🌸🌸告白🌸🌸
翌日の6月10日には、以前から母と会う約束をしていた。
さおりちゃんの宿題が僕の脳裏に引っかかっていた。
本当は父と話なんてしたくなかった。
父に本当のことなんて言いたくなかった。
でも、入院したらそのまま退院できないかもしれない。
入院したらどうなるかわからない。
ゆっくり話なんてする機会は、もうないかもしれない。
言うしかない。
やるしかない。
やるなら明日しかない。
父にも来てもらおう。
僕は覚悟を決めた。
中野から帰った晩、僕は実家に電話を入れた。
「明日、お父さんにも来てほしいんだけど」
「ちょっと待ってね」
パタパタと足音が遠ざかり、しばらくすると足音が戻ってきた。
「うん、お父さんも行くって言ってる」
「ありがとう」
僕は長男も同行させることにした。
おそらく父親としての時間は少ないだろう。
ならば僕がボロボロになる姿を、僕の情けない姿を、ありのままの姿を見せることが、今の僕にできる最後のことだった。
6月10日、僕は長男と2人で、待ち合わせた喫茶店に向かった。
しばらくすると両親がやってきた。
「大丈夫?」母は心配のあまり白髪が多くなっていた。
「痩せたな」父も心配そうに僕を見ていた。
「今日は来てくれてありがと。今日はね、入院前にぜひ話しておきたいことがあるんだ。父さんに」
父は緊張気味にうなずいた。
「実はね、この前カウンセリングを受けて、自分の感情を外に出すことが必要だってアドバイスされたんだ。
僕の話を聞いていろいろ反応したり、それは違う、とか言いたくなることもあると思うけど、
最後まで黙って聞いてほしいんだ」
「わかった」
「実はね、僕は、父さんからずーっと認められてないって感じていたんだ。褒められてもらった記憶がない」
「……」
「いつもああしなさいとか、こうしなさいとか、ここがダメだ、これが足りない、
まだまだ、まだまだって言われ続けて、すごく苦しかったんだよ」
「そうなのか」
「でもね、父さんはそれがあなたにとっていいと思って…」
横にいた母さんが父を気遣うように言った。
「うん、それはわかっている。でも今日は僕の気持ちを外に出すことが大事なんだ。
だから最後まで黙って聞いてほしいんだ」
僕は話を続けた。
「僕は、いろいろ強制されて、本当にイヤだったんだ。
あれしろ、これしろ、あれするな、これするなって」
子どもの頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「小学生のとき、父さんに通知表を見せるとは本当にイヤだった。
なんだこれは、ちゃんと勉強してんのかって言われることがわかってた。
こんな成績じゃぁちゃんとした職業につけないって言われたし、
これがダメ、あれがダメって…。
ま、確かに体育以外は3ばっかだったから仕方なかったかもしれないけど、
でも死刑台に向かう囚人の気分だった」
父は、無言で話を聞いている。横にいる母が、心配そうにうなずく。
「今でも覚えているけど、小学1年生の夏休み、宿題ができていないからって、『マジンガーZ』の最終回を見せてもらえなかった。
宿題を終わらせてからにしなさい、って。
説明したのに聞き入れてもらえなかった。
たった30分だよ、30分。
宿題、必死で頑張ったけど間に合わなかった。
ほんとに毎週楽しみにしていたのに、結局、最終回が見られなかった。
本当に悲しかった。
あの時は再放送なんてなかったから、見ることができなかった。
あれから40年以上経ってるけど、結局見てない。
これは一生忘れられない。絶対に忘れない」
「それは、すまなかった」
父は小さくつぶやいた。
「他にも小学6年生のとき、持っていたマンガを手塚治虫以外全部捨てられたこと。
小遣いを貯めて買い集めたマンガも全部捨てられた。
ある日家に帰ったらマンガがなくて、本棚がスッカラカンになっていた。
あの空っぽの本棚は一生忘れられない。
他にもテレビを押し入れに隠されたこと。
あの日学校から帰ってみたら、テレビ台しかなかった。
テレビが消えていた。ショックだった。
何が起こったんだと思った。おかげで見ていた番組の続きが全部見れなかった。
学校の成績でも、習った剣道でも、褒めてもらった記憶が1つも、一回もない」
僕の心の奥底に住んでいる小さな子どもが声をあげていた。
お父さんはどうして僕を愛してくれないの?
僕はそんなにダメな子なの?
テストの点が悪いから?
落ち着きがないから?
学校で叱られてばかりだから?
忘れ物が多いかな?
父はうつむきながら言った。
「そんなに褒めて欲しかったのか。でも、私も父親から褒めてもらった記憶はないけどな…」
父は言った。確かに祖父も厳しい人だった。
「まぁ、時代的なものもあるかもしれないけど、これは僕の気持ちの話。
まぁ、僕もカウンセリング受けて初めて気づいたんだけどね。僕はね… 」
熱いものが胸の奥からせり上がってきて、
言葉に詰まった。
「『大好きだよ』って言って欲しかったんだ」
口にしたとたん、涙があふれた。
父が驚いて顔を上げ、僕を見た。
「ひと言でいいから、お前は俺の自慢の息子だ、って言ってほしかったんだ。
それだけ、それだけだったんだよ」
もう声にならなかった。
頭をよしよしってほめてほしかったんだよ。
ぎゅっと抱きしめて欲しかったんだよ。
褒めてほしかったんだよ。
認めてほしかったんだよ。
なんでかって?
…そう、僕は、…。
父が…、お父さんが、大好きだったんだよ!
父を大好きだった無邪気なときの気持ちがよみがえってきた。
そう、小さな僕は、お父さんが大好きだったんだよ!
だから、だから、父さんに褒めてもらえなくて、認めてもらえなくて、悲しかったんだよ!
深い心の中に隠されていた気持ちが、渦を巻いて吹き出していた。
僕はぐちゃぐちゃになった。
嗚咽で肺が苦しくなった。
涙で父の顔が見えなくなった。
涙が喉に入り、むせて咳が止まらなくなった。
横から長男がティッシュを渡してくれた。
「ただ、ただ、愛してるよ、そのままでいいよって、ひと言でいいから、言って欲しかっただけなんだよ」
言葉に詰まりながら、やっとのことで僕は言った。
父は僕の目を見て言った。
「健のことはもちろん、愛してるに決まってるじゃないか。そんなこと聞かれるまでもない。今回だって…」
そこで父は、言葉を詰まらせた。
「私が身代わりになりたいって、何度思ったことか… 」
父の目が赤く染まった。
初めて見た父の涙だった。
母も横で泣いていた。
そっか、僕は、愛されていたんだ…。
暖かいものが胸に流れ込んできた。
父は目を赤く染めながら言った。
「認めていたんだよ。仕事だってなんだって、ほんとに認めていたんだ。
たいしたもんだ、っていつもお母さんと話してたんだよ」
「そうなんだ…、今日は話を聞いてくれてありがとう、本当にありがとう」
最後に僕は言った。
「僕は父さんを許します。僕が前に進むために」
父だって反論したこともあっただろう。
それは勘違いだよ、と言いたいこともあっただろう。
しかし、父は何も言わなかった。
最後までひと言も反論しなかった。
僕は全て受け止めてくれた。
帰っていく2人とも背中を見ながら感じた。
出ていた…。何かとてつもなく重く、苦しく、痛いものが体から出ていった。
そしてその空っぽになった空間に、暖かいものが流れ込んできた。
胸が、身体が、信じられないくらい軽かった。
(「僕は、死なない」(ソフトバンククリエイティブ)刀根健さんより)
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