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韓国、高齢人口比率高まるが、高齢者貧困率はOECDで最高

2022-02-14 17:44:40 | 日記

韓国、高齢人口比率高まるが、高齢者貧困率はOECDで最高

登録:2021-09-29 20:00 修正:2021-09-30 06:33
高齢者の平均余命は毎年増えるなかで 
虐待を経験した高齢者もますます増加
 
資料写真=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 韓国の高齢者貧困率は、その改善傾向が緩慢な中で、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で最も高いことが分かった。

全人口に高齢者が占める割合と高齢者の平均余命は毎年増えているが、高齢者の虐待経験率も合わせて増加している。

 10月2日の老人の日を控えて、統計庁が29日に発表した「2021高齢者統計」によると、今年の韓国の65歳以上の高齢人口は、全人口の16.5%にあたる853万7千人。

国連は65歳以上の人口が全人口に占める比率が7%を超えれば「高齢化社会」、14%を超えれば「高齢社会」、20%を超えれば「超高齢社会」に分類する。

韓国は、2017年にすでに高齢社会になった。

統計庁は、高齢人口の比重が今後も増加を続け2025年(20.3%,1051万1千人)に超高齢社会に進入すると推定する。

 高齢者たちの経済条件はなかなか改善の兆しが見られない。

韓国の66歳以上の引退年齢層の相対的貧困率(中位所得の50%以下)は、2019年基準で43.2%だ。

2016年以後、毎年改善傾向を辿っているが、その速度はきわめて緩慢だ。

韓国の高齢者貧困率はOECD加盟国の中で圧倒的1位だ。

国際比較が可能な2018年基準で、韓国の高齢者貧困率(43.4%)はラトビア(39%)、エストニア(37.6%)、メキシコ(26.6%)より高い。

 にもかかわらず、貧困高齢者のための国家の公的努力は振るわない状況だ。

文在寅(ムン・ジェイン)政権でなされた高齢者福祉の拡大は、基礎年金が10万ウォン(約1万円)引き上げられたのが事実上すべてだ。

基礎生活保障制度(日本の生活保護制度に相当)も中位所得の30%を基準として対象者を選定するために、極貧層の救済には意味があっても、高齢者貧困率の大きな改善を引き出すのは難しい。

 ソウル大学のク・インフェ教授(社会福祉学)は「韓国は高齢化が非常に速く進んでおり、多くの高齢者が年金を受け取れなかったり、またはその金額が少ないので、まずは政府が財政投入を通じて貧困高齢者の所得を補填する必要がある」としながら「今の政府は高齢者貧困に意欲的でなく、国民年金の改革議論もうやむやに延ばされた点も残念だ」と明らかにした。

 高齢者の平均余命は毎年増加している。65歳の生存者の平均余命は2019年基準で21.3年、75歳の生存者の平均余命は13.2年で、1年前より各0.5年ずつ増えた。

韓国の65歳の高齢者の平均余命は、女性23.4年、男性19.1年で、OECD加盟国の中で上位圏だ。

特に65歳の女性高齢者の平均余命は、日本(24.6年)、フランス(23.9年)に次いで高い。

平均余命は特定時点を基準として予想される残余寿命を指す。

 こうした中で虐待を経験した高齢者の割合も増え続けている。

高齢者の虐待被害経験率は、2019年には10万人当たり68.2人であったが、昨年は77人まで増加した。

2015年(55.2人)に比べれば5年で39.5%も増えた。

特に女性高齢者の虐待被害経験率は102.1人で、男性(44.1人)の2.3倍にもなる。

80歳以上の高齢者の場合、10万人当たり122.5人が虐待被害を経験している。

イ・ジヘ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国、「日本超え」は本物か 統計上の逆転と舞台裏

2022-02-14 17:20:03 | 日記

韓国、「日本超え」は本物か 統計上の逆転と舞台裏

編集委員 峯岸博

 (更新) 
 
「日韓逆転」「日本超え」――。
 
主要な経済統計で韓国が日本を追い抜いたことを取り上げた日本の学者やアナリストらによる論述などをよく見聞きするようになった。

その代表例が、物価の違いなどを考慮した購買力平価(PPP)で換算した国民1人あたり国内総生産(GDP)だろう。

国際通貨基金(IMF)の調査で韓国が初めて日本を逆転したのは2018年で、この差は今後さらに広がるともいわれている。

1人あたりの名目GDPでも、27年に日本は韓国に超されるとの試算を日本経済研究センターが昨年末にまとめた。

「平均的な個人の豊かさを示す指標」とされるだけに日本人には内心穏やかでないかもしれない。

日本の成長力の停滞が続いている間に各種経済指標で韓国による逆転あるいは猛追現象が定着しつつある。

18年から始まった現象が昨年ごろから日本で騒がれだしたのは、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、日本経済のあり方を問う機会が増えたからかもしれない。

