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頑固な意識、柔軟な意識

2017-04-29 17:49:42 | お話
🍀🍀頑固な意識、柔軟な意識🍀🍀


ほとんどの人間は頑固な性格です。

過ちを犯しても、自分が悪いと思いません。

あなたが、そうさせたから悪いのだろう、とすぐ人のせいにします。

誰に言われようと、自分が出した結果に、誰彼の意見がかかわることはありません。

すべて自分が出した意識の結果です。

他人責任という言葉はありません。

すへて自己責任なのです。

例えば、誰かが私に、頼み事をしたとします。

こんなことをすればうまくいかないのに、

と思いつつ、頼まれたのだからその通りにやれば良い、

と自分の思いとは、裏腹な行動を起こすとします。

その結果、私が思った通り、円滑にことが進まなかった、とします。

しかし、私は、言われた通りやっただけで、私には責任はない、と主張するでしょう。

しかし、このときの失敗の罪は、

依頼者の罪より、私の罪の方が大きいのです。

一般的には、

「言った奴が悪いのだよ」

「あなたは言われた通りやっただけで、あなたに責任はないよ」

と思いがちです。

では、「どうして私に重い責任が生じるか」ということです。


私は、私のエネルギーに逆らったのです。

エネルギーとは意識のことです。

この罪の清算は、人間界の作った罪の清算ではなく、

自然の法則によって、裁かれるわけですから逃げようがないのです。

肉体の怪我や病気など、日常生活の中に何らかの形に現れてきます。

天罰とは、自己責任に意識を向けさせるために存在するのであって、

天に逆らった罰だ、と表面的に存在するものではないのです。

それでも頑固な意識を持っている者は、

天罰だ、と夢にも思いませんから、

自分の身に起こった災難だと思い、

相手の損失と自分に起こった災難とは、別の問題だと信じ込んでいます。


この世にかかわる出来事で、自分自身に関係のない出来事は、一物もないのです。

なぜなら、人の数だけ命があるのではなく、

たった一つの命が、すべてを生かしているからです。

たった一つの生命循環の中に、私個人に関係ない、という行動意識は、絶対に成り立ちません。

すべて、連帯責任なのです。

頑固な性格の人が多いと、社会は円滑にまわってきません。

頑固な性格から柔軟性の性格に、

自分自身が変わることが大事だと思います。

失敗を自己反省し、原点である意識を変えていく。

これこそが、柔軟性を持つ心、天の道だと思います。

自己反省とは、法則に軌道修正したということです。

法則という無限循環に導かれ、

無限の道を歩む心、この柔軟性を持つ意識、悟り、そのものです。

逆も真成り、といえます。

他人に成している、とは自分に成している、ということです。

何故かというと、生命一元の中に、他人が存在しないからです。

自分では、相手を他人だと思っていても、

真実の世界で他人という世界は、存在していないのです。


目に見える世界だけを信じて生活をしている人たちには、

すべての人類が兄弟姉妹などとは、信じろと言う方が罪かもしれません。

何故かというと、自分を産んでくれた親も、自分が産んだ子供も、全て空という親が生んだ肉体結果であり、

われわれは、空という親に生かされている立場なのです。

この立場は、自我の心で、私はそんなこと信じない、

私はそんなこと認めない、

といくら思ったところで、「真」成る法則は変わるものではありません。

法則を認め、法則に法って歩むことが大事な意識だと思います。

法則という親は、私たち子供を殺しめたり、罵ったりという行為は絶対いたしません。

法則という親に逆らって、

法則という親の言うことを聞かない結果、

失敗という世界があるのです。

たった1人の生命親のことを、神といいます。

神は万象万物の親なのです。

たった1人の親が、何十億の人間を生んできたのです。

宇宙は神という生命体、

だから世界みな兄弟で宇宙家族なのです。

「我、個人に有らず」

「我、宇宙なり」

と、柔軟の意識を持つことが最も大事なことと思います。


(「フリーエネルギー版、宇宙のたった一つの神様の仕組み」飯島秀行さんより)