大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

名松線 伊勢竹原駅!

2015年09月13日 | 

三重県津市にあるJR東海の伊勢竹原駅は、紀勢本線の松阪駅と伊勢奥津駅とを結んでいる全線単線非電化の国鉄名松線(43.5km)の一般駅として、1935(昭和10)年12月5日に開業しました。

単式ホーム1面1線を有する無人駅です。
開業時の昭和10年12月に建てられた木造駅舎は今も健在ですが、2009(平成21)年10月8日の台風による被害により、家城~伊勢奥津間は現在も列車の運行が休止されてバスが代行運転しているので、ホーム入口にはロープが張られて入れないようになっているようです。

 <伊勢竹原駅の年表>

 ・1935(昭和10)年12月5日:国鉄名松線の一般駅として開業
 ・1965(昭和40)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1976(昭和51)年7月15日:駅の業務委託化
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1986(昭和61)年4月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる
 ・2009(平成21)年10月8日:台風18号の被害により、名松線全面運休
 ・2009(平成21)年10月15日:家城~伊勢奥津間がバス代行により、列車運行休止

 
(駅 名 標)

 
(伊勢奥津方面を望む)

 

 
(駅 舎 正 面)


 撮影年月日:1997(平成9)年9月13日


因美線 用瀬駅!

2015年09月11日 | 

鳥取県鳥取市にあるJR西日本の用瀬駅は、山陰本線の鳥取駅と姫新線の東津山駅とを結ぶ全線単線非電化の因美線(70.8km)の一般駅として、1919(大正8)年12月20日に開業しました(開業時は因美軽便線に所属)。

島式ホーム1面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
古い木造駅舎が今も健在です。

用瀬駅が属する因美線は、かつて津山線とともに陰陽連絡路線としての役割を果たしており、急行「砂丘」も運行されていましたが、1994(平成6)年12月3日に智頭鉄道が開業すると陰陽連絡路線の座を同鉄道に譲り、1997(平成9)年11月29日には線内唯一の優等列車だった急行「砂丘」も廃止されてしまいました。

 <用瀬駅の年表>

 ・1919(大正8)年12月20日:因美軽便線の一般駅として開業
 ・1922(大正11)年9月2日:軽便線制度廃止により、因美軽便線が因美線に改称され、同線の駅となる
 ・1928(昭和3)年3月15日:因美線が因美北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1932(昭和7)年7月1日:因美北線が因美線の一部となり、同線の駅となる
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(左は国鉄時代の駅名標:右は現在の駅名標)

 
(智頭方面を望む)

 
(鳥取方面を望む)

 

 
(用瀬駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:国鉄時代の駅名標のみ1991(平成3)年3月29日撮影、その他は2003(平成15)年5月24日撮影 


美祢線 四郎ケ原駅!

2015年09月10日 | 

山口県美祢市にあるJR西日本の四郎ケ原駅は、山陽本線の厚狭駅と山陰本線の長門市駅とを結んでいる全線単線非電化の美祢線(46.0km)の駅です。
もともとは山陽鉄道の一般駅として、1905(明治38)年9月13日に開業しました。

長い相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
古い木造駅舎が今も健在です。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は14人です。

 <四郎ケ原駅の年表>

 ・1905(明治38)年9月13日:山陽鉄道の一般駅として開業
 ・1906(明治39)年12月1日:鉄道国有法により山陽鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により大嶺線となり、同線の駅となる
 ・1924(大正13)年3月23日:線路名が美祢線に改称され、同線の駅となる
 ・1985(昭和60)年2月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(美祢方面を望む)

 
(厚狭方面を望む)

 

 
(駅 舎 正 面)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2001(平成13)年1月2日


若桜鉄道 因幡船岡駅!

2015年09月09日 | 

鳥取県八頭郡八頭町にある因幡船岡駅は、郡家駅と若桜駅とを結んでいる全線単線非電化の第三セクター若桜鉄道(19.2km)の駅です。
もともとは旧国鉄若桜線の一般駅として、1930(昭和5)年1月20日に開業しました。

かつては相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も可能でしたが、現在は単式ホーム1面1線を有する簡易委託駅です。
開業前の昭和4年に建てられた木造駅舎は、若桜鉄道に転換後も使用され、旧駅事務室には縫製工場が入っており、2008(平成20)年7月23日に国の登録有形文化財に登録されました。

若桜鉄道の前身である旧国鉄若桜線は、1922(大正11)年4月の改正鉄道敷設法別表第88号に「鳥取県郡家ヨリ若桜ヲ経テ兵庫県八鹿付近ニ至ル鉄道」と指定されたことにより、翌1923年7月から国鉄が敷設工事を始めました。 そして途中の若桜までは開通したものの、結局その先は着工されませんでした。

国鉄若桜線は、戦前はこの地方の豊富な林産資源を背景に木材輸送が盛んでしたが、1960年代になると沿線の過疎化とモータリゼーション化により利用者は減少し、貨物輸送もトラックに移行していきました。 そして1980(昭和55)年に施行された国鉄再建法により、若桜線は1981年9月18日に第1次特定地方交通線として選定されます。
地元では何回も若桜線特定地方交通線対策協議会を開いて協議し、また若桜線を存続させるために必死に乗車運動も展開しましたが、1986(昭和61)年10月7日に開かれた第7回対策協議会で鳥取県と鳥取市と沿線4町が出資する第三セクター鉄道への転換を決定しました・

そして、若桜線は1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された後、同年10月14日に第三セクターの若桜鉄道に転換されました。

 <因幡船岡駅の年表>

 ・1930(昭和5)年1月20日:国鉄若桜線の一般駅として開業
 ・1974(昭和49)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1985(昭和60)年3月14日:駅の無人化(簡易委託)
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1987(昭和62)年10月14日:第三セクターの若桜鉄道の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(若桜方面を望む)

 

 
(駅舎正面)

 


 撮影年月日:2001(平成13)年5月17日


木次線 出雲三成駅(旧駅舎)!

2015年09月08日 | 

島根県仁多郡奥出雲町にあるJR西日本の出雲三成駅は、松江市の宍道駅と庄原市の備後落合駅とを結ぶ全線単線非電化の国鉄木次線の一般駅として、1932(昭和7)年12月18日に開業しました。

かつては単式ホームと島式ホームの2面3線を有していましたが、現在は相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な簡易委託駅です。
開業時に建てられた木造駅舎は、2001(平成13)年4月に物産販売店とコンビニが併設された駅舎に建て替えられました。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は115人です。

 <出雲三成駅の年表>

 ・1932(昭和7)年12月18日:国鉄木次線の一般駅として開業
 ・1982(昭和57)年11月7日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1990(平成2)年6月1日:駅の簡易委託化

 
(国鉄時代の駅名標)

 
(木次方面を望む)

 
(旧 駅 舎)

 
(旧駅舎正面)


 撮影年月日:1991(平成3)年4月16日