かたや韓国社会でこの話題に触れる場面はめったにない。

経済協力開発機構(OECD)の発表当時こそ一部の韓国紙で関連記事を見かけたが、最近となると、革新系与党の院内代表が21年9月に国会で「文政権は解放から75年で日本を超えた政権として歴史に記録されるだろう」と発言したのが目立つ程度だ。

「時間あたりの労働生産性はOECD下位」

その理由を知り合いの韓国メディアや韓国政府の関係者に尋ねると「韓国メディアは政治や外交に比べて経済への関心が薄い」とか「韓国の若者は幼いころからソニーよりもサムスンが強い時代に生きているので日本への劣等感がそもそもない」などの返答だった。

統計上の「日本超え」の実態について、韓国経済に詳しい深川由起子早稲田大教授に聞いてみた。

「購買力平価で換算する時のデータは通常、不動産価格を含まないので、韓国人が皮膚で感じるものとは当然、大きく異なります。

また労働生産性は時間当たりでみないと意味がないのもよく見過ごされる点です。

日本も長時間労働ですが、韓国ほどではないので時間当たりでみれば、韓国の労働生産性はまだOECD下位のレベルにあります」

企業間で著しい賃金格差

国民の平均賃金(年収)も、韓国が日本を上回る状態が続く。

ほぼ30年間足踏みする日本の賃金問題は今国会でも論戦のテーマになっている。

韓国の賃金は、大企業中心の「強すぎる労働組合」の存在を抜きに語れない。

組織率は低くても経営者ファミリーと対決する集団として政治化し、発言力を強めている。

若者の就職希望が大企業の正規職や公務員職に殺到し、就職難も招いている。

失業率に算入されるのは再就職を希望している人だけで、既に再就職を諦めた人も多いので失業率は高止まりして上昇しない一方、雇用率が低下している。

暮らし上向いた体感を伴わず

17年に誕生した文在寅(ムン・ジェイン)政権は「所得主導型成長」を経済政策の軸に据えて、5年間で最低賃金を42%引き上げた

22年には全国一律で9160ウォン(約880円)となり、日本との差が大きく縮まっている。

その副作用はよく知られている。

コンビニエンスストアなどの自営業はアルバイトを解雇し、家族で対応するほかなくなった。

賃金が労働生産性の伸びを上回れば競争力が落ちるので、企業は雇用を減らして対応する。

この帰結として韓国では若年層の体感失業率25%の状態になっている。

ソウルの出生率は日本の約半分以下老人世帯貧困率は約2倍。最近では若者の自殺率が30%増大している韓国では国民の間で暮らしが良くなっているという体感が伴わず、『日本に勝った!』と息巻く状況でないのです」(深川教授)

 

韓国は21年にマイナス成長から脱し、実質4%と11年ぶりの高い成長率を記録した。

が、内実をのぞくと「日韓逆転」を額面通りに受け止められない実態がみえる。

日韓に長期金利上昇リスクと家計債務爆弾

文政権を最も厳しく見つめている世代が10代後半から20代だ。

「日本を追い越した」との前述の与党幹部の発言に対してもインターネット上には冷ややかなコメントが飛び交った。

投票日を3月9日に控えた大統領選では、MZ世代と呼ばれ、無党派層が多い若者世代をいかに引き寄せられるかが勝敗を分けるといわれている。

韓国メディアによれば、韓国経済団体の全国経済人連合会(全経連)は昨年8月、上記の経済指標だけでなく製造業の競争力ランキングや国債の格付けでも日本を追い越したが、科学技術や素材・部品分野などの基礎技術の投資と競争力では依然として日本に大きく後れを取っているとの分析を明らかにした。

深川教授はこんな警鐘も鳴らす。「韓国の不動産バブル崩壊で家計債務爆弾が爆発するのが早いか、日本の経常収支の赤字転換・定着で、国債の長期金利上昇がバラマキをつぶしにかかるか。

