後においしゅうございましたシリーズです。那覇市内の油そば専門店「油麺 ABUMEN」さんで食べた油麺です。「あぶじろう」という名前が付いていました。ぜひ「あぶはちろう」まで進化させてほしいものです。おいしゅうございました。ちょっともやしが多く、濃厚辛口のだしが薄まった感が強かったのですが、油を使っているわりに胃もたれも特にありませんでした。機会あればまたのれんをくぐりたいと思います。

 さぁ、大型連休ももう後半です。8郎はどこにも遊びに行っていません(泣)! 家事と勉強そして、宅シネマで乗り切っています(筋トレもやらなきゃなぁ)。連休後半には過去問模試に挑戦し、その結果を踏まえて最後の戦略を立てる予定です。その旨ブログで報告する予定です。

 R大生の名にかけて今年こそ合格します!


悩み抜く2月末

2023年02月27日 | どぅしぐわぁ

 2月もそろそろ終わります。早いですね。2月最後の記事はネタが分散しており、何から伝えようか、次回に持ち越そうか迷いどころですが、2月で締めたいネタだらけなので要点を絞って、まとめて報告いたします。

 

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 まずは本題に入る前に、2月はサラリーマンにとって人事の季節、8郎自身について報告です。

 現部署への残留が決まりました。とてもほっとしています。実は以前に信頼できる情報筋から「(8郎が)かつて希望していた部署への配置で進んでいる」という前情報が入っていました。情報の真偽はともかく、それを知ったとき正直困りました。希望していたのはすでに過去の話。ここ数年は異動希望すら出していません。何度も書いていますが、慣れた今の部署から当面動きたくないのです。新しい仕事を覚える余裕は今の8郎にはありません。この不透明な流れは、誰かが個人的嗜好で人事をいじくったということなんでしょう(そしてそのまま海外旅行に逃亡するのは毎年恒例)。結果、8郎個人にとってはいい結果となったのでどうでもいいんですけどね。

 また、誰かの「超お気に入り」(人事権者周辺談)とされる若手社員が、ありえないほどのスピードで昇進を重ねているようです。「女性活躍」が理由だとか。長年頑張っている女性はほかにも数十人いるのですが。。。〝抜擢〟された本人も本意でなければ、やりにくいでしょう。

 毎年この時期に虚無的に壁に掲示される人事異動表を見るたびに(自分の立ち位置以外に興味がないので詳細まで見ませんが。笑)、この会社の行く末を憂い、悩める49歳です。本業のもうけである「営業利益」は実質3期連続赤字です。普通なら銀行が「斜陽企業」と判定してお金を貸さなくなり、上場会社なら経営陣は責任を問われ刷新を求められます。ところがうちの株主総会(ほぼ社員)では、笑顔と拍手で役員継続を承認します(その後役員室では拍手をした社員を集めての打ち上げもあるようです)。誰がこんな会社にしたのでしょうか。人事権者だけではできません。周辺の犬たちにも大きな責任があります。

 今8郎にできることは数年後を見据えて日々を大切に過ごすだけです。自分の人生は自分でつかみたいと思います。

 

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 さて! 本題に入ります。

 小学校からのどぅしぐわぁーである森ドゥが出演するギターライブを観てきました。会場は那覇市のイタリアンレストラン&ライブハウス「GALA」。日曜夜にもかかわらずTら~が付き合ってくれました。去年の忘年会以来ですが元気そうでした。どぅしぐゎの元気な姿を見ると自分も元気になってくるから不思議です(笑)。

 安達久美さんという著名女性ギタリストがメーンのステージでした(同情するなら金をくれの方ではありません)。われらが森ドゥは時折安達さんから主役を奪うなど、タイマンはってのハイパフォーマンスを見せてくれました。かっちょよかったです。観客も家族連れや高齢の方々も多いなどファミリーなノリでした。

 休憩時間に森ドゥが8郎らの2階席まで来てくれたのでスリーショット撮影。みんな、髪はなくなり(8郎だけか)、しわが増え、頬と顎のラインはたるみ、完全に人生の途上で疲れ切ったアラフィフおじさんです(笑)。でも、みんな自分を信じて一生懸命生きています。どぅしぐわぁーの活動を応援できることは幸せで素晴らしいことだと思いました。これからも頑張ろうぜ!

 ちなみにその日、実は体調不良だった8郎。日曜夜だったこともあって当初行かないつもりだったのですが、たまたま出勤だった(!)ことと、ライブ会場が会社から近かった(!)ことが、後押ししました。運命を感じましたね(笑)。でも体調不良もあって2本頼んだ瓶ビールの味をあまり感じませんでしたぁ。帰宅後も鼻水と頭痛、喉痛にうなされる始末。地声はハスキーボイスのプロレスラーの本間朋晃さん(下記参照)並みにガラガラとなっています。ずっと平熱なのでコロナやインフルではないと思いますが、同席した2人(特にTら~)に影響がないことを祈っております。他力本願ですいません。その夜も、今も平熱ですから多分大丈夫!

 体調がよければ最後まで楽しんだのですが、Tら~と相談し、後半開始早々に会場をあとにしました。森ドゥ、すまそ! メシもおいしくいい会場でした。会場のサイトをご参考までに貼っておきます。あとひまつぶしの動画1本も(見なくて結構)。

Italian restaurant & Live house Gala-那覇市松山のライブステージ×イタリアンレストラン-

 

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 悩み抜いた末に、ついに愛車エクストレイルを廃車しました。妻が中古車業者に売却してきました。売値は10万円(泣)。営業マンはオイル漏れがあることを知るとがっくりし、「オイル漏れさえしてなければ売値80万円行けたかもしれないです」と悔しがっていたそうです(われらがT-31は超が付く人気車種ですから)。とはいえ、こちらもたかが10万円で売っていいのかどうか、ぎりぎりまで迷いました。でも、時間がなかったのです(車検切れ当日ですから)。泣く泣く妻にLINEで売却を指示しました。先代カペラワゴンの衝撃の0円に比べれば頑張り切ったかな。。。

 妻から「最後にいっぱいなでなでした」とのコメントと写真が届きました。通勤に使っていた妻は8郎の倍以上、運転席に乗っていたわけですからね。家族みんな、さみしい思いでいっぱいです。

 さようなら、そして、ありがとう、エクストレイル! 

