🍀🍀「たましい」の意味🍀🍀
「魂」という字を現在では「たましい」と読みますが、
本来は「たま」。
「たま」と「たましい」は別の言葉です。
「たま(魂、霊)」が「しい」の状態にあるのが「たましい」で、
人間本来の魂(心)を表す言葉は「たま」です。
盲(めいし=目+しい)は、目の見えない人のことです。
つまり、「しい」という言葉の意味は、
「器官があっても機能を発揮できない状態」
ということです。
では、「たま(心)」の機能とは何でしょう。
それは
「肉体のコントロール」です。
日本人の感覚では、本来心(魂)と肉体はバラバラではなく、1つなのです。
だから、心が肉体から離れた状態は「しい」なのです。
それで日本人は、「たま」が肉体から離れていかないように、
神事を通して、さまざまな鎮魂の行事をしてきました。
その「たま」の出所について、
そこを日本人は「神」と考えました。
だから
「たまは、直接、神様に通じる」
と信じました。
例えば、明治天皇が、
「目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり」
「目に見えぬ 神の心に 通うこそ 人の心の まことなりけれ」
と詠みましたが、
これらは、違和感なく、私たちの心にストンと落ちてきます。
そして日本人は、どんなにとんでもない悪人が悪態をついても、
「ところで、それはお前の本心か?」
と尋ねたくなります。
それは日本人が、
「人間の本心は神に通じる清いもの」
という前提に立っているからです。
これも日本人特有の感覚の一つです。
親・先祖からは肉体をいただき、神様からは「魂(たま)」をいただいて
人はこの世に生まれます。
だから昔の人は、子供を
「授かり物」とか「賜り物」
と呼んだのです。
人類は、iPS細胞やクローンなど、生命倫理に関わるさまざまな技術を獲得しています。
しかし、どんなに最高の知識を集め、最高の技術を準備し、最大の資金を投下しても、
人を1からつくり出すことはできません。
お米も、「工場で1からつくり出した」という話は聞いたことがありません。
お天道様のもと、まず、自然の恵みというものがあって、
そこに人間の知恵や努力が合わさることでつくり出しているのです。
我々は、食事をいただくとき、
「いただきます」と言います。
これは
「賜り物をいただきます」
という、天地自然への感謝の言葉です。
食べ終わって
「ごちそうさま」と言います。
この「さま」は人様の「さま」ですから、
人に対する感謝の言葉です。
食材を生産してくださった方、
流通に乗せてくださった方、
料理してくださった方、
そして、美味しくいただける身体をくださった親・先祖に対する感謝なのです。
(「みやざき中央新聞」新潟燕市鎮座戸隠神社 禰宜 渡邉さんより)
「魂」という字を現在では「たましい」と読みますが、
本来は「たま」。
「たま」と「たましい」は別の言葉です。
「たま(魂、霊)」が「しい」の状態にあるのが「たましい」で、
人間本来の魂(心)を表す言葉は「たま」です。
盲(めいし=目+しい)は、目の見えない人のことです。
つまり、「しい」という言葉の意味は、
「器官があっても機能を発揮できない状態」
ということです。
では、「たま(心)」の機能とは何でしょう。
それは
「肉体のコントロール」です。
日本人の感覚では、本来心(魂)と肉体はバラバラではなく、1つなのです。
だから、心が肉体から離れた状態は「しい」なのです。
それで日本人は、「たま」が肉体から離れていかないように、
神事を通して、さまざまな鎮魂の行事をしてきました。
その「たま」の出所について、
そこを日本人は「神」と考えました。
だから
「たまは、直接、神様に通じる」
と信じました。
例えば、明治天皇が、
「目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり」
「目に見えぬ 神の心に 通うこそ 人の心の まことなりけれ」
と詠みましたが、
これらは、違和感なく、私たちの心にストンと落ちてきます。
そして日本人は、どんなにとんでもない悪人が悪態をついても、
「ところで、それはお前の本心か?」
と尋ねたくなります。
それは日本人が、
「人間の本心は神に通じる清いもの」
という前提に立っているからです。
これも日本人特有の感覚の一つです。
親・先祖からは肉体をいただき、神様からは「魂(たま)」をいただいて
人はこの世に生まれます。
だから昔の人は、子供を
「授かり物」とか「賜り物」
と呼んだのです。
人類は、iPS細胞やクローンなど、生命倫理に関わるさまざまな技術を獲得しています。
しかし、どんなに最高の知識を集め、最高の技術を準備し、最大の資金を投下しても、
人を1からつくり出すことはできません。
お米も、「工場で1からつくり出した」という話は聞いたことがありません。
お天道様のもと、まず、自然の恵みというものがあって、
そこに人間の知恵や努力が合わさることでつくり出しているのです。
我々は、食事をいただくとき、
「いただきます」と言います。
これは
「賜り物をいただきます」
という、天地自然への感謝の言葉です。
食べ終わって
「ごちそうさま」と言います。
この「さま」は人様の「さま」ですから、
人に対する感謝の言葉です。
食材を生産してくださった方、
流通に乗せてくださった方、
料理してくださった方、
そして、美味しくいただける身体をくださった親・先祖に対する感謝なのです。
(「みやざき中央新聞」新潟燕市鎮座戸隠神社 禰宜 渡邉さんより)
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