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昨日は雛祭り。
手巻き寿司とハマグリのお吸い物、市販のケーキにしたので、
今日は残りで散らし寿司風に遊んでみました。
手巻き寿司とハマグリのお吸い物、市販のケーキにしたので、
今日は残りで散らし寿司風に遊んでみました。
このお菓子が入っていた人形は左がお内裏様。
京都「鼓月」の商品なので関西風なのでしょうか。
私も母も何故か左にお内裏様を飾ります。左が上の位置ですが、
家の雛色紙は右がお内裏様でした。
まあどちらでも好きなようにします^^
京都「鼓月」の商品なので関西風なのでしょうか。
私も母も何故か左にお内裏様を飾ります。左が上の位置ですが、
家の雛色紙は右がお内裏様でした。
まあどちらでも好きなようにします^^
昔から上巳のお祓いとして、人形を川などに流して厄を落としたのが
今の雛祭りのもとです。
今の雛祭りのもとです。
源氏物語にも紫式部日記にも「ひひ(い)な」という言葉が見られ、
1000年以上前にも雛(人形)遊びがあった事がわかります。
1000年以上前にも雛(人形)遊びがあった事がわかります。
「ひひな(雛)ど、わざと屋(おく)ども作り続けて、もろともに遊びつつ」(若紫)
とあり、若紫と光源氏がひひな遊びをしたことや、
夕霧が野分の見舞いに行った折に明石姫の所で、
「ひいな(雛)の殿はいかがおはすらん」(野分)と、言っています。
また、紫の上がはじめて女三宮に対面した時も
「絵などのこと、ひひな(雛)の捨てがたきさま、若やかに聞こえ給へば」(若菜上)
と、絵やひひな(雛)のことなどで話をしている様子が描かれています。
とあり、若紫と光源氏がひひな遊びをしたことや、
夕霧が野分の見舞いに行った折に明石姫の所で、
「ひいな(雛)の殿はいかがおはすらん」(野分)と、言っています。
また、紫の上がはじめて女三宮に対面した時も
「絵などのこと、ひひな(雛)の捨てがたきさま、若やかに聞こえ給へば」(若菜上)
と、絵やひひな(雛)のことなどで話をしている様子が描かれています。
紫式部日記にも
「このごろ、反古(ほご)もみな破(や)り焼き失ひ、
ひひななどの屋づくりに、この春しはべりしにのち・・」
とあって雛祭りでしょうか?その様子が伺えます。
「このごろ、反古(ほご)もみな破(や)り焼き失ひ、
ひひななどの屋づくりに、この春しはべりしにのち・・」
とあって雛祭りでしょうか?その様子が伺えます。
3月3日に特別に何かを食べたのかそういう事は知りませんが、
原文からこういう発見があるのは面白いですね。
原文からこういう発見があるのは面白いですね。
私自身は節分をはじめ、昔からの行事は大切にしたいと思っていますが、
実際にはイベント好きで、1番楽しんでいるといえるのかもしれません♪
実際にはイベント好きで、1番楽しんでいるといえるのかもしれません♪