 君と一緒に走り抜けた11年間は、8郎家にとって一生忘れられない最高の11年間でした。

 

 当面マンスリー契約で軽自動車を借りることになっています。マイカーがなければ生活できませんので。

 同時並行で新車も検討しようと、先日、市内のトヨタさんに足を運んできました。購入する場合は次はトヨタさんに決めていますので。唯一試乗したのはいわゆる〝元祖高級SUV〟ことハリアーです。唯一無二の愛車だったエクストレイルを超える性能と感動を与えてくれる一台があるとすれば、これしかない!と妻とも思いを共有していたからです(もちろんランクルにはかないませんが・・・)。ハリアーと言っても8郎が指定したのはSグレード、いわゆる廉価版です。フルオプションの最上級グレードは500万円くらいするそうです(驚)。買えるかっ! 〝廉価版〟だろうがハリアーはハリアー。かっこいいです。

 前席は運転席と助手席を分ける分離型。分離帯に当たるギア周りは「馬の鞍」をイメージしているそうです。かっちょよすぎて、おじさん声も出ません。ただしハンドルはトヨタの汎用タイプみたいです。

 8郎家にとって後席は非常に重要です。名護のじいじ、ばあばを載せて5人でドライブに行くことがこれからも想定されるからです。愛息10郎が年々大きくなっているので、窮屈さを感じてほしくないのです。試乗してみると、ドアからの乗りやすさ、座り心地は最高でした。完全にエクストレイルを上回っていますね。

 荷室も広いです。思い起こせば11年前、エクストレイルを買う前に全SUVのカタログを広げ、比較表を作ったところ、エクストレイルは8郎家の「希望に応える度」95点だったのですが、実はハリアーが同98点と唯一エクストレイルを上回りトップに立っていたのです。もちろん当時は高級志向より頑健志向を選んだのですが。荷室はほぼフラットにすると最長190㌢もあるようです。ゴルフバッグも似合いそうです(ゴルフなどしている余裕はありませんが)。車内高ではエクストレイルに分がありますので、荷室の機能はどっこいどっこいでしょうか。

 公道に出て10分ほど試乗しました。エクストレイルと同じくガソリン2000ccなので、パワーは変わらないのですが、静粛性は格段にハリアーが上でしたね。後席はさらにいいようです。エクストレイルの後席は雨が降るとトタン屋根のようにバチバチ音が鳴り響いたものです(笑)。今となってはいい思い出です。

 途中で駐車し、横からの眺めを撮影。ボックス型のエクストレイルとは違ったハリアーの流線形がこれまたかっちょよすぎます。流線形はあまり好きでない8郎ですが、ハリアーだけは別格だと思っています。カーデザイナーさんのまとめあげるセンスに拍手!

 

 ヒップもかっけ~。Sグレードでリアスポイラーが2本も出ているのはハリアーだけというネット情報もありました(真偽不明)。

 感想はというと、よかったです。エクストレイル「どこにでも連れて行ってくれる無骨で頑健な弟」だったとすれば、ハリアー「どこにいても自慢できる容姿端麗の最強姉御」的な印象を受けました。デザイナーさんは、この美しい流線形について「都会を颯爽と歩くキャリアウーマン」をイメージしたのかなと勝手に考えたりもしています。

 しかし、若い女性営業さんが出した見積もりを見てびっくり。300万円をはるかに超え400万円に近い金額です! 8郎家のギリギリ予算「300万円以内」に門前払いを突きつけるような金額です。何度も言いますが、グレードは一番下の「廉価版」(Sグレード)ですよ! 

※ちなみにこのSグレードの登場によって「ハリアーはもはや高級車ではない」と決別するセレブなカーマニアも多いのだとか。ほっとけ!

 半導体不足などの影響もあり、今購入しても納期は早くても8月だそうです。あと半年間待たねばならないのです。しかし、だからこそ買うなら早めに決断しなければなりません。ほかにはカローラツーリングも選択肢に入れてはいるのですが、後席がイマイチなんですなぁ。。。でもハリアーの見積もり額より少ない額で、フルオプションを付けることができます。

 ハリアーを買うのか買わないのか、いやそもそも買えるのか。今、一番悩んでいるのがこれです。

 

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 さて、最後に愛息10郎の学童野球です。楽しかった4年間の学童野球シーズンのエンディングとなる「第14回美●島選抜大会」があと1週間後に迫りました。メンバーとしての練習は終え、本番を待つのみです。正直なところ、10郎のスタメン入りは厳しい状況が続いています。もちろん、親から見ても沖縄学童野球界きっての二刀流であることは疑う余地もないことであり(親ばか御免)、堂々と4番に座る実力はあるのですが、問題はポジションなのです。エースの座でライバルのM君に遅れを取っています。最後の練習試合でも下級生相手に2四球を出してしまい、降板を命じられています。

 つまり先発ピッチャーの座をライバルに取られてしまったのであれば、二番手か三番手の登板を期待されるため、ベンチスタートとなる可能性が高いのです。10郎はキャッチャーもファーストも外野もこなせるのですが、そのポジションには他チームで専門張っていた子がいるのですよ。自慢の打撃を売りに、その子たちからポジションを奪わない限り、スタメンは厳しいかもです。

 去年の今頃から取り組んだ「ショートアーム投法」で効果を出していたのに、自チームの監督、コーチ陣に「ショートアームじゃなければもっと速い球投げられるよ」と修正されたようで、ここに来て、かつての勢いが失せています。悔しい限りです。昭和野球の理論には一理あるのですが、父から見て息子のカラダに合っているとは思えないのです。残り1週間でショートアームに戻すか、そもそも戻せるのか。。。

 下写真は選抜チーム最後の練習での弁当タイム。妻がLINEで送ってくれました。もう中学生、ではありません、まだ小学生なんです。弁当をむしゃむしゃ食べる姿はまだまだかわいいもんです。

 フォーム回帰or現状維持に関しては、本人に決断を下してほしいと思います。自分が選んだ手段で結果を見せてほしいからです。とはいえ、もう中学生、ではありません。まだ小学生なんです(何回言う?)。最後の重要な大会だけに、ここは親が責任をもって強引にでも最善の方法へと導くべきではないのか。。。悩んでいます。

 どちらにしろ、選抜大会まで残り数日です。監督の頭の中ではスタメンは決まっているはずです。なので、あとはやるだけなんです。10郎には常々言っています。「たとえスタメンでなくても、チームは必ずお前の力を頼ることになる。その時のためにできること、素振り、タオルピッチングを誰よりもしておくんだ」と。その準備する努力こそが、父8郎が野球を通して息子に伝えたいことなのですから。下写真は10郎の努力を伝える一枚。地道に続けている自重筋トレで、12歳とは思えないバッキバキの肉体美になっていました!(驚&爆)

 こう見えても〝まだ小学生〟である10郎最後の大会の様子は、来週半ばまでには報告いたします。皆様の応援もよろしくお願いいたします。決戦にそなえ、親ばか御免でグローブ3つを磨きました。痛んできたグローブをケアしているうちに、いろいろな思い出が蘇ってきました。万感の思いで「父ちゃんが磨くのは今日で最後だぞ」と10郎に伝えたところ、Tiktokを見ながら「ほい」と軽い返事が返ってきました(笑)。

 はい。恒例ながら行かせていただきます。

 

 チバリヨー! 10郎。

 出すぞ、120㌔の剛速球! 

