Twenty-Six Saints Martyrdom Monument, Nagasaki City, Nagasaki Pref.
さてさて、今回の長崎訪問でワタクシ達は「キリシタン迫害」ということについて、多くのことを考えさせられました。
昼食を食べて次にどこに行こうかとなった時に、長崎駅近くに26聖人殉教記念碑というものがあり、そこには記念館もあるんです。
ワタクシは記念碑には行ったことがあるのですが記念館には入ったこともなく、家人はどちらも行ったことがないということなので
今回は訪ねてみることにしました。
1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架にかけられて殉教した日本人20人と外国人6人のキリシタンがいました。
彼らは豊臣秀吉の命によって京都と大坂・堺で捕らえられ、処刑地となる長崎までの道のりを約一ヶ月かけて裸足で歩かされました。
26人の中には、フィリピン総督の使節として来日し京都で教会を建てるなど熱心な布教活動をおこなったペドロ・バプチスタや、
12歳のルドビコ茨城、14歳のトマス小崎といった日本の幼い少年たちもいました。
この大殉教事件は、ポルトガルやスペイン、メキシコやヨーロッパなどにも伝えられ、大きな反響を呼びました。
そして、日本ではまだキリシタン迫害が続く1862年、彼らは教皇ピオ9世によってローマで聖人に列せられたのです。
さらに列聖から100年後の1962年、殉教地の西坂の丘に記念碑と記念館が完成しました。
令和元年11月に第266代ローマ教皇・フランシスコが長崎を訪れた際、この地で祈りを唱えられたことでも知られています。
過去の歴史を今の価値観で判断するのは正しくない行為ですが、
かつての日本に信仰の自由が奪われた時代があったということは事実かと思います。
26聖人殉教記念碑から10分ほど歩いた場所に、中町教会という立派な教会がありました。
120年以上の歴史をもつ長崎を代表するカトリック教会だそうです。
明治時代、長崎市街地には大浦天主堂の他にカトリック教会がなかったため、初代島内要助神父は殉教の歴史をもつこの長崎に、
日本人のための教会を建てようと決意しました。
苦労の末、1889年の暮れにキリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて設立したとのことです。
原爆投下により教会は外壁と尖塔だけを残して焼失しましたが、世界中からの献金や信徒たちの奉仕によって、
1951年10月その外壁と尖塔をそのまま生かし再建されました。
現在も教会北側の塀には被爆の跡があり、貴重な被爆遺構として長崎市に指定されているんですよ。
ステンドグラスを通過した光が、教会内の白い壁に美しい紋様を作っていました。
ワタクシはクリスチャンではありませんが、身が引き締まる思いがします。
ではでは、そろそろこの日のホテルに向かうとしましょうか。家人はホテルでゆっくりしたいようですしね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
今回、キリシタン迫害や島原天草一揆に関して、初めて知ることや改めて認識させられることがたくさんありました。
「学ぶ」という行為は、何歳になっても続けられるものなんだなと実感します。
「昔はこうだった」「俺が若い時はああだった」と言うだけではなく、常に自分自身が「学び」の姿勢を持ち続け、
自らをアップデートしていかねばならないのだなぁと感じます。「老害」と言われたくないですからねぇ。
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さてさて、今回の長崎訪問でワタクシ達は「キリシタン迫害」ということについて、多くのことを考えさせられました。
昼食を食べて次にどこに行こうかとなった時に、長崎駅近くに26聖人殉教記念碑というものがあり、そこには記念館もあるんです。
ワタクシは記念碑には行ったことがあるのですが記念館には入ったこともなく、家人はどちらも行ったことがないということなので
今回は訪ねてみることにしました。
1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架にかけられて殉教した日本人20人と外国人6人のキリシタンがいました。
彼らは豊臣秀吉の命によって京都と大坂・堺で捕らえられ、処刑地となる長崎までの道のりを約一ヶ月かけて裸足で歩かされました。
26人の中には、フィリピン総督の使節として来日し京都で教会を建てるなど熱心な布教活動をおこなったペドロ・バプチスタや、
