勝沼ぶどう郷駅周辺は桜見物の団体客もいてにぎやかです。
大手旅行会社のツアーのようで胸にバッチをつけています。ほかにも桜の下で結婚式で使うのか写真を撮る人、小学校の入学記念写真を撮る親子がいたりと思い思いに。
勝沼駅周辺での見どころといえば第一にこのEF64形機関車。山岳線用の直流機関車でかつては八王子機関区に配置されて貨物列車はもちろんですが旅客列車も。山を登るのに夜行列車でお世話になった御仁もいるのではないでしょうか。今はすっかり新型の機関車が目立ちますが一部はまだまだ現役です。その機関車の横を通り階段を上ると辿り着く場所があります。
線路の横に古いトンネルがありレールが延びています。どういう場所かといいますと。
「大日影トンネル遊歩道」と言いまして、中央東線が開通した明治時代に作られた大変古いトンネルです。開通以来山梨や長野の物流を支えてきましたが老朽化もあって横の新しいトンネルに変わったんですが、それが1997年と比較的最近まで使っていたのだから驚かされます。スーパーあずさがデビューしたのは1993年ですから最初はこちらを通ってたことになりますね。新トンネルに移行後はそのまま放置されていましたがJR東日本から当時の勝沼町に無償譲渡されて観光用に遊歩道として整備されました。私が来たのは二度目になります。最初に来たときは山梨在住の頃で遊歩道が開通して間もないころ。ニュースで知って平日に来ましたがほかに誰も歩いていなかった記憶があります。
それではトンネル内に進みましょう。
中はとてもひんやりとしていて風がすーっと通り抜けているような感じです。トンネルですから基本暗いですがところどころ蛍光灯が灯っています。
レールや架線はそのまま残されていて、トンネルの左右を歩くために舗装されたことと、天井はところどころ球形の照明が設置されたくらいです。灯ってはいませんでしたが。壁面はレンガ積みで白くなってたり黒く煤けています。白いのはレンガ積むときに使った石灰が地下水によって溶かされて一部が析出したもので煤は開業から昭和6年までは蒸気機関車だったので、当時のものがそのまま付着しているとのことででした。それにしても長大トンネルが続くとはいえ非常に早い時代に電化したのですから、日本という国が中央東線を産業路線として重要と位置付けていたのがわかります。この時に八王子から甲府まで電化されますが、ほかの路線では東海道本線は東京から国府津までで(丹那トンネルはまだ開通してません)東北本線や高崎線は未電化。関西では昭和9年に吹田と神戸が電化されて電車が走り始めましたので。
ちなみにトンネル内は25パーミルの勾配がずっと続きます。1000メートルで25メートルの勾配差があります、1,400メートルほどなので35メートル上っている計算になりますね。
標識や鉄道電話もそのまま残されてたり(電話はつながりませんよ勿論ですが)。
途中の線路は真ん中が排水溝になっています。いまはほとんど流れていませんです。
ところどころに保線員の待避所があります。列車が来たからと言っていちいち出ることはできませんし、これが無いと轢かれてしまいます。その場所にこのような解説パネルがあります。
そして歩くこと20分あまりで。
ようやく外が見えてきました。
外に出るとひんやりからモワっとした空気に変わりました。なかなか距離がありますが達成感もひとしお。経産省の近代化産業遺産に認定されているそうですが、個人的には世界遺産に匹敵しますよこれは。八幡製鉄所などとセットに申請しておくべきじゃなかったのかって思いますね。
しかしこのあと同じ道を引き返さねばならない…。また20分余りあるくのかぁ。
大手旅行会社のツアーのようで胸にバッチをつけています。ほかにも桜の下で結婚式で使うのか写真を撮る人、小学校の入学記念写真を撮る親子がいたりと思い思いに。
勝沼駅周辺での見どころといえば第一にこのEF64形機関車。山岳線用の直流機関車でかつては八王子機関区に配置されて貨物列車はもちろんですが旅客列車も。山を登るのに夜行列車でお世話になった御仁もいるのではないでしょうか。今はすっかり新型の機関車が目立ちますが一部はまだまだ現役です。その機関車の横を通り階段を上ると辿り着く場所があります。
線路の横に古いトンネルがありレールが延びています。どういう場所かといいますと。
「大日影トンネル遊歩道」と言いまして、中央東線が開通した明治時代に作られた大変古いトンネルです。開通以来山梨や長野の物流を支えてきましたが老朽化もあって横の新しいトンネルに変わったんですが、それが1997年と比較的最近まで使っていたのだから驚かされます。スーパーあずさがデビューしたのは1993年ですから最初はこちらを通ってたことになりますね。新トンネルに移行後はそのまま放置されていましたがJR東日本から当時の勝沼町に無償譲渡されて観光用に遊歩道として整備されました。私が来たのは二度目になります。最初に来たときは山梨在住の頃で遊歩道が開通して間もないころ。ニュースで知って平日に来ましたがほかに誰も歩いていなかった記憶があります。
それではトンネル内に進みましょう。
中はとてもひんやりとしていて風がすーっと通り抜けているような感じです。トンネルですから基本暗いですがところどころ蛍光灯が灯っています。
レールや架線はそのまま残されていて、トンネルの左右を歩くために舗装されたことと、天井はところどころ球形の照明が設置されたくらいです。灯ってはいませんでしたが。壁面はレンガ積みで白くなってたり黒く煤けています。白いのはレンガ積むときに使った石灰が地下水によって溶かされて一部が析出したもので煤は開業から昭和6年までは蒸気機関車だったので、当時のものがそのまま付着しているとのことででした。それにしても長大トンネルが続くとはいえ非常に早い時代に電化したのですから、日本という国が中央東線を産業路線として重要と位置付けていたのがわかります。この時に八王子から甲府まで電化されますが、ほかの路線では東海道本線は東京から国府津までで(丹那トンネルはまだ開通してません)東北本線や高崎線は未電化。関西では昭和9年に吹田と神戸が電化されて電車が走り始めましたので。
ちなみにトンネル内は25パーミルの勾配がずっと続きます。1000メートルで25メートルの勾配差があります、1,400メートルほどなので35メートル上っている計算になりますね。
標識や鉄道電話もそのまま残されてたり(電話はつながりませんよ勿論ですが)。
途中の線路は真ん中が排水溝になっています。いまはほとんど流れていませんです。
ところどころに保線員の待避所があります。列車が来たからと言っていちいち出ることはできませんし、これが無いと轢かれてしまいます。その場所にこのような解説パネルがあります。
そして歩くこと20分あまりで。
ようやく外が見えてきました。
外に出るとひんやりからモワっとした空気に変わりました。なかなか距離がありますが達成感もひとしお。経産省の近代化産業遺産に認定されているそうですが、個人的には世界遺産に匹敵しますよこれは。八幡製鉄所などとセットに申請しておくべきじゃなかったのかって思いますね。
しかしこのあと同じ道を引き返さねばならない…。また20分余りあるくのかぁ。