 バチミカセ!100㍍の大ホームラン。

 

【後記】以上のもろもろの事案について、2月ぎりぎりまで悩み切ろうと思います。頭と体の節々が痛いので今日はもう寝ます。


2022年 7人の再会

2022年06月29日 | どぅしぐわぁ

 2022年の梅雨が明けました。すでに猛暑日が続いています。出勤時に撮影。午前9時でこの日の高さですよ!

 暑いのなんのって!

 さて、本題に入ります。

 愛息10郎が所属する学童野球チームが本土での大会出場権を得たということはこれまでにお伝えてしてきたところです。沖縄ではこういう場合、「資金造成」と言って、旅費のために資金集めをすることが恒例となっています。最近ではデメリットも指摘されているようですが、離島の文化として今後もしばらくは残ると思います。

 ということで、8郎も職場や友人・知人に呼び掛けております(多くの方にご協力いただき、誠に感謝しております)。その中で、2008年になくなったいちどぅしヤスーンを慕うN高同級生が集うヤスーン会にもよびかけたところ、「どうせなら久々に集まろうぜ」となったのです。そうです、8郎のマルチ商法的勧誘に全員がひっかかった・・・訂正、8郎の友情あふれる呼びかけにみなが快く応じてくれたのです! 

 

 会での最大の喜びは、3年ぶりに砂吉(下写真中央)が参加したことです! みんなが「本当に生きていたんだな!」(笑)と喜びました。来てくれてありがとう。唯一同じ中学校出身のヤスーンが一番喜んでいたはずだよ。

 そして、この日の2日前に誕生日だった、みんなのアイドル亀さんを祝いました。進んだ道は違えど同じ島で同じ年数を生きてきた仲間たち、それが「どぅしぐゎー」です。亀さん、49歳の世界へようこそ! これからも元気でヤスーン会の中心で僕たちを盛り上げてください。改めてお誕生日おめでとうございます。今後はより太りすぎ注意でお願いいたします。お店のママことM子さんにプレゼントを手配していただきました。ありがとうございます。

 2次会は、Tら~がフェイスブックで見つけたという那覇市東町の大衆カラオケ酒場『ネオ』に移動。グランドオープン前ということで良心的な価格でした。音響機器はいろいろ壊れていたみたい(笑)だけど、楽しめました。数年ぶりに(10数年ぶり?)にポン先生の十八番『大きな玉ねぎの下で』を聴かせてもらいました。いつ聞いても名曲だ~。

 美人ママさん👩にスマホ撮影してもらいました(下写真)。6人しか写っていないように見えますが、笑顔のヤスーンも確かに写っています。8郎ら6人にはハッキリ見えますよ! 3年ぶり、7人の再会です! 

(注)けっしてマルチ商法に成功した半グレ主催の打ち上げではありません。

 ただ、森ドゥのギターが聴けなかったのが残念無念! ギターやアンプが壊れていたみたい。美人ママさん、次回までには直しておいてね。 

 3次会は、森ドゥ推薦のヘビーメタルバー『Dr.FEELGOOD』💀🐍へと。一番喜ぶはずのロックマニア亀さんは、すでに酩酊状態! 8郎も初見のマスターさん(本土からの移住者)とかなり話した記憶はあるのですが、何を話したのかは一切憶えていません(笑)。最近、めっぽう酒に弱くなったという砂吉亀さんは入店直後からソファでいきなりスイッチOFF。金払った意味あるのか~(笑)。亀さんに至っては五分刈りにした頭頂部を誇らしげに見せつけるかのように(こうべ)を垂れる稲穂かな状態です(礼儀正しいですね)。2人とも、もはや介護施設の老人! 帰りがてらオヤジ狩りに合わなかったか心配です。

 記憶がほとんどない3次会でしたが、楽しかったことだけは覚えています。ここで深夜1時半を過ぎ、解散することになりました。グソー(方言で「あの世」)に戻るヤスーンを朝帰りさせたくないので。

 別れ際、Tら~が8郎に何やら封筒を差し出しました。「これ取っとけ」。なんと資金造成の個人的な追加らしいです! 封の中に諭吉さんが見えたので、相応の商品券を渡そうとすると「いらん」と受け取りません。

 8郎は行きつけのBARで1人4次会(もちろん1杯だけ。って早く帰れ!)を済ませて帰宅。自分の勉強机でふらふらしながら封筒を確認すると、Tら~から愛息10郎あてにこのようなメッセージが書いてあるではありませんか!(笑)。

 8郎は息子に自分のような男になってほしいとは思いませんが(笑)、自分のように友達に恵まれてほしいと思います。同じ時を過ごした学校を卒業してから30年たってもこうやって集まり、支えあう友達を、ひねくれ者だった父以上につくってほしいと願っています。

 Tら~、本当にありがとう。この封筒と一緒に、「いらん」と言われた商品券もそのまま保管しているよ。商品券に使用期限はないので、使わないんだったら今度、彼女、母ちゃんや姉弟に譲ってくれ。次の飲み会で絶対に渡します。

 

 以上、友情と老化を大いに感じたマルチ商法、訂正、飲み会でした。永遠に35歳のヤスーンは笑ってくれたかな。きっと大爆笑してくれたに違いありません。

 ヤスーンの幹事を引退した8郎(マルチ商法時除く)ですが、これからも7人の再会が続いていくことを心より祈っています。次はだれが幹事かな。楽しみです。

 みんな、本当にありがとー! 

 また集まろう。

【後記】初老御免で、これだけは言わせてくれ。健康第一!(笑)


12年目の「終わり」

2020年12月15日 | どぅしぐわぁ

 2008年に亡くなったいちどぅし(親友)ヤスーンを慕う仲間たちが12年間毎年続けてきた供養を兼ねた忘年会を先日、終えてきました。

 残念ながら2人が欠席となりました。森ドゥ、亀さん、ポン先生が参加してくれました(もちろん皆マスク着用です)。最後は絶対「7人勢ぞろい」を期待していた幹事としてはとても寂しい限りです。幹事の求心力のなさもあるでしょうが、これも12年という時が流れた証。誰だって逆らうことはできません。

 もちろん、たとえ4人でも、心優しいヤスーンは喜んでくれたことでしょう。きっとね。

 1次会はちょっと高めの居酒屋。日本酒、焼酎、ビールが飲み放題だったので、まんちゃー酔いしてしまいました。その日は朝7時から愛息10郎の野球大会の設営等で体力を消耗していた47歳だけに酔いが回るの早かったっす。

 写真は2次会。亀さん御用達のミュージックBARです。みんな、すっかりおじさんですが心はN高生のままでした。6時間超、何を話したかも覚えてませんが、ただ普通に楽しいひとときでした。どぅしぐわぁと久しぶりに飲む酒はうまいに決まってるって! な、ヤスーン。

