8月6日 広島原爆投下の日
8時15分、“わかた”は社屋の通路で役所の追悼のサイレンを聞きながら、黙祷しました。
“わかたの”親父は原爆投下の翌日に、白木の駅へ被災者の救助に学徒動員で出向き、そして被爆しています。
幸いにして親父は頑固ながらも、膝が痛いといいながらも陶芸とかで、年相応です。
原爆投下のその時、広島から80km離れている“わかた”で、キノコ雲が見えたと親父は述懐しています。
原爆ケロイド患者の人々を救助しながらも、悲惨な光景が今も脳裏から離れないと。
被爆者二世の健康診断が無料で毎年なされますが、“わかた”は今年、受けてみようと思います。
日頃毎日不摂生の“わかた”ですが、原爆投下から63年も時が経っているなか、被爆者の寄る年波の気持ちが、なんとなく。
人ある限り人権を
No more ヒロシマ
8時15分、“わかた”は社屋の通路で役所の追悼のサイレンを聞きながら、黙祷しました。
“わかたの”親父は原爆投下の翌日に、白木の駅へ被災者の救助に学徒動員で出向き、そして被爆しています。
幸いにして親父は頑固ながらも、膝が痛いといいながらも陶芸とかで、年相応です。
原爆投下のその時、広島から80km離れている“わかた”で、キノコ雲が見えたと親父は述懐しています。
原爆ケロイド患者の人々を救助しながらも、悲惨な光景が今も脳裏から離れないと。
被爆者二世の健康診断が無料で毎年なされますが、“わかた”は今年、受けてみようと思います。
日頃毎日不摂生の“わかた”ですが、原爆投下から63年も時が経っているなか、被爆者の寄る年波の気持ちが、なんとなく。
人ある限り人権を
No more ヒロシマ
Jackの母親は当時19歳、尾道で看護婦をしていて、翌日何も分からずに爆心地に入り被害者の救助にあたり被爆しました。
晩年は白血球を押さえる治療の副作用で骨粗しょう症になり両股関節は人工関節でした。何だか思い出して悲しくなってきたのでここらで辞めます。
失礼致しました。
ココロが痛かったです。
お盆が、今年もやってきます。