12歳のルドビコ茨城、14歳のトマス小崎といった日本の幼い少年たちもいました。
この大殉教事件は、ポルトガルやスペイン、メキシコやヨーロッパなどにも伝えられ、大きな反響を呼びました。
そして、日本ではまだキリシタン迫害が続く1862年、彼らは教皇ピオ9世によってローマで聖人に列せられたのです。
さらに列聖から100年後の1962年、殉教地の西坂の丘に記念碑と記念館が完成しました。
令和元年11月に第266代ローマ教皇・フランシスコが長崎を訪れた際、この地で祈りを唱えられたことでも知られています。
過去の歴史を今の価値観で判断するのは正しくない行為ですが、
かつての日本に信仰の自由が奪われた時代があったということは事実かと思います。
26聖人殉教記念碑から10分ほど歩いた場所に、中町教会という立派な教会がありました。
120年以上の歴史をもつ長崎を代表するカトリック教会だそうです。
明治時代、長崎市街地には大浦天主堂の他にカトリック教会がなかったため、初代島内要助神父は殉教の歴史をもつこの長崎に、
日本人のための教会を建てようと決意しました。
苦労の末、1889年の暮れにキリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡である現在地を求めて設立したとのことです。
原爆投下により教会は外壁と尖塔だけを残して焼失しましたが、世界中からの献金や信徒たちの奉仕によって、
1951年10月その外壁と尖塔をそのまま生かし再建されました。
現在も教会北側の塀には被爆の跡があり、貴重な被爆遺構として長崎市に指定されているんですよ。
ステンドグラスを通過した光が、教会内の白い壁に美しい紋様を作っていました。
ワタクシはクリスチャンではありませんが、身が引き締まる思いがします。
ではでは、そろそろこの日のホテルに向かうとしましょうか。家人はホテルでゆっくりしたいようですしね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
今回、キリシタン迫害や島原天草一揆に関して、初めて知ることや改めて認識させられることがたくさんありました。
「学ぶ」という行為は、何歳になっても続けられるものなんだなと実感します。
「昔はこうだった」「俺が若い時はああだった」と言うだけではなく、常に自分自身が「学び」の姿勢を持ち続け、
自らをアップデートしていかねばならないのだなぁと感じます。「老害」と言われたくないですからねぇ。
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信仰を守り通すためとは
言え、江戸から長崎まで裸
足で、それなりの縛めを受
けた身体で、しかも殉教す
るために歩かされるとは、
小生なら途中できっと転び
ます。命が惜しい余り、ユダ
でいいと。26聖人の精神力
には崇拝しかありません。
教会ってステキですよねー。
それだけの理由で入信したいと思った事があります(^◇^;)
マレーシアは以外とキリスト教徒が多いんです。
ポチ⭐︎
逆に、新興宗教に全てを捧げている信者の皆さんもいらっしゃるし。
いろいろ考えさせられます。
☆
義父がよく言っておりました。
現役を引退しても、医学書だけは
読んでいましたね。
3人の息子たちの専門分野に興味が
あったようです。
うちの母も年とるほどに
頑固になりましたね。
自分のことは棚に上げ
何でも人のせいにして
文句ばかり言うようになりました。
あ~はなりたくないとは思いますが
同じ血が流れているので、私も
あ~なるのかと思うと、イヤになります。
余談でした。
知らなかったです。
応援ぽち。
26聖人のことは何かの本で知ってましたが
そこにいらしたんですねぇ
そこまでの強い信仰って私などにはとてもわかりませぬが…^^;
☆彡
普通に見たらきれいなところだなぁ…という感想を持ってしまいました
そんな歴史のある場所なんですね
知らないことばかりです
知らない事が本当に多いです。
私も勉強せねば…。
日の光を通してのステンドグラスの優しい色。
信仰というものは本当に強いです。
子供のころ、なぜか1人バスに乗って街中のカトリック教会へ、日曜学校に行ってましてね。教会の美しさと讃美歌の美しさに惹かれましてね。親は何も言いませんでしたが 「入信されたら〜それは、少し困るなぁ」と言われてました。どうして、通っていたのかは覚えてないのですが。
いまでも、寺院、モスク、教会は好きです。
お年寄りの方の方が
マナー守らないこと多いです(苦笑)
自分はそうならないように
したいんですけどねぇ。
工工工工エエエエエエエエェェェェェェェェ Σ(゚Д゚ノ)ノェェ,,
大阪の方ではそうなんですかっ!!!
