気になること

視点を変えて、近頃気になること

傾聴ボランティア(6)人は死ぬと宇宙の塵になるという考え方

2015-02-08 12:44:32 | 傾聴
 ある老人健康施設入所の高齢の女性から、「今、ここでは車椅子なので動くのが困難だが、死後は宇宙に行って自由に動きたい。そういうことを考えると、死も怖くない」と言われ、びっくりした。誰かが言ったことなどではなく、ご自身で考え至ったことと思われたからである。女性が考えたことは、いかにも深遠であることを感じる。
 「宙」の連想だが、西野バレエ団を創始した西野皓三氏の著書『西野式呼吸術』には「宙遊」という概念が紹介されている。心地よい温泉につかり、身体がふんわりと自然に浮かんでいるような状態で、近代的イメージでは無重力空間を自由に遊泳しているような状態に近いという。呼吸法などにより「宙遊」でいられるようになると、潜在能力が現れるという。
 捉え方は少し異なるが、戸塚洋二著『がんと闘った科学者の記録』のp.219には、死の恐れを克服する考えの一つとして「宇宙」が出てくる。「宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いずれは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、“自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく”が、決してそれが永遠に続くことはない。いずれは万物も死に絶えるのだから、恐れることはない」
 飛んで、『華厳経』はこの宇宙全体が仏だと言っているという。その仏が慮舎那仏・毘慮遮那仏である。密教の大日如来と同じだそうです。
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傾聴ボランティア(5)認知症の方の傾聴はできないか

2015-02-03 12:01:47 | 傾聴
 認知症の方の傾聴は難しい、傾聴の意味があるのか、と本人に関わる人は悩みます。
 「認知症は病気であり治療薬の研究も進んでいる」という説明は、今まで認知症が痴呆と言われ、周囲の誤解や偏見を受けていた時代から脱却する過程でよく言われた。今では、認知症に対する社会の理解も年々深まっている。しかし病気と言ってしまえば医師と患者の関係だが、認知症の場合は医師と介護する人の関係になるので、まだ治せる薬が無い以上、対応を考える必要があるという。
 進行を遅らせる薬はあるが未だ治せない病気(近く治療薬ができると言われているが)であれば、薬に頼るほかに、生活を豊かにするための工夫が必要である。言い換えると、「認知症が脳の病気だと言ってしまうと、本人の不適切な言動や暴言暴力等はすべて病気のせいだということになり、本人の訴えはまともに取り上げられなくなる。
 「認知症は脳全体の病気でなく、記憶を中心とした部分であり、ものの見方や考え方、感情や他人への配慮や気遣いには、ほとんど影響を及ぼさない。それを理解しない介護者の対し方は、症状を余計悪化させている可能性がある」という。
「認知症高齢者の現在ある姿を、何か問題を抱えている人としてではなく、今のままでいいのだと肯定的に捉え、優しく丁寧に向かい合うのが大事ではないか」ともいう。
 医療が間に合わない分は、傾聴ボランティアも何かできそうな気がするが、具体的にどうしたらよいかいつも悩む。参考文献の「介護者の対し方」に準じた態度が必要と思う。
  参考文献:① 上田諭 著『治さなくてよい認知症』
         ② 『月刊 傾聴ボランティア 平成26年12月号』(ホールファミリーケア協会)

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傾聴ボランティア(4)認知症の方の傾聴

2015-01-22 12:59:15 | 傾聴
 認知症が進んだ方の傾聴は、「ことば」によることが難しくなる。
しかるに、「聴」の旧字は「聽」で、偏の『「耳」は「王」様』、旁は『プラス「目」、そして「心」で受け止める』という文字から成り立っており「暖かさを交換すること」を表しているという。すなわち、「聴く」とは、耳だけでなく目や心でも受け止めることを意味していて、ことば以外のコミュニケーションによって、認知症の方にも「傾聴」が出来る可能性がある。極端な場合は、側に寄り添うことでもよいと言われているが、沈黙が続くと恐怖に襲われることもある。タッピングタッチもよいとされるが、これは研究中。
 ことばが少しでも交わせる方に対しては、長期記憶の扉を開くような開かれた質問をしたり、季節・日時を時々伝える、ここはどこか、安全な場所であることの確認や、今何をしようとしているのか、などの繰り返しの「言葉がけ」で安心してもらうようにするが、何かしら受け答えをしていただくと、うれしく感じる。
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傾聴ボランティア(3)「いま、ここ」

2015-01-19 20:21:00 | 傾聴
  傾聴ボランティアの会(ピアーグループ)には大勢が登録しているが、多くの老人介護施設があるので一ヶ所に行ける人数には限りがある。その施設にも多数の方がおられるし、あるインターバルでしか行けないので、いつも同じ方の話を聞けるとは限らず、また高齢のためもありボランティアの顔を覚えていてくれる方は少ない。したがって、いつも初対面と同じ状態で会話を始めるので話が積み上がらないことが多く、傾聴ボランティアをやってどのような効果なり意味があるのか、という疑問にぶつかるボランティアも多い。
 「Here and Now いまここ」ということばを初めて聞いたのは、「傾聴ボランティア講座」を受講した時であった。いまここで楽しい事を思い出させてやるのが、傾聴者の役割であるという。そのときは、「いまここ」でたまの楽しい時間を持っても、かなり刹那的ではないか、楽しいことが持続しないでお互いに寂しくないかと懐疑的であった。それ以来ずっと、「いまここ」が気になっていた。
 TVで見たが、おそらく認知症の方の様に、記憶を失いながら「いまこの瞬間」のみを生きていると思われる方々には、傾聴活動をする我々にも、「いまここ」の対応が必要かもしれない。
 A・スマナサーラ著『自分を変える気づきの瞑想法』には、瞑想の効果についてではあるが、「誰もが過去(悩みなど)と将来(心配など)に思考をめぐらせ、今を生きようとしない」、「今を生きれば、人生は成功し幸福になれる」とある。
 むろん企業などでは、将来に思考をめぐらせる必要があり、「いまここ」も場面により異なるニュアンスで使われている。しかし両者の共通点を謎掛けのように考えると、奥深い意味も感じられる。
 先日、ある施設に傾聴ボランティアにお邪魔したとき、90歳を超えた女性から次のように言われて驚いてしまった。すなわち「長生きすると、あなたのような人と話ができて本当によかった」と。これも「いま、ここ」だと実感した。このようなことを言われる方に初めてお目にかかった。この方は多分ショートステイなので、次にお邪魔した時にまた会えるかどうかは分からない。
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傾聴ボランティア(2)共感と受容

2015-01-04 15:49:29 | 傾聴
 傾聴には、相手の話を相手の身になって気持ちを感じ取るように聴く「共感的理解」や、相手の言うことを無条件に受け止め相手の考えや意思を大切にする「受容的態度」が必要である。
 受け売りであるが、木下映画では、映画の中で愚痴を言う場面があり、話者は愚痴を聴いてもらうことで、よく分かってくれていると感じる(共感)という。
 ボランティアも「HELPする人から、SUPPORTする人へ」変わるべきと言われる。HELPする人は、支配・従属的なタテの関係であり、SUPPORTする人は支援的・協力的なヨコの人間関係であるという。施設に傾聴に行って、利用者さんから「先生」と呼ばれてしまうようでは、SUPPORTする人とは言えないと感じる。
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