🏠ごったくや🏠②
私のところへ晩めしを届けるころから、その いさましい略奪は始まった。
現代のキャバレーとか、暴力酒場などの経験者にとっては、たぶん、まだなまぬるい話としか思われないだろうが、
とにかく「澄川」からはすぐに指令がとび、
他の "ごったくや" から女たちや器物が動員された。
女たちは呼ばれた芸妓というかたちであり、
器物とは燗徳利(かんどっくり)とか盃とか、椀や皿小鉢(こばち)の類(たぐ)いである。
念のために注を入れると、小料理屋と名のっているにもかかわらず、
これらの店では、そういう器物があまり揃ってはいない。
客の多くは、酒かビールの1本くらいに、あとは丼物でも取ればいいほうだからだ。
で、こうして召集された女たちが "かも" を取り巻き、夜の明けるまで盛大に騒いだ。
もちろん騒いだのは女たちで、それは1年に1度あるかないかというチャンスだったからだが、
夜半すぎになると客はくたびれはててしまい、坐っていることもできなくなった。
「それでも、いさましいの」
とおせいちゃんはまた喉で笑った、
「まっすぐ坐ってもいられないのに、
おかっちゃんを捉(つか)まえて、
あっちへゆこう、あっちへゆこうってせがむのよ」
おかっちゃんは、
ふざけちゃいけないよ、と云ったそうである。
ふざけるとはなんだ、
と "かも" が云った。
しっかりしなよ、この "しと(人)" 、
とおかっちゃんは "かも" の背中を殴打(おうだ)した。
もう2度もあっちへいったじゃないか、忘れたのかい、この "しと(人)" 。
2度もだって、と "かも" は考え込んだ。
躯をぐらぐらさせながら、どうかしてその記憶をたぐりだそうとするようだったが、
やがて、それにもくたびれたとみえ、
唸(うな)り声をあげながら、ぶっ倒れてしまった。
女たちは箸が倒れたほどにも思わなかった。
うたう者、踊る者、悪口のやりとり、つかみあい、和解のコップ酒。
そして、また踊る者、うたう者、悪口のむし返しから髪の毛の毟(むし)りあい、
という底抜けに活発な騒ぎが続いた。
"かも" はなにも知らずに熟睡していたが、
揺り起こされてみると、
夜が明けてい、自分が座布団を枕にごろ寝していることに気づいた。
揺り起こしたのは、おかっちゃんで、
その脇には女主人が、勘定書を持って坐っていた。
女主人はいうまでもなくおせいちゃんの母親であるが、
年はそれほどでもない筈なのに、
あたまはすっかり白髪だったし、痩せていて皺(しわ)だらけで、
これに総入れ歯を外して睨(にら)まれると、どんなにあらくれた蒸気乗りでもちぢみあがる、といわれていた。
"かも" は勘定書を見て青くなった。
それからの問答は書くまでもない、
やがて "かも" は駐在所にいって払おう、と云いだした。
女主人は総入れ歯を鳴らして笑った。
それは話が早くっていい、と女主人は云った。
そういうつもりなら駐在所までゆく必要はない、
呼びにやれば、すぐに巡査が来てくれるから、あたしの方で使いをやることにしよう。
だが、念のために断っておくよ、
と女主人は座敷の中をぐるっと指した。
そこには燗徳利(かんどっくり) 八十幾(いく)本、ビール壜が四十幾本、
焼酎の2リットル壜が二本、
丼や皿小鉢が、ずらっと並んでいた。
勘定書と照らし合わせてごらん、と女主人は云った。
もうよしなさいってのに、おまえさんがむりやり注文したんだ、
一本一本みてごらん、酒もビールも残っているし、
それはおまえさんのもんだからおまえさん持ってっていいよ、
但し、お銚子や壜(びん)はこっちの物だからね、
持っていくなら中の酒やビールだけ持っといでなさい、
呼んだ芸妓が6人、玉代(ぎょくだい)は時間外の分だけ、おまけになっているから、
それをよーく調べたうえで、巡査を呼ぶなら呼びますよ、
どうせ恥をかくのは、そっちなんだから。
"かも" がどんな顔したかわからない。
けれどもおよその想像はつく。
