源氏物語には音楽の場面が大変多い。
当時の貴族は教養の一つとして、琴や笛などを必要とされた。
特に琴について考えたい。
当時の琴は、
きんの琴(7弦)、和琴(6弦)、筝の琴(13弦)琵琶があった。(山田孝雄<源氏物語の音楽>より)
枕草子には琴は描かれているが、源氏物語のような場面設定や音楽論はない。
単に音楽の催しや、こういう名前の琴があったという自慢話の存在でしかない。
<93段無明の琵琶の御琴>
琴をかきならして折りにあうという音楽描写は源氏物語の方がはるかに優れている。
式部は琴柱、ゆの手など、実際の演奏手法も知っているようだ。
源氏の音楽の才能を褒めた文がある。
絵合
『文才をさるものにて言わず。さらぬ事の中には、琴(きん)ひかせ給ふことなむ
一の才にて、つぎには、横笛、琵琶、筝の琴をなむつぎつぎに習い給ふ』
ここに<和琴>が入っていない事に注目したい。
常夏で、猛暑の月末に光源氏は玉鬘の所を訪れる。
撫子が色々咲いている夕暮れ時。
篝火をたき、そこにあった和琴をかき鳴らしてみると、
ちゃんと琴の調子が整えてあり、これで普段もかき鳴らしていることがわかった。
和琴を田舎育ちの玉鬘が知っていた事に驚く源氏は、
玉鬘の父(頭中将)が当代一の名手である事を玉鬘に話す。
そして、玉鬘に和琴をひく事をすすめるが、
聡明な玉鬘は弾かない。
田舎で習った琴など源氏の前ではとてもひけないだろう。
ここは明石の上が琴の名手と聞いて、源氏の前で紫の上が琴を弾かない場面と同じ心理で似通っている。
和琴は<あずま>とか<わがつま>と呼ばれ、日本のものである。
きんの琴は紫式部の時代にはすたれてしまったようであるが、
中国のものであるようだ。
<楽の統>とされる。
『琴者楽之統也。君子所常御不離於身。(風俗通)』 (山田孝雄源氏物語の音楽)より
和琴には君子の側にあるというような品格はない。
光源氏が玉鬘にむかって
『あづまとぞ、名も立ち下りたるようなれど』 (常夏)
田舎育ちの浮舟に対して薫が
『 あはれわがつまはといふ琴(こと)は、さりとも手ならし給ひけむ』(東屋)
などの記述がある。
学生時代にこの事について調べたが、面白い結果が出た。
柏木のひく和琴の音は、玉鬘にまだ見ぬ父頭中将を思いおこせ、
『御琴は中将(柏木)にゆづらせたまひつ。
げにかの父大臣(頭中将)の御爪音にをさをさ劣らずはなやかにおもしろし
御簾のうちにものの音聞き分く人ものしたまふらむかし・・』
『・・姫君(玉鬘)も、げにあはれと聞きたまふ』
『絶えせぬ仲の御契り、おろかなるまじきものなればにや、
この君達を人知れず目にも耳にもとどめ給へど・・』 (篝火)
若菜で頭中将とともに和琴をひく柏木は
『何事も上手の継ぎといひながら、
かくしもえ継がぬわざかしと、心にくくあはれに思す』(若菜)
と、頭中将同様に和琴の名手と評される。
後に薫のひく和琴の音にも、玉鬘には兄柏木ひいては昔の父頭中将の音を思いださせるものであった。
『おほかたこの君(薫)は、あやしう故大納言(柏木)の御ありさまにいとようおぼえ、
琴の音などもただそれとこそおぼえつれ』 (竹河)
『故到仕のおとど(頭中将)の御つまおとになむ、かよひ給へると、聞き渡るを、まめやかにゆかしうなむ。』(竹河)
つまり和琴こそは頭中将ー柏木ー薫 という頭中将家の重要な表現であるといえよう。
絵合で光源氏の音楽の才能から和琴をはずしたのは、この理由ではないだろうか。
実際、玉鬘十帖は和琴の登場が多い。
面白い事に、宇治十帖では琴(こと)を弾くのは薫が多い。
匂宮は琵琶を少し弾くぐらいだ。(これも明石の筋故か?)
しかし、薫の君は、和琴の他、琵琶、きんの琴などをまんべんなく弾く。
光源氏ほど沢山は弾かないけれど、音楽的な立場から見ると、
後半の主役は薫といえるのではないかと私は思う。
写真は和琴(実物は見たことがありません!)