バレエの世界③
(17歳で単身渡英することに不安はありませんでしたか)
🔸吉田、英国ロイヤル・バレエスクールで学べるというのがとにかく嬉しくて、
不安よりもワクワクした気持ちで飛び込んでしまったという感じです。
実際行ってからすぐに落ち込みましたけど(笑)。
(落ち込まれたのはどうして?)
🔸吉田、生まれながらにして選ばれた子たちというか、
骨格や体型、すべてがバレリーナとして理想的で美しい。
そういうダンサーたちがパッと揃っていて、
毎日鏡の前で並んでいると、劣等感を感じずにはいられませんでした。
1番厳しかったのは、イギリスの天気の悪さと暗さ。
夏は明るくいんですけど、学校が始まる9月になると、昼間も電気をつけなきゃいけない。
あれは精神的に、すごく影響しますね。
あと、英語も全くしゃべれない状態でしたし、
食事も体に合わなかったですし、
今みたいに、メールやSNSですぐに家族と連絡できませんから、ホームシックにもかかって… 。
それはもう大変でしたけども、小学生の時、バレエ教室のあの厳しいお稽古を乗り越えられたんだから、
多少のことではへこたれないと気持ちを奮い立たせていました。
その一方で感激感動することも多かったですね。
英国ロイヤル・バレエ団の大スター達と廊下ですれ違ったり、
お稽古を覗けたり、公演に出演できたりと、本当に貴重な体験をさせていただきました。
(留学時代に特に印象に残っていることはなんですか)
🔸吉田、1番学んだのは、「白鳥の湖」の公園に出たとき、
私は王妃様の横にただ立っているだけの役だったんですけれども、
プリンシパルの「黒鳥の踊り」を間近で何十回も見られたことですね。
振り付けは同じなのに、演じるダンサーによってその表現は全く違ってくる。
どうやったらこんなふうに踊れるんだろうと。
大スターたちの息吹を感じることができたのは本当に勉強になりました。
また、同じ学年のダンサーたちも、普段のお稽古では技術的に未熟だったりするんですけれども、
いざソロを踊るとなったら皆すごく魅せるんですよ。
(外国の方たちは自己表現力にたけていると)
🔸吉田、人種や文化、生活習慣の違いがそういうところに繋がっているんでしょうね。
だから、いつも、ずるいなぁ、羨ましいなぁ、って思っていました(笑)。
私としてはどれだけ技術的にきっちりと正しく踊るか、
ということをずっと教わってきたので、
自分の気持ちを踊りで表現することが全然できなくて、
先生方にはよく
「もっと自分を出しなさい」
「あなたの表現したいことは何?」
って言われていました。
考えれば考えるほど答えが分からなくなる。
そういう葛藤も含めて、1年間の留学の日々は、私にとってすごく大切だったと感じています。
(その後、サドラーズウェルズ・ロイヤルバレエ団に入団されていますね)
🔸吉田、ありがたいことにプロ契約をいただけたものの、当時の私はホームシックで日本に帰りたくてしかたなかったんです。
松山バレエ学校の先生や両親に相談すると、
「そんな貴重な体験はできないんだから、
とりあえず一年でもやってみなさい。
帰ってくるのはいつでもできる」
と背中を押してくれて、踏ん切りがつきました。
(入団当初、技術を磨くために心がけていたことはありますか)
🔸吉田、いや、もう技術を磨くことはできなかったですね。
というのも、そんな時間がないくらい目の回るような忙しさだったんですよ。
新人はコール・ド・バレエ(軍舞)というポジションからスタートするんですけれども、
とにかく出番が多い。
週に八回の舞台があって、
その他大勢役をいくつも努めなければいけません。
1つの作品の公演期間中に、次の公演作品のリハーサルを同時並行でやることもしょっちゅうで、
振り付けや流れを全て覚えるだけで精一杯でした。
そういう生活ですから、心がけていたことといえば、
毎朝の基礎レッスンに始まって、いくつもの役の振り付けを覚え、
リハーサルを繰り返して、
本番の公演に臨むと言う日々の中で、
その都度、いま目の前に与えられていることに決して手を抜かず、
全力でやり切ることだけですね。
バレエ以外のことは何も考えられなくて、
まさに生活そのものがバレエでした。
(生活そのものがバレエ)
(つづく)
(「致知」10月号 バレリーナ吉田都さんより)
(17歳で単身渡英することに不安はありませんでしたか)
🔸吉田、英国ロイヤル・バレエスクールで学べるというのがとにかく嬉しくて、
不安よりもワクワクした気持ちで飛び込んでしまったという感じです。
実際行ってからすぐに落ち込みましたけど(笑)。
(落ち込まれたのはどうして?)