 まるで鑑定人のようにレコードを丹念にチェックする亀さんを横からパチリ。いいお店に案内してくれてありがとう。このおじさんほど、ヤスーン会を縁の下から支えてくれた人はいない、と今さらながら感謝しています。その感謝の気持ちを動画に託したつもりです(ふざけすぎたかも。でも怒らんで~)。みんなに愛されているよ、亀さん。でも、楽しいからと言って、あまり飲みすぎないように! そのうちぼったくられるよ(笑)

 楽しかった宴もさすがに午前1時過ぎに解散。しどろもどろの亀さんをタクシ―に乗せ、日本酒に負けたポン先生、家路が一番遠い森ドゥに別れを告げると8郎は一人、行きつけのBARで3次会へ。なぜか一人で打ち上げたかったからです。4人でとても楽しかったのに、なんでかな~。自分でもよく分かりません(笑) 最後はヤスーンを独り占めしたかったのかな。もしかするとほかの3人もそうだったのかもしれませんね。もちろん8郎もぐでんぐでんだったので1杯で終わりましたが。翌日のきつさったらありません。20代に戻りたい!

 

 言葉では言い表せない感情が押し寄せる12年目の師走ももう半ば。8郎たちは、また年を重ねます。年を重ねるにつれて、重みを増している言葉が個人的にあります。それは、始まりがあれば終わりがある、です。当たり前のことを言っているようですが、とても大事な考えだと思います。そういう視点で物事を見なければ、今を大事にすることができない、と思っているからです。終わりはいつか必ず来るという緊張感があるからこそ、人間は一生懸命生き、美しい物事は美しくあり続けるのです。ダラダラと続けていては、中身もきっとダラダラとなってしまうでしょう。人生もまさにそうです。50の大台が見えてきた8郎はそう痛感しています。話がちょっと脱線しましたね。

 

 そういった思いと、12年も付き合ってくれたヤスーンをもう成仏させてあげなければ、というもう一つの思いが導いた最後の忘年会が終わったのです。それが何の余興もないただの飲み会に終始したのは、幹事の力不足以外なにものでもありません。すまそ!

 ヤスーンとの最後の男旅を記録した動画を、さみしくなった時に酒のつまみにでもしてくれたら、編集者としてこんなにうれしいことはありません。人間っていつか忘れる生き物ですからね。カタチにしておくのは、みんなにお世話になった8郎に課せられた任務でした。

 

 あらためて、ヤスーン、そして5人の仲間たちへ。

 

 12年間、いや30年間だね、本当にありがとう!

 

 これからも最高のどぅしぐゎでいてくれ。

 

 今回はそれだけのお話でした。

 アントキの7人の友情に乾杯。

 


12年分の感謝のカタチ

2020年11月15日 | どぅしぐわぁ

 お久しぶりです。まだまだ25度以上の夏日が続く沖縄です。

 下写真と関連する本題に入る前に、これまでの8郎家の日常をお届けいたします。

 来週末3連休に少年野球Cクラス(4年生以下)の大会を控えた愛息10郎たっての希望で、親子ピッチング練習をしてきました。その日は野球の練習も休みだったからです。沖縄市泡瀬の県総合運動公園まで初めて足を延ばしました。

 いろいろフォームを確認しながら70球ほど投げ込みました。コントロールはどんどんついてきていますね。そのほか、10郎の苦手な分野である守備の練習も行いました。フライやライナーから逃げる癖を直そうと、父8郎が階段の上からボールを投げ落としたボールを10郎が体で止める練習です。はたから見ると完全の昭和のスパルタ親父ですね(笑)。そうなりたくない47歳なので、「お前にならできる!」とプラス思考で続けてますよ。父子ともども楽しい汗を流しました。妻は撮影係を頑張りました。

 せっかく沖縄市まで来たからにはと、会社の同僚が教えてくれた沖縄市のバッティングセンターにも足を延ばし、5打席立たせました。いい当たりを飛ばしていました! もう球速100㌔程度には振り遅れないですね。

 帰りがてらのランチで中城村の「伊波家」に寄ろうと思ったら、駐車場が満車で入れなかったので、「やっぱりステーキ」に変更(自宅近くにもあるっちゅーの)。おいしゅうございました。安いとはいえ、ランチで一人千円! 8郎家の財布に一足お先に冬将軍が忍び寄ってきました。

 どんどん食べろよ!

 残り1週間弱、基本練習を頑張ればきっと大会本番では成果となって現れるだろう。君の全力プレーが見られる週末が、父ちゃんと母ちゃんは今から楽しみです。再び拡大してきたコロナ感染で、大会が中止にならないことだけを祈っています。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 さて本題です。とは言え、長くはありません。どぅしぐわぁたーに大事な報告があるのです。

 

 8月末に行った男旅の動画編集が完了したのです!

 

 製作期間はほぼ1カ月に及びました。もちろん毎日作業したわけではありませんが、勉強に思い切り支障が出るくらいの時間を費やしました(怖)。ヤスーンが天に召されてから12年分の感謝を込めたからです。

 ほぼ初めて触る動画編集ソフト「POWER DIRECTOR365」にはアナログおじさん、苦労しましたね。終わってみると、素晴らしい機能が盛りだくさんなソフトだということが分かり、動画の未来性を強く感じることもできたのですが、なにせ自己流。操作が行き詰ったとき、ネット等で調べて解決するのは本当に大変でした。

 何度も断念しかけましたが(もうサクっと仕上げてしまえと何度思ったことか…笑)、なんとか、それなりの中身をつくり完結にこぎつけたのは、二つ理由があります。一つは、難儀な作業をしている中で、30年前のN高時代の記憶をたどることができたことです。それは47歳のおじさんを甘酸っぱい青春時代に戻すのに十分な体験でした。もう一つは「もう2度とやることのない作業だ」と言うさみしさからか、疲れるほどに不思議とエネルギーが盛り返して来たのです。ヤスーンと仲間たちのおかげですね。

 どちらにしろ、8郎にはやらなければならない任務でした。任務完了し、ほっとしています。

 完成した動画を見てつくづく感慨にふけりました。ヤスーンと青春を過ごすことができてよかったと。そして一緒にいたどぅしぐわぁたー5人の素晴らしき個性を再確認することができたからです。

 

 みんな、サイコー! そしてありがとう。

 つたないこの動画こそが、8郎のみんなに対する12年分の感謝のカタチです。

 

 動画は森ドゥの教え通り、ギガファイルにアップロードし、LINEで共有しました。ダウンロードして鑑賞してくれたどぅしぐわぁーたーに喜んでもらえたので、8郎も満足です。

 ところで、動画を当ブログで紹介するわけにはいきません。中身が8郎ら7人だけの世界観であることが第一の理由ですが、そもそも、サザンやケツメイシなどの名曲をBGMに使っているので、WEBにアップしようものなら、著作権問題が生じるからです! WEBでも合法になるよう簡易版の作成も検討しましたが、労力を考えやめました(笑)。8郎はもう勉強せねばなりません!

