残った「おから」でコロッケを作った。
普通に食べるのは面白くないので
今日の写真の様にパンにはさんで食べた。
マスタードとマヨネーズ、そしてタバスコてんこ盛り・・・・これも絶品であった!!
3年前の正月には年末から食べずに冷蔵庫で眠っていた賞味期限の切れた納豆に悩み、えいっっと、お好み焼の中に入れてみたら食えたもんではなかった( ;∀;)
「いいよ、犬にやるから」息子は「えーーーこんなもの食べる?」
さすが私んちのワンコだね。
喜んでペロリと完食していた。
こんな風に、ネギの青いところが残っていると焼き豚を作り、セロリがちょっと古くなると、ポトフを作るという何だか料理の逆を作るのが得意なのかもしれない。
友達の家に行った。
彼女は失恋しても、ごはんの時間になるとピタッと泣き止み、とりの丸焼きなどを作って食べ、食べ終わると、また、さめざめ泣いたという経歴を持つ。
朝ごはんを食べ乍ら、「ねぇ、お昼何食べようか」と目を輝かせ、牛、豚、羊など、沢庵石ほどの塊をドーンとオーブンにいれ、本格的ソースをたっぷりかけて召し上がる。
何でも本格的、正道を真っ直ぐに堂々と料理する。
彼女の家で、毎晩、堂々たる料理を私達は堂々と食べて幸せであった。
「さぁ、今日は最後の夕食だよ、何にする?」彼女は嬉しそうに言う。
「待って、待ってくれ~」私は、もう心配で心配で仕方なかった。
「あの残り物整理させてくれる」「いいよ、バカに張り切ってるじゃん」その夜の夕食は実に不可解な取り合わせだった。
残ったごはんのガーリックライス、真っ黒なものがレタスの上に乗っかっている。
残った豚肉のローストを刻んで味噌で炒めたものである。
残りのラタトゥイユがかかっているパスタ。
とうもろこしを、けずったものにシソと混ざったサワークリーム、残ったそうめんの入った澄まし汁。
しかし残り物で作ったものは二度と同じものは出来ない。
友達の料理と比べると、華やかさなど皆無。スターがいない。
てんでんバラバラの民主主義で、はっきり言って貧乏くさいのだ。
でも私は残り物、全てを食い尽くしたという満足感に満ちている。
食い物だけではない。
はっと自分の洋服を見ると10年前に友達から貰ったジーンズを穿いて、首には、こわれたシャンデリアのガラス玉をぶらさげている。
どこかの、蚤の市で15円だったのだ。
その15円のガラス玉をぶら下げるのに、私は友達に銀の鎖を特注して、気がついた時は何万円もかかってしまい、泣きたい思いだった。
でも15円のガラス玉を利用したという満足感はしっかりあるのである。でも、やはり華やかさはない。
私は、こうやって一生過ごすのかしらん( ;∀;)
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