よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
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世界遺産になった重伝建-山口県萩市:堀内

2024年09月25日 | 山口
Horiuchi, Hagi City, Yamaguchi Pref.

さてさて、明倫学舎の見学を終えたワタクシ達は、萩市堀内と呼ばれる地区へと歩いていきました


堀内は旧萩城三の丸にあたり、毛利輝元が1608年に指月山に城を築き、町割をおこなったことに町の歴史が始まります。
ここには藩の諸役所と毛利一門をはじめとする侍屋敷が建ち並んでいます。
近世城下町の侍屋敷としての地割をよく残し、見事な歴史的風致を形成しているんです


堀内は当然ながら「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)であるのですが、信州の妻籠宿、飛騨の白川郷、
京都の産寧坂や祇園新橋とともに、一番最初に重伝建に選定されているんです。
さらには「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つとして、世界遺産にも選定されているんですよ


このエリアのお屋敷には見学可能な場所がいくつかあるので、ワタクシ達はその中の数軒を訪れることにしました。
この建物は「青木周弼旧宅」なのですが、恥ずかしながらワタクシは青木周弼(あおきしゅうすけ)という人のことを知りませんでした。
ありがたいことにボランティアの方が詳しく説明してくれたんです


青木周弼は幕末当時、日本屈指の蘭方医でした。13代藩主である毛利敬親の侍医を務めたのですが、
高杉晋作が10歳の時に疱瘡にかかった際、診療した医者としても知られているそうです


こちらは「木戸孝允旧宅」です。木戸孝允が生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした建物なんです。
木戸孝允は1833年、萩藩医・和田昌景の長男として生まれました。後に藩士・桂家の養子となり”桂小五郎”の名でも知られています。
藩校明倫館に通い吉田松陰の兵学門下となり、1862年に藩の要職に就き京へと出て行きます


1865年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結びます。
明治維新に尽力し、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などの推進に功績を残しました


その功績から木戸孝允は西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれるんです。
ただ、ワタクシの個人的な印象としては西郷、大久保に比べると木戸はやや知名度が劣る気がするんです。
それはドラマなどで取り上げられることが、他の二人に比べて少ないからではないかと思うのですが、どうなんでしょうか


ボランティアガイドさんの話を聞いていると、日本史の授業で幕末の講義を受けているような気になったのでした

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


ボランテイアガイドの方の説明を聞くのが好きで、新たな学びや発見をすることがあよくあります。
私も相棒さんも歴史や地理が好きなので、いつも熱心に説明を聞くのですが、二人ともガイドさんによく質問をするんですよ。
「これはどういうことですか」「ということはこうなんですね」などと、あれこれ質問することが常なんです。
ガイドさんは「熱心に質問してくれるので説明の甲斐がある」と思ってくれているのか、
あるいは「やたらと質問が多い面倒な観光客や」と思われているのか、時々気になることはあるんですね。



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