 今年の忘年会は大きな節目となるでしょう。生前のヤスーンと最後の宴となった12年前の奇跡の写真のように、7人そろったら最高だね。尽きることのないこれまでの思い出話と、それをカタチにしたつもりのこの動画への批評(!)が、宴に花を咲かせてくれたらと思います。

 ヤスーン、これまで同様に首を長くして待ってるよ。同じK中出身の相方、砂吉(下写真右から2人目)を絶対に連れて来てくれよ!

 では、師走に7人でおいしい酒を飲むために、みなさん、今はコロナに注意してください。 

 今日はこれにて。


12年目の男旅@屋我地島(後)

2020年09月02日 | どぅしぐわぁ

 「12年目の男旅@屋我地島」の2日目の朝が来ました。二日酔いと寝不足できつかったのですが、なんとか7時には起床。早速なので昨日足を運んだ海を散歩してみました。ほかのメンバーはまたもYoutube!(数時間前まで見てたよな!)。屋我地島まで来てそのライフスタイルでいいのか~。この朝日を見なくていいのか~。

 ほぼ森ドゥが作ってくれた朝ご飯を食べたあと、8郎は海パンに着替え、一人海に向かいました。海に入るとヤスーンに会えた感が増幅するのです。一人でウインドサーフィンを楽しむ人(移住者でしょう)がいましたが、ほぼ貸し切り状態です。

  旧盆に海に入ると幽霊に引っ張られるという言い伝えがありますが、まったく信じておりません。そもそも8郎にはヤスーンという海の神ネプチューンがついているのです。

 海に腰までつかりました。感想はというと、

 気持ちいい~。超気持ちいい(By北島8介

 でした。台風が連発するだけあって海水温は適度に温かかったです。

 面白半分で逆光で撮影してみると、なんと、海坊主が現れました(笑)。よく言えば、海でトレーニングをする往年のヒクソン・グレイシーです。なんだかめちゃマッチョに見えますね! 理由は、周辺ほど大きく見えるという広角レンズの特徴からくるものですが(47歳にそこまで筋肉量はありません)。

 わずか20分程度の入水でしたが、海から大自然のエネルギーをもらいました(ヒクソンあらに)。ちなみに亀さんだけは浜辺まで来て「旧盆だから深くまで行くなよ」と声かけしてくれました。さすがメンバーきっての優男です(でも何で名義使用であんなに怒る!?再笑)

 後片付けはみなで協力してあっという間に終了。特に亀さんはほとんどの皿を洗うなど大活躍でした。U家の母君がよい教育をしたのでしょうね。

 チェックアウト時に、メッセージ帳に何やら書き残すロックンローラーの森ドゥ。けっして暴飲暴食してしまった名優ニコラス・ケイジではありません。

 何を書いたのか、あとから見せてもらうと、とても素晴らしい文章でした。さすが父君が教師だけある。しかもロックンローラーを名乗るわりには字がきれい。内容だけ読むと女子大生グループの卒業旅行のようにも読めるのが爆笑でした! 誰がこの文面から、その正体が加齢臭ただようおっさん5人組だったと気づけるでしょう。

 そんなおじさん5人組はチェックアウト時に記念撮影。ご心配なく。全員、朝シャワーを浴びたので加齢臭はありません(でも気づけばハゲと白髪しかいません)。左端の男は国宝級陶芸家のような貫禄がありますが、普通のリーマンです(笑)。前回のドタキャンを汚名返上(?)するかのように、唯一無二のギャグ連発で旅を盛り上げてくれました。ありがとう!

 写っているのは5人ですが、ユタにでも聞けば主賓のヤスーンと、残念ながら不参加だった砂吉も写っているはずです(笑)。ヤスーンも楽しんでくれたことでしょう。

 さらば、屋我地島。お世話になりました。

 

 さて、帰路の途中で最後のランチです。8郎おすすめ恩納村の「なかむらそば」にしました。8郎も数年ぶりです。

 8郎は「ソーキそば」(いなりセットで¥950)。おいしゅうございました! 本部町の「岸本そば」が東の横綱なら、こちらは堂々と西の横綱を張っており、10年来その地位は変わりません。自家製麺、ソーキ、すべてが完璧ですが、特にスープは県内一だと思っています。透き通っているのにあじくーたーという、唯一無二の存在感です。このスープだけでもペットボトルに入れて持ち帰りたい。

 コロナ感染防止のため、各テーブルにはラップ式のシールドが備え付けられていました。ところで亀さん(写真右)、ファイティングポーズとってるけど、無断名義使用した8郎にパンチしようとしてるばぁ~。もう許してくれんかぁ~。

 大満足のランチでした。

 帰りがてら、メタボおじさんたちは、恩納道の駅でブルーシールのソフトクリーム(¥350)をなめなめし、この旅を締めます(ポン先生だけかき氷系を選択していました。高校教師だけに“正解”だったかも)。あまりの猛暑にクリームが溶けるの早いのなんのって。ちなみに8郎はこの旅で81㌔台に戻ったことは言うまでもありません。

 おじさん5人がそろってアイスを食べる、という絵にならない話ですが、でも気分だけは、授業をさぼった7人が公園裏の階段でゆくっていた30年前にタイムスリップできたのかな、と思います。

 以上、おじさんたちによる「12年目の男旅@屋我地島」報告でした。動画撮影に注力するあまり写真がほとんど撮れなかった、特段のイベントも実行できず酒とYoutubeに終始してしまったなどなど、計画倒れに終わったのがとても残念ですが、できる範囲でやるべきことはやれたのかな、と今は思っています。

 みんな、参加してくれて、ありがとう!

 

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 ヤスーンが天に召され、心に大きな穴が空いた直後から、集まり始めたこの会。言い出しっぺである8郎は当初から、十三回忌となる12年目の今年で一定のめどをつけたいと考えていました。ヤスーンの供養を目的とするイベント企画は今回で終わりになるだろうと考えています。少なくとも8郎が企画するという意味では。年2回とはいえ幹事役にも疲れたという個人的な理由もありますが(言い出しっぺは終わりまで責任を持たなければなりません)、もうヤスーンを解放してあげなければヤスーンが成仏できないのでは、という気が年々募っていたのが一番の理由です。50歳の大台が見えてきた8郎らが、いつまでも35歳当時のヤスーンに甘えていていいのかと反省することもしばしばでした。そういう意味で、「完結」を意味した今回の旅はぜひ7人全員参加にしたかったのですが、47歳にもなれば個人的な事情がいろいろあるので、実現できなかったのは仕方ありません。ヤスーンも12年間本当によく付き合ってくれました。もしかするとヤスーンが一番疲れているのかもしれませんね(いつもぐだぐだの飲み会だったね。申し訳ない)。そう考えると、今回の屋我地島での一泊ドライブというイベントは楽しくも、さみしい、そんな男旅でした。でもそんな複雑な思いを共有できるどぅしぐゎたー(親友たち)が、そばにいたということはとても幸せなことです。