酒、ビール、現物はちゃんとそこにある、
ゆうべあらわれたとんでもない女性たちが、芸妓衆であるかどうか非常に疑わしいが、
警察署などの監督関係ではそういうことになっているのかもしれない。
夥(おびただ)しい数の丼や皿小鉢にどんな料理が盛られ、誰の胃袋へおさまったか覚えはないが、
勘定書の品数とそこにある器物とは数があっている、
であろう。
それはいちいちあたってみるまでもなく、まるで火事にあった瀬戸物屋の店先のような、
その場のありさまを眺めただけで充分だ。
とすれば、なんのために巡査を呼ぶか、恥をかいたうえに勘定を払うためにか。
"かも" は勘定を払った。
すると、
そのときを待っていた、おかっちゃんが出て来て、
あたしの分をくれと云った。
"かも" は、もういちど青くなった。
なんて顔するのさ、とおかっちゃんは攻撃に出た。
2度も3度も "しと(人)" を玩具(おもちゃ)にしといて、只(ただ)で済ませるつもりかい、
しょってるよこの "しと(人)" 、ふざけるんじゃないよ。
"かも" は、おかっちゃんに払った。
「人をばかにして、100円札なんかみせびらかすから悪いのよ」
とおせいちゃんは云った、
「それでも、おかっちゃんには驚いたわ、
その客が靴をはいている間に勝手へいって、
お小皿へ波の花を盛って来てさ、
朝っぱらからいやなことを云う縁起くその悪い "しと" だって、
うしろから塩花を撒いたわよ」
点睛(てんせい)も忘れなかったわけである。
こうして、ゆうべの女たちに再び召集をかけ、
二台のタクシーに分乗して、東京へ芝居見物にゆき、
"かも" から搾(しぼ)りあげたものを、きれいに使いはたして来た、
ということであった。
「きれえさっぱり、いい気持ちよ」
とおせいちゃんは云った、
「でも、これで、また当分、ぴいぴいだわ」
私は、なんと答えようもなかった。
(「青べか物語」山本周五郎さんより)
私のところへ晩めしを届けるころから、その いさましい略奪は始まった。
現代のキャバレーとか、暴力酒場などの経験者にとっては、たぶん、まだなまぬるい話としか思われないだろうが、
とにかく「澄川」からはすぐに指令がとび、
他の "ごったくや" から女たちや器物が動員された。
女たちは呼ばれた芸妓というかたちであり、
器物とは燗徳利(かんどっくり)とか盃とか、椀や皿小鉢(こばち)の類(たぐ)いである。
念のために注を入れると、小料理屋と名のっているにもかかわらず、
これらの店では、そういう器物があまり揃ってはいない。
客の多くは、酒かビールの1本くらいに、あとは丼物でも取ればいいほうだからだ。
で、こうして召集された女たちが "かも" を取り巻き、夜の明けるまで盛大に騒いだ。
もちろん騒いだのは女たちで、それは1年に1度あるかないかというチャンスだったからだが、
夜半すぎになると客はくたびれはててしまい、坐っていることもできなくなった。
「それでも、いさましいの」
とおせいちゃんはまた喉で笑った、
「まっすぐ坐ってもいられないのに、
おかっちゃんを捉(つか)まえて、
あっちへゆこう、あっちへゆこうってせがむのよ」
おかっちゃんは、
ふざけちゃいけないよ、と云ったそうである。
ふざけるとはなんだ、
と "かも" が云った。
しっかりしなよ、この "しと(人)" 、
とおかっちゃんは "かも" の背中を殴打(おうだ)した。
もう2度もあっちへいったじゃないか、忘れたのかい、この "しと(人)" 。
2度もだって、と "かも" は考え込んだ。
躯をぐらぐらさせながら、どうかしてその記憶をたぐりだそうとするようだったが、
やがて、それにもくたびれたとみえ、
唸(うな)り声をあげながら、ぶっ倒れてしまった。
女たちは箸が倒れたほどにも思わなかった。
うたう者、踊る者、悪口のやりとり、つかみあい、和解のコップ酒。
そして、また踊る者、うたう者、悪口のむし返しから髪の毛の毟(むし)りあい、