日韓とも危険な数年に入っており、この順番が日韓関係の抜本的転機になると見ています」とし「日韓両国は目先のことで争っている場合ではない」と話す。

日本も歴史的円安水準が定着して、貧しくなれば国際競争力強化のための成長戦略がより不可避になるだろう。

しかし、昨年の衆院選と今回の韓国大統領選で乱れ飛ぶ「ばらまき合戦」を見る限り、両国の政治から強い危機感は伝わってこない。

峯岸博(みねぎし・ひろし)
1992年日本経済新聞社入社。政治部を中心に首相官邸、自民党、外務省、旧大蔵省などを取材。2004~07年ソウル駐在。15~18年3月までソウル支局長。2回の日朝首脳会談を平壌で取材した。現在、編集委員兼論説委員。著書に「韓国の憂鬱」、「日韓の断層」(19年5月)。

女優 サヘル・ローズさんが語る、母 フローラ・ジャスミンさん。苦労と困難を乗り越えて、娘を守り抜いた母

2022-02-14 16:10:55 | 日記

 

 

あらゆる苦労と困難を乗り越えて、娘を育て、守り抜いた母

私を引き取ったことで、母は両親と絶縁状態になっていました。

イラン・イラク戦争で荒廃した国で、両親の援助を断たれた母は、生きていくために日本に留学していたイラン人の夫を頼って93年、来日することを決めました。

ずっと、誰かの瞳に自分だけが映ることを望んでいた私は、母と暮らし始めてようやくその安心感を得られました。

でも、母は朝から晩まで働き通しです。

小さなアパートで3人暮らしを始めてしばらくすると、母の夫との関係が悪化してしまい、家を出て2人で暮らすことになったのです。

日本の人は親切だったし、子どもの私はスポンジのような柔軟さや、校長先生のおかげもあって、日本語もすぐに習得し、友達もできました。

でも、今ほど日本に外国の人がいなくて、英語表記も、困った人のシェルターのような場所もなかった当時、知り合いもなく、コミュニケーションもままならない母は、本当に大変だったと思います。

テヘラン大学で心理学を専攻していた母は勉強することが好きな人で、大学院を出て心理学の教授になるつもりでした。

でも、私を引き取ったために、異国の地で必死に働かざるを得なくなったんです。

自分は食べなくても私には与えるし、自分には何も買わなくても、私に必要なものは揃えてくれる。鰹節じゃないけれど、母はまさに自分の身を削っていたと思います。

絨毯

12歳から高校生まで、フローラさんと一緒に絨毯を織る仕事をしていたサヘルさん。織機にかけた経糸が途中でボロボロになったという未完の絨毯を自分たちのものにした。ふたりの生活を支えた大切な品。

「血のつながりはないけれど、あなたを娘として誰よりも深く愛せる自信があります」── フローラ・ジャスミン

どうしてそこまで身を挺してくれたのか。

それは母自身が、自分の母親の愛を受けていなかったからです。

15歳まで祖母に育てられた母がmadarと呼ぶのは祖母でした。

週に何日かは産みの親のもとで過ごすけれど、母が一緒に暮らしたのは祖母です。

母は、ボランティアで養護施設の子どもたちを世話していた祖母の姿を見て育ちました。

祖母は大腸がんで亡くなる前に、“孤児を育てなさい。血のつながりはなくても、その子を立派にしてあげて”と、母に伝えたそうです。

祖母が亡くなり、15歳で親もとに戻ったものの、親とも兄弟とも距離があり、ストレスで命を断とうと考えたほど、母は精神的に壊れかけていました。

結婚を急いだのも、早く親もとを離れたかったからだといいます。

大学院で勉強中、革命に続いて戦争が起きて、女性の立場が苦しくなるなか、ボランティア活動を始めた彼女の胸中で、祖母の言葉がどんどん大きくなって……そんなとき、母は私と出会ったんです。

それまでも母はたくさんの子と会っていましたが、会った瞬間madarと呼ばれたとき、自分が祖母を呼ぶのと同じ響きを感じ、自分が会うべきはこの子だったのだと、そう確信し、覚悟したのでしょう。