 

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 ヤスーンを慕う仲間たちは、誰かが呼びかけ、これからもごく自然と集まるでしょう。でも、8郎がヤスーンの名を使って呼びかける集まりは忘年会が最後になります。店の予約には亀さんの名前を使うかもしれませんね(怒らんで~)。

 前にも書きましたが、この2日間で撮った動画と過去の写真を編集して一つのカタチにしておきたいと考えています(素材不足のため実現するか微妙ですが)。それを何らかの媒体にして、その忘年会で仲間たちに寄贈したいと思います。それが8郎なりの、亡き親友に対する12年分の供養の総括であり、集まってくれたどぅしぐゎたーへの感謝の表れだと考えています。

 それが、この旅を企画したもう一つの理由でした。

 今年2020年の忘年会はヤスーンを主賓に招く最後の飲み会であると同時に、ヤスーンとの2度目のお別れになります(法事的な堅苦しいことはしませんが)。ただ1度目とは違って、12年間の楽しい思い出を共有してきた仲間たちは、笑顔で友を送り出してあげることができるはずです。その会には、ヤスーンもきっと笑顔で現れるでしょう。今回参加できなかった同じK中出身の砂吉を連れて。

 では、どぅしぐゎーたーよ、その宴で会おう。ぐだぐだの飲み会で大いに結構。屋我地で飲み干せなかった祈念泡盛も、新たな旅立ちの祝い酒として持参します。今から楽しみです。

 

 最後に天国のヤスーンへ。

 

 12年間、楽しい思い出を本当にありがとう。

 

 これからも最高のどぅしぐゎでいてくれ。

 

2006年1月6日午前0時56分 NIKONのD200で撮影) 


12年目の男旅@屋我地島(前)

2020年09月01日 | どぅしぐわぁ

 2008年に亡くなった、いちどぅしヤスーンを慕う仲間たちで、十三回忌を記念した男旅をしてきました。この旅を企画した幹事8郎にはもう一つの大きな意味合いもあったのですが、それについては後編でお話しします。旅と言っても目的地は県内の屋我地島。この島を選んだのに特に理由はありません。沖縄最高のドライブコースのやんばるであることと、ネットで評価が高いペンションがあったから、くらいでしょうか。そんなおっさん旅、いや男旅の模様を前後編に分けて報告いたします。下写真は恩納村真栄田岬での献花のシーンです。ヤスーンが眠る場所です。

 今回は呼び掛けた5人のうち4人が参加してくれました。砂吉は残念ながら諸事情により参加できませんでした。寂しかったけど、砂吉の分まで楽しんでくるぜ、と気を取り直しました。

 もちろん沖縄県内は、新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が延長されたご時世。みなマスクを着用し、車内にも消毒ハンドジェル、消毒シートを完備してのドライブを徹底しました。N高時代なら「しむさ」(方言で、気にするな)とマスクなど着用しなかったはずですが、みんなもう初老なので感染がリアルに怖いのです(笑)。時の流れは早い。

 まず向かったのは、冒頭写真にあるように8郎とヤスーンのダイブの思い出の地である恩納村の真栄田岬。コロナの影響で、管理施設は休業中でした。ご覧のように施設内はガラガラ(数人の観光客はいましたが)。

 8郎もこの岬を訪れたのは数年ぶりですが、吹き向ける海風と真っ青な海に、とても崇高な気持ちになりました。タンクを持った褐色のヤスーンが笑顔で迎えてくれそうな気がしました。

 吹き流しの角度で強い風が吹いているのが分かります。台風9号が接近していたからです。結果から言うと非常に強い台風でしたね。

 沖縄の海は美しい。ヤスーンと潜った13年前を思い出してしまうのは至極当然なこと。

 ダイビング船が10隻程度いました。県内有数のスポット「青の洞窟」に潜っているのでしょうね。海へ降りる地獄の階段が懐かしい。ここでヤスーンと男二人で記念撮影したなぁ。

 海に降りる階段は入口で金網封鎖されていたので入れません。仕方なく、フェンスに花束を供えました。ヤスーンが命を落とす悲惨な事故があったのは県外の冬の寒い海でしたが、その後、どぅしぐわぁたちが遺骨をこの美しい真栄田の海に散骨したのです。ヤスーンを沖縄の温かい海で眠らせてあげたかったのです。

 ここで供養するということは、同時に、ヤスーンが旧盆飲み会に参加するためにグソー(方言であの世)から帰ってきたことを意味します。さあ、ヤスーンも車に乗り込んで、男旅の始まりだ!

 

 早速ランチへと向かいます。恩納村の老舗レストラン「シーサイドドライブイン」です。

 駐車場から海が一望なので、あまりの美しさにパチリ。エクストレイルが海に映える~。前回ドタキャンのTら~(写真左)は今回全身の黒のスーツ姿で参加(爆)。ウケを狙ったのであれば、さすがとしか言いようがありません。ウケでなく本気だと言われれば、これはもうすでに8郎の倫理観を超えています(笑)。

 ところで、Tら~は一人だけ昼飯を食わず車中で寝ていました。病から回復したとは言え、まだまだ本調子じゃないのかな。それだけが気にかかりました。

 この有名レストランについては、同レストランHPから引用させていただきます。

 1967年創業、沖縄初のドライブインレストラン。冷蔵庫の製造業者として米軍基地に出入りしていた創業者が、基地内のレストランを見てそのスタイルを気に入り、アメリカの文化にたっぷりと影響を受けて、地元である恩納村(おんなそん)にオープンしました。オープン当時からドライブ途中の休憩場所として利用される方が多いレストランです。当時から現在に至るまで、全ての料理がテイクアウトできて、イートインもできるドライブイン形式として、沖縄県内でも初めての「レストラン」です。

 だそうです!

 看板に24時間とうたっていますが、コロナの影響で時短営業しているようです。でも午前8時から午後10時って十分に長くね?(笑) おつかれさまです。

 窓からの光景は干潮ながらも青い海。目を癒してくれました。

 コロナや熱中症、台風、さらには突然辞任を発表した安倍首相の件などもあって、忘れられがちな「首里城再建」。再建の協力を呼びかけているお手拭きでした。

 当レストラン名物の一つスープです。この種のアメリカンスープは那覇市内のステーキ屋でお代わり自由になれているせいか、一杯¥250は非常に高めに感じました(セット付のメニューもありますが)。8郎は我慢できずに生ビールも注文。もちろんここで運転を亀さんに代わってもらえるからです(感謝)。昼間のビールのうまいこと、うまいこと!

