京都府宮津市にある岩滝口駅は、舞鶴市の西舞鶴駅から宮津駅を経由して山陰本線の豊岡駅までの83.6kmを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった宮津線の一般駅として、1925(大正14)年7月31日に開業しました。
かつては相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も行われており、1996(平成8)年3月16日のダイヤ改正までは急行「丹後」の停車駅でもありましたが、現在は単式ホーム1面1線のみの無人駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、北近畿タンゴ鉄道に転換後も使用されていましたが、1992(平成4)年3月に新しい駅舎に建て替えられました。
丹後地方に鉄道を敷設しようという動きは明治時代の終わり頃からあり、1917(大正6)年に京都府知事の指示のもと、舞鶴~豊岡間の軽便鉄道線の敷設を目的とした線路の測量が行われ、京都府によって丹後鉄道線路調査報告書としてまとめられました。 その後、さらに地元の丹後鉄道急設期成同盟会などの熱心な鉄道建設の運動により、ついに1918(大正7)年に政府は鉄道建設を認めたのでした。
工事はまず舞鶴側から進められ、1924(大正3)年4月12日に峰山線として舞鶴(現在の西舞鶴)~宮津間が開業したのを皮切りに、さらに工事が進められて1932(昭和7)年8月10日に全線開通し、線路名は舞鶴~峰山間の峰山線と峰山~豊岡間の峰豊線を統合して宮津線に改称しました。
このようにして開通した宮津線でしたが、沿線に天橋立という日本三景を抱える路線ながら、モータリゼーション化と沿線の過疎化のため利用者は次第に減少し、1980(昭和55)年12月に施行された国鉄再建法により1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されてしまいます。
地元では3回にわたって宮津線特定地方交通線対策協議会を開いて協議した結果、1988(昭和63)年4月7日に第3セクター鉄道として存続させることを決定し、結局、国鉄が開業させる予定で建設を進めながら国鉄再建法の規定により工事が中断されていた宮福線を引き受ける第3セクターとして設立されることになっていた宮福鉄道が宮津線を引き受けることになりました。
そして宮津線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された後、1990(平成2)年4月1日に宮福鉄道を改称した北近畿タンゴ鉄道に転換されましたが、これは国鉄再建法の廃止対象線区最後の転換になりました。
しかし、同鉄道の経営悪化により、2015(平成27)年4月1日に京都丹後鉄道に移管されました。
<岩滝口駅の年表>
・1925(大正14)年7月31日:国鉄宮津線の一般駅として開業
・1985(昭和60)年3月14日:駅の無人化
・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
・1990(平成2)年4月1日:北近畿タンゴ鉄道の駅となる
・2015(平成27)年4月1日:京都丹後鉄道宮津線の駅となる
撮影年月日:1989(平成元)年7月26日