よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

北前船で栄えた集落-石川県加賀市:加賀橋立

2024年09月06日 | 石川
Kaga Hashidate, Kaga City, Ishikawa Pref.

さてさて、白峰温泉でチェックアウトを済ませたワタクシ達は次の目的地へと向かいました。
向かったのは石川県加賀市の海沿いにある加賀橋立という集落でして、ここも重要伝統的建造物群保存地区に選定されているんです。
ワタクシにとっては67ヶ所目の重伝建地区への訪問となるんです


加賀橋立は江戸時代中期までは半農半漁を営む茅葺民家の集落でした。その後北前船の船主になる者が現れ、
江戸時代後期から明治時代中期にかけて大阪と北海道間を往復した船主や船頭が多く居住する豊な集落へと発展したんです。
ワタクシ達は、まず最初に「北前船の里資料館」を訪れました


この建物は橋立の北前船主・酒谷長兵衛が1877(明治10)年に建てたもので、最高級の建材を使った建物から、
船主の豪勢な暮らしぶりをうかがい知ることができます。ワタクシ達は興味深く資料や展示品を見ていきました


江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。
船は瀬戸内海をとおって大坂、江戸へ向かう西廻り航路か、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路を利用しましたが、
西廻り航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました
(下の地図を参考にしてください)




本州からは、米や塩、砂糖、酒、酢、鉄、綿、薬、反物や衣類などあらゆる生活物資を積み込み、
それらの商品を売買しながら日本海を蝦夷地に向けて北上しました。これを「下り荷」と言います。
逆に、蝦夷地から上方へと向かう荷を「上り荷」といい、主に昆布や鰊、鰊粕(にしんかす)、干鰯(ほしか)、
鮭、鱈などの海産物を運びました。一回の航海の利益は現在の額で約1億円にもなったといいます


大阪や京都(いわゆる「上方」)では料理の出汁をとるのに昆布をふんだんに使い、塩昆布やおぼろ昆布をよく食べます。
これらは蝦夷地から良質な昆布が北前船によって運ばれてきたからなんですね


ワタクシも相棒さんも旅先でこういう資料館を訪れるのが好きなんですよ。新たな知識を得ることが出来ることも多く、
思わず発見があったりするんです。ワタクシにとっては土産物屋に行くよりも、こういう場所を訪れる時間が楽しいのです


資料館を後にして橋立の町を歩きにいきました。屋根は赤茶色の瓦葺き、外壁には船板を張っている家が多いようです


ではでは、ゆっくりと町を歩くとしましょう。いつものことですが、初めて訪れる場所を歩く時はワクワクしますわ

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


この日は10寺過ぎに加賀橋立に着き、12寺頃に散策を終えました。それでも痛いほどの日差しを浴びて、汗が噴き出ていたんです。
今年の夏はどこに行っても常に汗まみれで、暑さと闘いながらの旅となりました。
もうあと2〜3年したら、私も夏に旅行に行くのはしんどくなってくるかもしれません。今年、初めてそんなことを思いました。



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