🔸吉田、生まれながらにして選ばれた子たちというか、
骨格や体型、すべてがバレリーナとして理想的で美しい。
そういうダンサーたちがパッと揃っていて、
毎日鏡の前で並んでいると、劣等感を感じずにはいられませんでした。
1番厳しかったのは、イギリスの天気の悪さと暗さ。
夏は明るくいんですけど、学校が始まる9月になると、昼間も電気をつけなきゃいけない。
あれは精神的に、すごく影響しますね。
あと、英語も全くしゃべれない状態でしたし、
食事も体に合わなかったですし、
今みたいに、メールやSNSですぐに家族と連絡できませんから、ホームシックにもかかって… 。
それはもう大変でしたけども、小学生の時、バレエ教室のあの厳しいお稽古を乗り越えられたんだから、
多少のことではへこたれないと気持ちを奮い立たせていました。
その一方で感激感動することも多かったですね。
英国ロイヤル・バレエ団の大スター達と廊下ですれ違ったり、
お稽古を覗けたり、公演に出演できたりと、本当に貴重な体験をさせていただきました。
(留学時代に特に印象に残っていることはなんですか)
🔸吉田、1番学んだのは、「白鳥の湖」の公園に出たとき、
私は王妃様の横にただ立っているだけの役だったんですけれども、
プリンシパルの「黒鳥の踊り」を間近で何十回も見られたことですね。
振り付けは同じなのに、演じるダンサーによってその表現は全く違ってくる。
どうやったらこんなふうに踊れるんだろうと。
大スターたちの息吹を感じることができたのは本当に勉強になりました。
また、同じ学年のダンサーたちも、普段のお稽古では技術的に未熟だったりするんですけれども、
いざソロを踊るとなったら皆すごく魅せるんですよ。
(外国の方たちは自己表現力にたけていると)
🔸吉田、人種や文化、生活習慣の違いがそういうところに繋がっているんでしょうね。
だから、いつも、ずるいなぁ、羨ましいなぁ、って思っていました(笑)。
私としてはどれだけ技術的にきっちりと正しく踊るか、
ということをずっと教わってきたので、
自分の気持ちを踊りで表現することが全然できなくて、
先生方にはよく
「もっと自分を出しなさい」
「あなたの表現したいことは何?」
って言われていました。
考えれば考えるほど答えが分からなくなる。
そういう葛藤も含めて、1年間の留学の日々は、私にとってすごく大切だったと感じています。
(その後、サドラーズウェルズ・ロイヤルバレエ団に入団されていますね)
🔸吉田、ありがたいことにプロ契約をいただけたものの、当時の私はホームシックで日本に帰りたくてしかたなかったんです。
松山バレエ学校の先生や両親に相談すると、
「そんな貴重な体験はできないんだから、
とりあえず一年でもやってみなさい。
帰ってくるのはいつでもできる」
と背中を押してくれて、踏ん切りがつきました。
(入団当初、技術を磨くために心がけていたことはありますか)
🔸吉田、いや、もう技術を磨くことはできなかったですね。
というのも、そんな時間がないくらい目の回るような忙しさだったんですよ。
新人はコール・ド・バレエ(軍舞)というポジションからスタートするんですけれども、
とにかく出番が多い。
週に八回の舞台があって、
その他大勢役をいくつも努めなければいけません。
1つの作品の公演期間中に、次の公演作品のリハーサルを同時並行でやることもしょっちゅうで、
振り付けや流れを全て覚えるだけで精一杯でした。
そういう生活ですから、心がけていたことといえば、
毎朝の基礎レッスンに始まって、いくつもの役の振り付けを覚え、
リハーサルを繰り返して、
本番の公演に臨むと言う日々の中で、
その都度、いま目の前に与えられていることに決して手を抜かず、
全力でやり切ることだけですね。
バレエ以外のことは何も考えられなくて、
まさに生活そのものがバレエでした。
(生活そのものがバレエ)
(つづく)
(「致知」10月号 バレリーナ吉田都さんより)
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