という底抜けに活発な騒ぎが続いた。
"かも" はなにも知らずに熟睡していたが、
揺り起こされてみると、
夜が明けてい、自分が座布団を枕にごろ寝していることに気づいた。
揺り起こしたのは、おかっちゃんで、
その脇には女主人が、勘定書を持って坐っていた。
女主人はいうまでもなくおせいちゃんの母親であるが、
年はそれほどでもない筈なのに、
あたまはすっかり白髪だったし、痩せていて皺(しわ)だらけで、
これに総入れ歯を外して睨(にら)まれると、どんなにあらくれた蒸気乗りでもちぢみあがる、といわれていた。
"かも" は勘定書を見て青くなった。
それからの問答は書くまでもない、
やがて "かも" は駐在所にいって払おう、と云いだした。
女主人は総入れ歯を鳴らして笑った。
それは話が早くっていい、と女主人は云った。
そういうつもりなら駐在所までゆく必要はない、
呼びにやれば、すぐに巡査が来てくれるから、あたしの方で使いをやることにしよう。
だが、念のために断っておくよ、
と女主人は座敷の中をぐるっと指した。
そこには燗徳利(かんどっくり) 八十幾(いく)本、ビール壜が四十幾本、
焼酎の2リットル壜が二本、
丼や皿小鉢が、ずらっと並んでいた。
勘定書と照らし合わせてごらん、と女主人は云った。
もうよしなさいってのに、おまえさんがむりやり注文したんだ、
一本一本みてごらん、酒もビールも残っているし、
それはおまえさんのもんだからおまえさん持ってっていいよ、
但し、お銚子や壜(びん)はこっちの物だからね、
持っていくなら中の酒やビールだけ持っといでなさい、
呼んだ芸妓が6人、玉代(ぎょくだい)は時間外の分だけ、おまけになっているから、
それをよーく調べたうえで、巡査を呼ぶなら呼びますよ、
どうせ恥をかくのは、そっちなんだから。
"かも" がどんな顔したかわからない。
けれどもおよその想像はつく。
酒、ビール、現物はちゃんとそこにある、
ゆうべあらわれたとんでもない女性たちが、芸妓衆であるかどうか非常に疑わしいが、
警察署などの監督関係ではそういうことになっているのかもしれない。
夥(おびただ)しい数の丼や皿小鉢にどんな料理が盛られ、誰の胃袋へおさまったか覚えはないが、
勘定書の品数とそこにある器物とは数があっている、
であろう。
それはいちいちあたってみるまでもなく、まるで火事にあった瀬戸物屋の店先のような、
その場のありさまを眺めただけで充分だ。
とすれば、なんのために巡査を呼ぶか、恥をかいたうえに勘定を払うためにか。
"かも" は勘定を払った。
すると、
そのときを待っていた、おかっちゃんが出て来て、
あたしの分をくれと云った。
"かも" は、もういちど青くなった。
なんて顔するのさ、とおかっちゃんは攻撃に出た。
2度も3度も "しと(人)" を玩具(おもちゃ)にしといて、只(ただ)で済ませるつもりかい、
しょってるよこの "しと(人)" 、ふざけるんじゃないよ。
"かも" は、おかっちゃんに払った。
「人をばかにして、100円札なんかみせびらかすから悪いのよ」
とおせいちゃんは云った、
「それでも、おかっちゃんには驚いたわ、
その客が靴をはいている間に勝手へいって、
お小皿へ波の花を盛って来てさ、
朝っぱらからいやなことを云う縁起くその悪い "しと" だって、
うしろから塩花を撒いたわよ」
点睛(てんせい)も忘れなかったわけである。
こうして、ゆうべの女たちに再び召集をかけ、
二台のタクシーに分乗して、東京へ芝居見物にゆき、
"かも" から搾(しぼ)りあげたものを、きれいに使いはたして来た、
ということであった。
「きれえさっぱり、いい気持ちよ」
とおせいちゃんは云った、
「でも、これで、また当分、ぴいぴいだわ」
私は、なんと答えようもなかった。
(「青べか物語」山本周五郎さんより)
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