目の前で自分をmadarと呼び、手を差し出してきた私の手を握っただけで、母は特別なことをしたつもりはなかったそうです。

「真に人を支える」とは

ずっと私のことを支えてくれた母に何も返すことはできないけれど、それでも今は全力で、彼女を幸せにしたいと思っています。

ただ、数年前、母にがんが見つかり、一生、母といることはできないという事実を突きつけられたとき、私は自分自身が自立しなければいけないことに気づきました。

病気で弱くなった母がある日、私に“ごめんね”といいました。

本来、孤児を引き取るのは裕福な家庭で、養子縁組はその子を幸せにするためのもの。

異国の地で路上生活や、食べるにも困る生活を強いた自分はあなたの人生を滅茶苦茶にしたと、母は泣きながらいうのです。

私はそんなふうに思ったことなど一度もなかったし、大学院を卒業して教壇に立つはずだった人に、今は関係を修復したとはいえ、家族との縁を切らせてしまったのは私です。

私たちはお互いに“ごめんね”という気持ちでいました。

本当に苦しいとき、母は強い親を、私は優等生のサヘルちゃんを演じていたけれど、互いの弱さや傷を共有できたとき、それまでよりも相手を理解できたと思います。

サヘルさんがフローラさんから受け継いだ指輪

母から娘へ、サヘルさんがフローラさんから受け継いだ指輪。石の表面には、イランで最も有名な詩人、ハーフェズの詩の一節が記されている。

10年ほど前、私は貧困地帯の子どもたちと、彼らを支援する若者にスポットを当てる番組の司会を担当させてもらいました。母との縁がなかったら、私もこの子たちと一緒だったのではないか。

教育の機会や生きる権利を奪われている彼(彼女)らと会って、そう思い、まずは自分の国と、カンボジアの子どもたちの支援を始めたのですが、そのとき母にこういわれたんです。

“外国への支援も大事なことだけど、自分たちがお世話になった日本にも、できることをしてほしい”と。今、日本では2つの施設で支援を行っています。

どんな子どもにも、可能性はあります。

彼(彼女)ら自身が道を選択できるよう、背中を押してあげること。

あなたたちを見ているよと、意思表示すること。大切なのはそういうことです。

支援は一歩間違えると支配に変わってしまうもので、かわいそうだからという支援は、私はしたくないし、支援をしてあげているという考え方は間違いだと思っています。

また、延々と支援を続けることも、子どもたちの自立を阻むことになります。

自分で自分の将来を考え、そのレールにのることができるよう、教育の機会を与えることで、動線づくりをサポートする。

 

自分が母にしてもらったような支援をすることが、私のやり方です。

「辞書にはない愛以上の言葉」で自分の気持ちを伝えたい

たとえおなかを痛めて産んだ子どもじゃなくても、愛をもらっていると、親子は似てくるものです。

本当に、母は私に惜しみない愛を与えてくれ、私たちは周囲の人たちの愛によって生かされてきました。

愛以上のことばを探して自分の気持ちを伝えたいと思う存在。それが私にとっての母なんです。

母にとって、私は何歳になっても彼女が引き取ったときのサへルちゃんのままです。

ずっと忙しくて親らしいことをできなかったと思っている母は、育てることがとても好きな人で “サへルに結婚はしてほしくないけれど、赤ちゃんは産んでほしいな” なんていっています(笑)。

「一輪のバラのように、強く凜と生きてほしい」── フローラ・ジャスミン

母に何か少しでも返すことができればと思い、10年ほど前に彼女の昔からの夢だった庭づくりを始めました。

最初は自宅のバルコニーでバラのアーチをつくり、50種類くらいまで増えたところで、近所のかたに“家の近くの場所をぜひ使ってください”と、声をかけていただき、そこに移植して6年。

今、バラの種類は130を超えました。私は仕事があるのでなかなか手伝えませんが、母は小柄な体で一生懸命、消毒や剪定をしています。

サヘル・ガーデン

娘にローズという名前をつけたように、大の花好きのフローラさんの、いつか庭づくりをという念願を叶えるため、ふたりで手がけたバラ園。家のバルコニーで始めたバラ園を、近所の空き地に場所を移して6年。開放されているサヘル・ガーデンのバラの種類は130を超えている。

私にローズという名を与えてくれた母にとって、ここにはたくさんのローズ=母にとっての娘、私にとっての姉妹がいます。同時に母は、自分がいなくなったとき、私がここで母との思い出を感じられるように、形見をつくっているのかもしれません。

