11月近くになると、我が家の小菊も咲いてきます。
菊は平安時代、重陽の節句(9月9日)に特に用いられたものですが、
その節句の習慣は中国から来たようです。
菊合という和歌の遊びもあったとか。
その節句の習慣は中国から来たようです。
菊合という和歌の遊びもあったとか。
紫式部日記にも道長の妻倫子が重陽の日に紫式部に
菊の着せ綿を送ってきたという場面があります。
菊の着せ綿を送ってきたという場面があります。
前日に菊に着せ綿をして露をふくませ、
それで顔の皺をぬぐって老いを払うという習慣。
それで顔の皺をぬぐって老いを払うという習慣。
一介の女房に倫子から直接送ってくるなんて、実に恐れ多いことです。
ここを、紫式部と道長との間に何かあったことを感じた倫子が
紫式部をけん制してきたいう説もあるようです。
紫式部をけん制してきたいう説もあるようです。
平安時代は白い菊が好まれ、
その色が晩秋に霜などで色が変わり、
少し紫がかった色になる「うつろひたる菊」が好まれました。
その色が晩秋に霜などで色が変わり、
少し紫がかった色になる「うつろひたる菊」が好まれました。
うつろひたる菊は、男女関係のうつろう気持ちもあらわし、
歌にもよまれています。
歌にもよまれています。
A新聞の「高橋睦朗花をひろう」では
旧暦の重陽以後の菊はすべて残菊とありました。
重陽を1ヶ月ちょっと遅れたとしても
今は11月ですから、まさしく残菊になります。
旧暦の重陽以後の菊はすべて残菊とありました。
重陽を1ヶ月ちょっと遅れたとしても
今は11月ですから、まさしく残菊になります。
また契沖は、
中国は黄色の菊を賞するが、日本は白い菊を愛するといったそうです。
中国は黄色の菊を賞するが、日本は白い菊を愛するといったそうです。
今でも、色が色々な可愛い小菊が咲いているのを見かけると、
いよいよ秋もたけなわになり、紅葉の季節がやってくると感じます。
いよいよ秋もたけなわになり、紅葉の季節がやってくると感じます。