私が、20代の頃、初めて犬を我が家に向かい入れた事の話を。
小学生の息子が夕方、散歩に連れ出すと、由緒正しい犬を、お散歩させていらっしゃる綺麗な、お姉さんが息子に言ったらしい。
「うちの犬は、血統書つきだから桃子ちゃんと遊べないの」
私達は、ひどく傷ついた。
犬を連れてドライブに行く。
桃子は後ろの座席のうらの窓に一ミリの隙なく、胴体を自ら押し込み、足は邪魔にならないのである。
ドライブインで私達が降りると、桃子は窓から顔を出してよだれを出して待っている。
通りがかりの人が「やあ、柴犬だ、かわいいな」
私達は、おしっこの為に犬を外に出す。
すると彼らは桃子の足と私達の顔を見て
ゲラゲラと笑いだすのである。
そういう世間の目にも、すっかり慣れて、いくつか季節を重ねて、私達の情も、その短い足の上にのっかっている桃子そのものに重ねていった。
桃子が犬なのである。
私は今、街で他の犬を見ると驚く。
足が長すぎるのである。
長すぎて不様なのである。私と息子は他の犬を見ると「見なよ、あの足、ひょろけちゃってさ、かわいそーだね、あれ、折れやすいよ」
「かっこわりー、犬らしくないね」
愛は身近にいるものを、いつくしむところから生まれて、それは実に不公平な、えこひいきで美意識すら変えるものなのだ。
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