サヘル・ローズさんとフローラ・ジャスミンさん

母ががんになって、一生この人といられない事実を前に、自立しなければと考えたとき、母としていた約束を叶えようと思い、イラク、ヨルダンを旅しました。

“国境の向こうにもあなたと同じような状況の子どもたちがいる。

イラクの現状を見ておけば、人を国籍や人種の違いで見なくなるから”。母はそういいました。

イラン人がイラクに行くことには不安もありましたが、実際、会った彼らは温かく、そこで見る空も、夕日も変わりはありませんでした。

イラン・イラク戦争時に戦った元兵士のかたは、私がその頃に生まれたと伝えると“申し訳ない、戦わなければ自分の家族が殺されていたから”と、涙を流していいました。

国のために戦っても、国は何もしてくれません。

今も少数民族の娘は性的奴隷にされ、息子は銃殺される。人間って何なんだろうと思います。

日本のかたは私の経験を聞いて、大変だったねといってくださるけれど、愛のある人に育てられ、たくさんの人に救われた私は幸せだと思います。

母は私に“次に生まれてくるときは、私のおなかから出てきてね”といいました。

“お母さんはサへルのオムツも替えていなければ、おっぱいもあげていないし、赤ちゃんのときのサへルも見ていない。だから、次はそういうことをしてあげたい”と。本当に、母は私に限りない愛を与えてくれたのです。


サヘル・ローズ、体験つづった新著で「結婚しない私、心配しないで」

2022-02-14 15:58:21 | 日記

サヘル・ローズ、体験つづった新著で「結婚しない私、心配しないで」

イラン出身で、俳優として活躍するサヘル・ローズさん(36)が1月、書籍「言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”」(講談社)を出版しました。
 
差別や貧困などを経験してきたローズさんに、コロナ禍で不安や生きづらさを感じている人への思い、30代の同世代に届けたいメッセージを聞きました。

――本を通して伝えたいことは?

「困難を経験してきた自分だからこそ、伝えられること、力になれることがあるのではないか」と思い、本を書きました。

生い立ちに触れ、自分の経験や失敗談をつづりながら、母や、私を助けてくれた人たちの言葉を詰め込みました。

貧困、いじめ、困難を救ってくれたつながり

――これまでにどんな経験をされたのですか?

イランの児童養護施設で暮らし、養子縁組した養母と8歳のときに、来日しました。

外国人母子家庭で、差別も貧困もいじめも経験し、一時は絶望し、ギリギリ自死から逃れたこともあります。

日本語を教えてくれたのは、通っていた小学校の校長先生です。

日本の文化も習慣も知らず、言葉もわからない。

戸惑う私に、「お昼休み以外は教室にいかなくていいから、校長室においで」と言ってくれました。

一時、住むところに困り、公園で生活していたときに、小学校の給食調理員のおばちゃんが、「大丈夫?」と声をかけてくれ、ごはんを食べさせ、自宅に泊めてくれました。

母は働き詰めで家にいない時間が長く、中学時代はいじめにもあって学校でも居場所がなくなりました。

すごくしんどくなって死を考えたことがあります。

母に打ち明けると、死ぬことを止めなかった。

「いいよ。サヘルのやりたいようにやって」と言ってくれました。

「自分も生きる意味がなくなるから、ついていくね」と。

それらの言葉をもらったとき、母の深い愛を感じ、死んではいけないと思いました。

その出来事があって、「お母さんにちゃんとしたご飯を食べさせたい。お母さんを幸せにしたい」と生きる目標が見つけられました。

母はもちろんですが、給食のおばちゃん、校長先生など、いい人がまわりにいてくださり、誰一人血がつながっていなくても、つながりあい、支えられ、救われてきました。

さまざまな困難を切り抜けてきたからこそ、今、弱っている人々に、同じ気持ちで寄り添えるのではないかと思いました。

本を通して、少しでも温かい気持ちになってもらえたらいいな、と思っています。

サヘル・ローズさん(読売新聞写真部 青木瞭撮影)

――現在の活動について教えてください。

自分の経験もあって、日本の児童養護施設の子どもを支援したり、海外では難民キャンプや学校に行けない子どもの支援をしたりしています。

なんでも急には変わりませんが、地道にやっていくと花開くことがある。

もっと社会を変えていきたい、メッセージを訴えたいとも思いますが、自分のキャパシティーを超えすぎないように、こつこつと活動していきたいです。

仕事でも、支援でも自分が苦しかったり、家族を置き去りにしたりして行うものではない。

この十数年の間に、幾度もキャパシティーオーバーを起こし、失敗をしてきたからこそ、そう思います。

疲れた時は立ち止まっていい

――同世代の女性に伝えたいことは?

