備前塩田駅は、岡山県備前市の片上駅と柵原町(現・美咲町)の柵原駅とを結んでいた全線単線非電化の同和鉱業片上鉄道(33.8km)の一般駅として、1931(昭和6)年2月1日に開業しました。
しかし、片上鉄道が1991(平成3)年6月30日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となりました。
長い相対式ホーム2面2線を有し、列車交換が可能でした。 また、貨物の取扱いをしている頃は貨物側線も有していました。
開業時に建てられた赤い三角屋根の駅舎は、駅の無人化後も解体されずに廃止時まで残っていました。
備前塩田駅が属していた同和鉱業片上鉄道は、硫黄の原料となる硫化鉄を柵原鉱山から片上港へ輸送することを目的に建設され、全通後は硫化鉄のほか、石炭や石灰石・木材・肥料などさまざまな物資を輸送し、1960年代までは地域経済を支える大動脈でした。 また、柵原鉱山の硫化鉄の埋蔵量は3000万トンと世界有数を誇っていました。
しかし、石油の消費量が増えるにしたがって、その精製時に発生する硫黄が硫化鉄に取って替わるようになると、硫化鉄の需要は激減し、輸送量も急速に減少したため、同和鉱業は深刻な不況に陥り、1987(昭和62)年8月に柵原鉱石輸送が全面的にトラック輸送に切り替わりました。
会社側は肥料輸送や旅客列車の減便などで生き残りを図りましたが、沿線人口が希薄で過疎も進みつつあったため利用客は減り続け、ついに同和鉱業片上鉄道は1991(平成3)年6月30日限りで廃止され、それに伴い備前塩田駅も廃駅となりました。
<備前塩田駅の年表>
・1931(昭和6)年2月1日:同和鉱業片上鉄道の一般駅として開業
・1972(昭和47)年9月1日:駅の業務委託化
・1984(昭和59)年4月1日:駅の無人化
・1991(平成3)年6月30日:片上鉄道が廃止されたことに伴い、廃駅となる
撮影年月日:1991(平成3)年3月29日