しもじも日記

書くの大好き。

どんな意見に反応する?

2016-08-10 23:46:47 | 日記
最近ちょこちょことTwitterの投稿回数を増やしはじめた。

TwitterやFacebook のシステムの中に『いいね』のシステムがある。

私は、この『いいね』というのに人間の心理が大きく影響する、オモシロイなと、興味がでてきた。

『いいね』というのは 、個人の意思で投稿されたり『いいね』をクリックしたりできるものなので、人の心理が大きく現れるのかなと最近感じてきた。

Facebookなんかは自分の友人やその知人がいたりするが、Twitterなんかはハッキリいってあったこともない人がほとんど。それにしてもいろんな『いいね』の押し方があるものだなと感じる。

Twitterのいいところは、自分の知らない人とうかあったことがなくても勝手にフォローできるのであまり気を使わずに、なんとなく「これ、ええやん」と、思ったら気軽に『いいね』をクリックできる。また、文章が140字なのでたくさん文章が投稿できないのでさっと見ることは出来る、ある意味お気軽な思いついたことをさっと投稿でき、さっと見ることが出来るスグレモノなのかも。

さて、Facebookの方はというと、人のFacebookの扱い方をみていると、登録しているだけの人から、とても熱心な人まで非常に幅広い。


ビジネスに使う人、交流の場として使う人、子育てや彼氏彼女の記録として使う人、様々である。


ところで、Facebookの『いいね』とは、見ましたよと言うことなのか? ホントにその内容に、共感しているのか?

これは以前、古谷錬太郎さんからお聞きしたことであるが、『いいね』の数が多いのは、中味は意外に単純な方がいい。多分中味が大したことではないので、『いいね』を押しやすいとのことだった。

確かに、深く考えたことや意見じみたものを書くと、『いいね』を押す人の数は激減する。そこで一番はじめにクリックする人は勇気がいるし、コメント付けるという事はもっと勇気がいる。でも、そこでコメントつけてくる人というのは、しっかり内容を読まれて反応しているということだから貴重な読者なのかもしれない。

このように、どんな意見にどんな人が反応しているのか?これはなかなかオモシロい。

 

 

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多方面から見てみる ~好きと嫌いと~

2016-08-10 00:55:30 | 日記
相手のことをちゃんと知ろうとする。これは「好意」である。
マーケティングと古谷錬太郎さんはおっしゃいます。

マーケティングすることによって、いつか「信頼」や「信用」になったり、「愛情」になったりする。

反対に、興味の無い相手のことは、別に知りたくもない。それが無関心というもの。

面白いのは、にんげんは「嫌いな人」のことって逆に知ろうとする。モチロン、信頼も信用もしていないし、疑いまくってしまう。

こいつは絶対にイヤな奴に違いない。きっちり確かめてやろうという風に調べまくる。

相手のことを細かく観察する。そして自分の感情は正しかったということの証明がほしいのである。

そして叩きたい部分が見つかればコピー&ペースト(๑•🐽•๑)
特定の人にコイツはこんなやつだからと説明する。

私自身も最近どうしても許せないことが重なっていて、このようなことを考えてみんなに言ってやろうかと正直なところ思ったが、それをしてどうなるのだろう。

あー
やっぱりアイツはアカンな。

と聞いた人間がそういうふうに言ってくれたら、その時は
「だから言ったでしょ」
というふうに持っていっているハズ。

でも、悪い情報を流すと結局のところ被害者の会みたいになるというか、そうすることで味方に取り込もうとする…のは、やはりそれはワタシのプライドが許さなかった。

それはやっぱり嫌だな。

腹が立つ部分はあってもいいところも必ずあった。オモシロイことに、そういう人の方がある面では非常に魅力的なところがあったりする。

以前、倫理法人会でワタシが最も尊敬する新大阪の鈴木様が講和で仰っていたことを思い出した。

「みんなは嫌だと思う時はそこだけに集中する。それを違う面から見て見てはどうだろうか。僕を嫌う人はいるけれど:僕は嫌いな人はいません。」が、フッとでてきた。

そうなんだ!
どんな人にもいいところも悪いところもある。

一方から見るのはやめよう。







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選ばれる性 大切にされたい

2016-08-10 00:08:30 | 日記
ほかの人といると嫉妬される。
これほどしんどいものはない。

私自身、昔はそうだったのかも。
気持ちはよくわかる。

彼氏がほかの女友達と遊ぶのをとてもイヤがる。
オバチャンやおばあちゃん、小さい子供やブサイクだと大丈夫だが、女度が高い女性には嫉妬がでる。

なぜなら、「選ばれる性」である「女」は、自分という存在が大切にされているかを、関係性のなかでもとてもきにする。

他の人と遊ぶという事は、「遊び相手として自分が選ばれなかった」ということであり、何かを話すにしても自分が「一番先に話したい相手」として選ばれなかったということである。

書きすぎかもしれないが、選ばれようが選ばれないかは、自分の努力不足であって他の女性に転嫁するものではない。

一番伝えたい相手に本音を言えば良い。「どうして私を選んでくれなかったの」と。寂しいなら寂しいと相手にきちんと伝えるべきである。それでも逃げるようであれば、それはそういう男だということだ。相手の女性に嫉妬するより自分の顔をよく見た方が良い。嫉妬をしている時の顔はブサイクだから。


ただ、「選ばれる性」としての傷ついた「女」のパターンでもあるけれど、視点を変えればいいのにとついつい思ってしまう。

まだまだお若いのかも。




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