こっちは皆さん
「うわぁ・・・」
って感じになっちゃいますよ(笑)
いけませんよね。ただの愚痴になりますからね。
謙虚に学ぶ。そんな姿勢のよっちんさん!
素敵です^^☆
よっちさん、偉いな☆
歴史として知ることは必要ですね・・・
中学生の頃はカトリック教会に勉強に通ってた事もありますが、こういう事は知らず・・・
老害!!私も気を付けなくては!!!
☆!
長崎まで裸足で歩かされたんですね。。
教会の壁に映し出されるステンドグラスの光が美しいです*:・☆.*
教えていただいてありがとうございます
丁寧に説明下さり有難うございました。
知らない事が多いですよね 常に学びましょう。
「「学び」の姿勢を持ち続けること」
「自らをアップデートしくこと」は
本当に大事だなぁと強く共感します★
記念館、色々と当時をうかがえるようなところですね。
まだまだ学びたいことが…
とても素晴らしいと思います。
私はその点、学びたいという意欲が低いんだと思います^^;
よっちんさんの記事はいつも勉強になります!
行ったことがない場所でも、こうやって教えていただけることはありがたいです
凸
色々教えていただけて
勉強になります
いくつになっても
学ぶ事は大事ですね
学ぶということは
大事なことですね。
かつての日本に信仰の自由が奪われた時代があったということは事実かと思います。
おっしゃる通りですね。同感です。
学ぶ行為は大切でいつも貪欲なんですが
どうも覚えられなくて頭を素通りするんですよ。
宗教弾圧は本来行ってはいけない事ですね。
それを今の時代にあてはまると
統一教会の問題もあり、一概にそうとは言えない部分も生まれてきていますが。
この中町教会も訪れた事があります。
26聖人の像をみると涙がでてきます。
長崎にいってこの像を見てみたいです。
博識のよっちんさんが
まだまだ「学ぶ」という行為を
続けられるということ…素晴らしいです。
知らないことが多すぎる私
ほんの少しでも見習いたいです💦
☆
信教の自由がなかった、迫害があったのを改めて
学び直しました。
老害とは言われたくない、新しいものに拒否反応を
示したくない、そう思っていますが、現実では
どうか、考えさせられます。
ここには行ったことはありませんが、
この殉教碑は知っています。
キリシタン迫害は、悲しい歴史のひとつですが
こんな酷いことが行われていたことは、知っておくべきですね。
段々出歩くのが億劫になってきました
でもこうしてブログをしていますと皆さんの記事から学ぶことが多いです
元気な間はやはり出歩くことにします
学びは日々大切だと思いますが・・・
忘れてしまうことのほうが多くなって困ったものです
ここは迫害を受けた悲しい場所なのですね
たくなりますね。
こんな時代を経て今の現代の自由が
あるのですね〜
老害と言われないように私も学び
の精神は忘れないようにします。凸
何歳になっても知らないことが多くて
一生勉強だなと改めて思います
今日も学ばせて頂きました
「26聖人殉教記念碑」は今日まで知りませんでした
今年は長崎に行ってみたいと思います
知らない事だらけでした。
いくつになっても、学ぶって事は
大事ですね。
凸
これはまた教科書かと思うような記事。
ざっと見せて聞かせていただいて、
いろんな知らないことにも、
そしてその内容に感銘を受けました。
さらに見てゆっくり勉強させていただきます。
ありがとうございます。
隠れキリシタンが多いところですね。
通った小学校の真ん前に教会がありました。
叔母は(六方)という違うところに嫁ぎました
私の故郷は五島列島(福江島)です。
隠れキリシタンが多いところですね。
通った小学校の真ん前に教会がありました。
叔母は(六方)というところに嫁ぎました。
https://goto-acros.net/fudasyo/fukue/no46.html
後期隠れキリシタンの上陸地です
上記のURLに出てくる高齢の女性は私の叔母です。今地蔵堂の高齢者維持管理はその娘(私の従姉)がやっていると思います。
26聖人殉教記念碑は知らなかったです。
長崎駅の近くにあるのですね。
悲しい場所ですね
宗教的な迫害 人種差別など色々な理由で迫害されたところ悲しい記録としていつまで戒めとして残して行かないといけない場所ですね