 8郎が注文したフライライス(¥900)。フライと言っても揚げているわけではなく、しっとりしたチャーハン、ピラフといった感じです。完全に家庭の味ですね。外食に来てまで・・・ピー。

 亀さんと森ドゥは、最もポピュラーなビーフカレー(¥850)を注文していました。森ドゥに味見をさせてもらいましたが、40代以上のウチナンチュにとってとても懐かしい黄色のカレーでした。でも懐古主義には浸れるものの、もはや8郎は注文しませんなぁ。COCO壱の方が安くておい・・・ピー。まぁ、カレーは好みですから! 亀さんに写真を撮ってもらいました。

 使わせていただきます。ヤマトゥーになんと言われようと、カレーにピーマンは必須だと断言させてください。8郎家では見えないほど刻みます(隠し味的存在なので)。

 老婆心ながらお店の方にご提案があります。もうちょっとていねいに盛り付けていただけませんか。フライライスもカレーも皿の縁にこぼれています。SNSでの口コミも大きなPR戦略となるご時世では見た目も大事ですよ。老舗とは言えてーげー(いい加減)主義では生き残れません。沖縄県民の経済的自立を心から願う通りすがりのウチナンチュより(クレームではありません)。

 でもとてもいいレストランでした。抜群の立地環境はもちろん、館内にはレトロなバイクの展示などSNS映えするコーナーもあります。特に観光客の方には足を運んでもらいたいものです。

 満たされすぎたおやじっ腹を抱え再び北上。ビールを飲んでいない亀さんがドライバーです。西海岸の美しい光景とTら~のギャグが冴えわたり、楽しいドライブとなりました。

 名護市に入ると、Tら~おすすめの休憩スポットで一息つくことに。国道58号沿いの数久田(すくた)のバス停です。風情あるバス停でした。Tら~によると映画の撮影でもよく使われるのだとか。

 動画撮影にいそしむ8郎をTら~が写真撮影してくれました。ツルピカにしてこわもての8郎。マスクをつけるとさらに危険分子感が増します。海辺でカメラを持っていたら、沿岸警備隊にいつ拘束されてもおかしくありません(笑)。

 ちなみに、手にするビデオカメラはSONY製で10郎が生まれるときに購入した、まさに10年もの。現役バリバリですが、時代遅れ感は否めませんね。スタビライザーなどもちろんありません。改めて確認してみるとぶれっぶれです(笑)。今回の旅では、時間が経つにしたがって撮影量が落ちたので、とても反省しています。遊びながら写すというのは難しいものですね。これから作成する予定の動画、なんだか失敗しそうです。

 ところで、亀さんと森ドゥの二人は、このような絶景ポイントで停車しても、「暑い」と言って車を降りずじまい。せっかくのドライブなのに残念! これが加齢というものか。。。

 名護市のスーパーで名護に単身赴任中のポン先生と合流しました。元気そうでした。N高時代からほとんど容姿が変わらないポン先生。奇跡の47歳✨と呼んでおきましょう(笑)。ここから「働き続けで24時間寝ていない」と訴える森ドゥが運転を交代しました(怖)。居眠りさんけよー。友の過重労働の心配より自己保身を優先する悪8参上。

 寄り道しながら那覇から5時間。ついに屋我地島の宿に到着です。「サザンライトクラブ やがじ家」です。民家をリフォームしたペンションです。なんだか、旧盆に親戚の家を訪れたみたいで、いい感じです。

 塀越しに見えるは、ポン先生の20年ものの愛車トヨタハイラックスサーフ、もちろん右は8郎の8年もの愛車日産エクストレイルです。今回の男旅になくてはならない相棒たちです。RV、四駆って、まさに男の車ですね。黒塗りのベンツやレクサスに全く興味のない庶民派サラリーマン8郎です。 

 外観もおしゃれでした。

 アメニティに関しても、そんじょそこらのホテルより充実していました。星4つを付けさせていただきます。5つにならなかったのは、ただ一つ、HPで「歩いて30秒」と表記されているほど海が近くなかったことだけです! 部屋内部は後日作成予定の動画をご参照ください(作成しないかもしれません)。

 コロナ対策の体温計がありました。5人とも2日間平熱でしたよ。

 ところで、チェックインと同時にこの旅最大のトラブルが発生したのです! 旅の記念に経緯を記しておきます。

 

 実はこの宿を予約するとき、8郎は自分の名前を使わず、亀さんの名前で予約していました。なぜかというと、かつてこの地で仕事をしたことがあり、地域住民の方に自分の名前を知られている可能性があったからです。関係者から急に訪ねられても困るという、それだけのものでした。また過去にも同様の理由で飲み屋の予約で亀さんの名前を借りることもしばしばあったので、ネタ的にも自然の流れと思っていました。さらに今回はその旨、LINEで亀さんに事前共有していました。

 ところが、宿主から安倍政権の失策「GOTOキャンペーン」関連の説明を受けた途端、亀さんが激変したのです!「えーひゃぁ、8郎! 勝手に俺の名前使わんけーどー」と叫びまくります。理由を聞くと、キャンペーンの旅行費3割引きを実現するためには、政府に申請しなければならず、その書類に住所、氏名など個人情報を書かなければならないからだとか。ほかの4人は「なんで、書けばいいあらに」と一様に思っていたはずですが、亀さんの根拠不明な怒りは収まりません。「本土に郵送しないといけないらしい」「それに関連してわったーやーに行政から問い合わせが来たら、どう責任取るばー」と口から唾を飛ばす勢い(コロナで飛沫厳禁ですよ!)で8郎に怒りをぶちまけます。

 念のために「亀さん、もしかしてGOTOって知らないの?」と聞くと、亀さんは明らかに狼狽の色を見せました(新聞読んでないのか)。それが逆効果だったのか、8郎の胸ぐらをつかみ「知らないわけねーだろうが」とすごみます。あまりの恐ろしさに8郎は土下座までして謝りましたが、亀さんの怒りと混乱は収まりません。「無断名義使用の重罪あらに。指を詰めて仁義を見せてくれんか」とまで言われましたが、周りが仲裁してくれてなんとか事なきを得ました。あんな狂暴な亀さんを見たのはN高以来初めてです。けっして年齢からくる尿漏れではなく、本気でちびりそうになりました。

 もちろん上記のくだりの半分(以上?)は「盛って」ますが(笑)、日ごろ温厚な亀さんの慌てぶりに、「行政に名前を出すと何かやっかいなことがあるのだろうか」と疑ってしまった8郎です。そのような「話せない話」がもしあるなら、忘年会で聞かせてください。楽しみにしています。立ち退き料関連かなぁ。ぴーがちゃ。

 

 そんなどうでもいい話はさておき。無事チェックインしたものの、みんな「暑くて出たくない」(悲)と言うので、8郎一人周辺を散歩することに。このペンションの石垣は古いやつをまんま使っており、古き良きウチナー感を演出しています。でも所有者かつ利益を生み出しているのは県外からの移住者、というのが何だかさみしいですね。経済活動は自由であるべきでしょうが。こればかりはウチナンチュにしか分からない感情でしょうね。

