10歳の頃、私は京都府庁の中にある官舎に住んでいた。
その当時、父の仕事の関係で家事を手伝ってくれていた人の息子が同級生で、学校が終わると、日が暮れるまで、その子とドロドロになって遊んでいた。
カンカン照りの校庭で草取りをしていた時、隣にいた雅子ちゃんが細い指で草を抜きながら言った。
「お母さんが言ってたけれど、草も小さなうちに抜かなくっちゃ抜けなくなるって。不良も同じなのよ。始めのうちに直さなくっちゃ、本当の不良になっちゃうって。朱に交われば赤くなるって。だから不良と遊ぶと不良になるのよ」
10歳の私は、その意見に,真向から反対した。
草と人間を同じとする事、その事も変だし、雅子ちゃんは小さな草を抜こうとして根を切ってしまっている。
適当な切りやすい大きさってものがあるのではないか?
母も友人達も、その同級生のことを「不良」と呼び、何とか、私から遠ざけようとしていた。
母が当時、よく言って嘆いていた言葉・・「素直になれないのか」
素直だから「私はそうは思わない」と言ってるのに強情だとか、頑固者だと言われた。
嫌な子供だったに違いない。
すぐ上の兄が「小さい時、何が嫌だったかって、母さんが、土手の上の「くず屋」さんの子供と遊んじゃいけないって言うのが嫌で、そういう事を言う母さんが嫌だった」と言ったことがある。
でも兄は母の言いつけを嫌だと言いながら従っていた。
私は頑として、従わなかった。
私の息子も又「僕は、そうは思わない」人らしいので、ぎょっとする事がある。
まだ小学校の一年生の時、アンデルセンの「みにくいあひるの子」を読んでやったことがある。
読み終わった時、息子が「何で白鳥の方がいいんだよ。あひるに悪いじゃんか」と言ったのである。
子供の時、私が素直でなくても、みにくいあひるの子が白鳥に美しく成長したことに心から満足した程には充分、素直だったのである。
「どうすればいいの?」
「あひるは、あひるとして立派に生きていけばいい」
あぁ、この親にして、この子ありだ~( ;∀;)
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