20代はいろんな冒険や挑戦をしてきたけれど、30代になって、ふと不安に駆られたり、迷いが生じたり、という女性は多いのではないでしょうか。

私も30代となり、

「結婚しないの?」とか、

「そろそろ子どもは?」などと言われる機会が増えましたが、

「私は今のままで幸せ。まじめなのも、繊細なのも、結婚しないのも、これが私の生き方。だから安心して」と伝えたいです。

社会は何かと私たちを年齢の枠にはめようとします。女性も子どもを産まずに養子を考えてもいい。

家庭ではなく、やりたいことがあるなら、それを追いかけてもいい。

この先の人生で、やっておけばよかったと後悔しないよう、自分らしく生きてほしいし、自分もそうありたいですね。

もちろん疲れたときは立ち止まっていいし、やめたかったらやめてもいい。

エッセー集「言葉の花束」について語る俳優のサヘル・ローズさん 大手小町 読売新聞 青木瞭撮影
サヘル・ローズさん(読売新聞写真部 青木瞭撮影)

これまでの人生について話すと、深刻に受け止められ、かわいそうに思われがちなのですが、自分としてはずっと前を向いて歩いています。

人間ってどんどん更新されていくものだと思うから、今の私をみてもらいたい。私の出会ってきた言葉が、多くの方に届けばと願います。

(聞き手・読売新聞メディア局 谷本陽子)


後期高齢者の医療費自己負担割合が2割になる条件 該当するか要確認

2022-02-14 14:49:17 | 日記

 

後期高齢者の医療費自己負担割合が2割になる条件 該当するか要確認

6/15(火) 17:06配信

 

後期高齢者の医療費自己負担割合が2割になる条件

 

令和3年6月4日に、75歳以上の後期高齢者のうち、一定の所得がある人の医療費自己負担割当が1割から2割に引き上げる医療制度改革関連法案が成立しました。 元記事で画像を全てみる 今記事では、執筆時点の情報を元に、自己負担割合が2割対象となる条件を解説します。

単体世帯なら年収200万円以上

後期高齢者が世帯で1人の場合、年収200万円以上かつ課税所得28万円以上に該当する場合、医療費自己負担割合が2割になります。 年収は年金収入だけでなく、他の所得金額も合計した金額となるので、年金以外の収入源をお持ちの方は注意が必要です。 課税所得とは、基礎控除額や社会保険料控除を差し引いた後の金額です。 年収200万円を超えている人でも、扶養親族など所得控除額が多く、課税所得28万円未満となる場合、医療費自己負担割合は1割のままとなります。 ■単体世帯の所得基準判定の計算例 ・ 年金収入 200万円 ・ 公的年金等控除 110万円 ・ 社会保険料控除 16万円 ・ 基礎控除額 43万円 年収基準判定:200万円≧200万円 課税所得基準判定: 200万円-(110万円+16万円+43万円)=31万円 31万円≧28万円 → 医療費負担2割の対象

夫婦なら合計年収320万円以上

後期高齢者が世帯で複数人いる場合、年収は世帯の後期高齢者の年収を合計して算出します。 計算方法は介護保険の利用者負担割合と同じです。 一方、課税所得の判定は世帯合計ではなく、世帯の中で課税所得が最大の人の金額で判断します。 世帯年収320万円以上かつ、世帯内の後期高齢者のうち課税所得が最も多い人の課税所得が28万円以上に該当する場合、医療費自己負担は2割となります。

年収383万円以上の方の医療費自己負担割合は3割

現在の法律においても、現役世代並みに収入がある人は、医療費自己負担割合は3割です。 単体世帯だと年収383万円以上、世帯に複数人の後期高齢者がいる場合には合計年収520万円以上になると、3割負担になる可能性があります。 相続した不動産を売却したり、株式の売却利益が発生するなど、偶発的な収入があった場合、医療費自己負担割合が3割に引き上がることも考えられますのでご注意ください。

施行後3年間は緩和措置が講じられる

医療費自己負担割合の引き上げは、令和4年度後半に実施される予定です。 ただ負担割合が2割に引き上がってから3年間は、1月分で負担が増える金額を最大3000円に収まるような経過措置が講じられる見込みです。 ご家族に対象となる後期高齢者がいらっしゃる場合は、施行日が決まりましたら、病院などに支払う金額が増えることをお伝えください。(執筆者:平井 拓 / 12年勤務した税務署を退職し、ライターとして活動中。相続税・贈与税・所得税が専門。)