 ブーゲンビレアとすーじぐゎ(小径)。沖縄の原風景です。ブーゲンもハイビスカス同様、外来種ですが。。。

 ぶらぶら歩いて1分、そのすーじぐわぁを抜けると絶景が待っていました。

 羽路内海の穏やかな水面です。2組ほどの釣り客がいたくらいで、ほぼプライベートビーチでした。BBQまで時間がないので泳ぎませんが、明日こそは必ず。

 このあたりは済井出(すむいで)といいます。記念碑のようなものが建立されていました。

 宿に戻ると、宴会の始まりです。今回は経費をなるべく落とそうと、各自がお酒を持ち込んでいました。8郎は、亀さん持参の「Havana Club 7年」が一番おいしかったですね。キューバ産のさとうきびを使ったラムです。南国感漂う甘口って最高です。南国育ちのDNAでしょうか。それにしても亀さん、前回同様、いい酒持ってる。

 夜は庭でBBQ。セットもすべてそろっていました。ただ照明が蛍光灯なので、ちょっと雰囲気が落ちます。8郎持参のランタン2つが大いにアウトドア感を醸し出してくれました。牛肉は前回の国頭村の旅に続いて、森ドゥが仕入れてくれました。おいしゅうございました。焼いたのもほぼ森ドゥだったね。ありがとう!

 8郎持参のメスティンでつくった「あさりの白ワイン蒸し」です。ムール貝がなかったための代用品でしたが、みんなに喜んでもらえました。プチトマトと赤唐辛子がポイントでした。

 BBQで腹を満たしシャワーを浴びたあとは、部屋に戻りクーラーをガンガンにきかせて、You Tube鑑賞会です。ポン先生はカラオケ用マイクを持ってきていましたが、8郎の釣り竿同様、今回は登板機会にめぐまれませんでした(泣)。次は本物のカラオケで十八番の爆風スランプ期待しています!

 ランチビールからの延長線上にあった8郎はすでに疲労困憊。午後10時ごろには布団にバタンキューしてしまいました。みんなは深夜までYou Tube三昧だったそうです。おかげで大切なことを忘れていました。8月に誕生日を迎えたTら~の誕生祝いです。くす玉もクラッカーも使わずに今家にあります。

 寝床に付いたとはいえ、ハンモックに巣ごもりした亀さんの豪快ないびきに悩まされ、8郎とポン先生はほとんど眠れず。さらに室内の非常用案内板がやけに明るかったのも災いしました。玄関にもあるから、ここはいらないんじゃないの!?(宅建士が言うべきセリフではありませんね)。もちろん、ちゃんとしたセミダブルベット付きの寝室があるのですが、今回は夜にかけて体調不良となったTら~が独占。おそらく30時間ぶりの睡眠となった森ドゥは亀さんに負けじといびきをかいて爆睡していました。肉係やドライバー、おつかれさまでした。

 清潔な布団だったのもあって、8郎も熟睡こそできなかったものの、数時間ですが快適に横になれました。飲みに帰ってきたヤスーンに十分付き合ってあげられなかったような気がしたのも事実ですが。悪かったね。

 12年目の男旅の初日は、加齢を痛感しつつ、こうして終わりました。


どぅしぐゎたちの十三回忌

2020年02月17日 | どぅしぐわぁ

 2008年に仕事中の不慮の事故で亡くなった、いちどぅし、愛称ヤスーンの十三回忌に参列してきました。下写真はおそらく1990年代後半に男だけのドライブ中に撮影した笑顔のヤスーンです。

 ヤスーンを慕うN高校の同級生5人が集まりました。リーダー格のTら~は諸事情で残念ながら欠席でしたが、彼が年始に「今年が十三回忌ではないか」とグループLINEに共有したことから、今回の集合となった経緯があります。ありがとう。

 故人との最後のお別れ法事とされる三十三回忌は20年後なので、現在46歳の8郎らがそれまで健在だとしても、御年70半ばのヤスーンのご両親がお線香を準備してくれている可能性は低いです。なので8郎は、十三回忌にはどうしても“アントキの6人”全員でお線香を上げたかったのです。

 ヤスーンの実家では、ご両親が迎えてくれました。七回忌以来6年ぶりの再会だったのですが、予想以上にお元気だったので、とてもうれしかったです。8郎らの訪宅をとても喜んでいただけました(こちらの都合で前倒しをお願いしたにも関わらず、です)。仏壇の横の壁には、日焼けした精悍なヤスーンの優しい笑顔が遺影となって飾られていました。いいなぁ、ヤスーン。君だけ、いつまでも年を取らないね。僕らはすっかりくたびれたアラフィフのおっさんです。8郎の頭はもはや不毛地帯(山崎豊子原作)、ともにブラック職場で疲弊するポン先生と亀さんは白髪が目立ち、森ドゥは8郎がいるからこそ目立たないものの実はハゲレースの堂々2位に付けています。一番若く見えた砂吉もあごのラインがたるみ、正真正銘の普通のおっさんになっていました(みんな、すまん!)。平等に同じ月日がたったということさ。

 

 実家にいたのは20分程度でしょうか。ご両親に気遣いさせないよう、早めに退散しようと前もって決めていました。お礼とお別れを告げて、家を出ました(お会いするのもこれが最後かもしれないと思うと心底、お二人のご長寿を願いました)。その後は誰が言い出したか、居酒屋で杯を交わすことになりました。そのまま、解散できないよな。前日も午前様の二日酔いで、この日も早朝から少年野球の大会に参加してきた8郎は体力的にきつかったのですが、なぜか発泡酒がおいしく感じました。予約の関係もあって19時半には解散したのですが、例年同様、楽しい酒席でした。ヤスーンも間違いなくそこにいて、いつものようにニコニコ笑っていたね。

 

 振り返ると10数年、この集まりの幹事を務めてきた8郎ですが、実は、この十三回忌を一定の節目に置いていました。どこかで、区切りをつけなければ、という気持ちがあったのです。でも、その酒席で、また集まりたいと、みんなが言ってくれました。森ドゥがLINEで送ってくれた「この集まりを楽しみに頑張りマッスル」というメッセージ(オヤジギャグ臭に多少ひいたものの)に、ちょっと涙腺を刺激されました。もう年ですね。

 お互いに若くはないので、これまで同様に飲んで騒ぐ、というだけにはいかないだろうが、ふとしたことをきっかけに集まることができればと思っています。その延長線上に三十三回忌があればいいね。

 これから、8郎たちの人生にどんなことが待ち受けているのか、誰にも分かりません。でも一つだけ確かなことは、ヤスーンだけはあの日のまま、アントキの6人を待っていてくれる、ということです。

 ヤスーンの最高の笑顔に会うために、また集まろうか。これからもよろしくお願いします。