🍀人の機能は何種?🍀
「鉱物」の機能を考えてみます。
例えば「コップ」なら、
お湯をためる、水をためる、という機能があります。
「新幹線」という大きな「鉱物」の機能を考えると、
ものを運ぶ、人を運ぶ、という2つの機能を持っていることがわかります。
「機能」とは「役割」のことです。
その役割をいくつ果たせるか、というと、鉱物の機能は、おそらく2つくらいでしょう。
「植物」の役割、機能を考えると、
「木の実を食べてもらって、動物を生き長らえさせる」
「二酸化炭素を吸い込んで酸素を出す」
「防風林、防砂林、防雪林になる」など、
おそらく20くらいはありそうです。
今度は「動物」の機能を考えてみます。
動物は、自分の身を投げ出して食物連鎖の中に存在していますから、
それによって相手の動物を生かすことをしています。
自分が木の実を食べて排泄したフンの中で植物の種を運ぶといった機能も含めると、
おそらく、200くらいはありそうです。
続いて、「雲」の機能を数えてみます。
雨、曇り、あられ、ヒョウ、風を起こす、竜巻起こす、太陽を隠すなど、
おそらく2,000くらいあるでしょう。
では、「人間」の機能は、どのくらいあるのでしょうか。
鉱物は2、植物は20、動物は200、雲は 2,000だと推定すると、
「人間は2万くらいかな」
と思ってました。
私は、そのことを、ずっと宇宙に問いかけていました。
そして、2年ほど経ってから、
次のような答えが降ってきました。
「人間の機能は、喜ばれた数だけ存在する(つまり無限に存在する)」
まったく想像していなかったことに、私は衝撃を受けました。
電気が走るとか、鳥肌が立つというレベルを超えて、
体が震えてしまいました。
たとえば、隣のおばあさんが駅の階段を上っているときに、荷物を持ってあげた。
そして、おばあさんから「ありがとうございます」といわれた瞬間に、それがひとつの機能になります。
駅で、びしょ濡れになって立っている人がいて、
自分が帰る方向が同じだったとき、傘をさしかけて、
「途中まで一緒に行きますか」
と声をかけ、
「ありがとうございます」と言われたときも、それも機能のひとつになります。
しかも、相手は人間だけではありません。
すべてのものから喜ばれたときに、「私」は、機能を持つことになります。
私がマイクを机の上にそっと置いたとき、マイクが、
「あぁ、この人の前にマイクとして存在してよかった。
そっと置いてくれたので嬉しい」
と思われたとすると、「喜ばれた」ことになるわけです。
あなたがガラスのコップを「どーん!」と置いたとき、
コップに入り込んでいる魂があるとして、
「あやうく割れてしまうところだった。
あぁ、この人に持たれたくなかったな」
と思ったりすると、「喜ばれなかった」ことになります。
でも、心を込めてそっと置いたときに、
「この人に持ってもらってよかった」
とコップに思えて思ってもらいもらったとしたら、
コップに「喜ばれた」ことになります。
人間だけは、自分の意思によって、
自分の機能をいくらでも増やせます。
私はそのことに気がついて、「喜ばれること」を投げかけ始めると、
人間である「私」の機能は、無限に増えていくことでしょう。
(「ありがとうの奇跡」小林正観さんより)
人間は、生きた人の分だけ、機能があるんですね。
いい機能をたくさん残して行きたですね。(^_^)
「鉱物」の機能を考えてみます。
例えば「コップ」なら、
お湯をためる、水をためる、という機能があります。
「新幹線」という大きな「鉱物」の機能を考えると、
ものを運ぶ、人を運ぶ、という2つの機能を持っていることがわかります。
「機能」とは「役割」のことです。
その役割をいくつ果たせるか、というと、鉱物の機能は、おそらく2つくらいでしょう。
「植物」の役割、機能を考えると、
「木の実を食べてもらって、動物を生き長らえさせる」
「二酸化炭素を吸い込んで酸素を出す」
「防風林、防砂林、防雪林になる」など、
おそらく20くらいはありそうです。
今度は「動物」の機能を考えてみます。
動物は、自分の身を投げ出して食物連鎖の中に存在していますから、
それによって相手の動物を生かすことをしています。
自分が木の実を食べて排泄したフンの中で植物の種を運ぶといった機能も含めると、
おそらく、200くらいはありそうです。
続いて、「雲」の機能を数えてみます。
雨、曇り、あられ、ヒョウ、風を起こす、竜巻起こす、太陽を隠すなど、
おそらく2,000くらいあるでしょう。
では、「人間」の機能は、どのくらいあるのでしょうか。
鉱物は2、植物は20、動物は200、雲は 2,000だと推定すると、
「人間は2万くらいかな」
と思ってました。
私は、そのことを、ずっと宇宙に問いかけていました。
そして、2年ほど経ってから、
次のような答えが降ってきました。
「人間の機能は、喜ばれた数だけ存在する(つまり無限に存在する)」
まったく想像していなかったことに、私は衝撃を受けました。
電気が走るとか、鳥肌が立つというレベルを超えて、
体が震えてしまいました。
たとえば、隣のおばあさんが駅の階段を上っているときに、荷物を持ってあげた。
そして、おばあさんから「ありがとうございます」といわれた瞬間に、それがひとつの機能になります。
駅で、びしょ濡れになって立っている人がいて、
自分が帰る方向が同じだったとき、傘をさしかけて、
「途中まで一緒に行きますか」
と声をかけ、
「ありがとうございます」と言われたときも、それも機能のひとつになります。
しかも、相手は人間だけではありません。
すべてのものから喜ばれたときに、「私」は、機能を持つことになります。
私がマイクを机の上にそっと置いたとき、マイクが、
「あぁ、この人の前にマイクとして存在してよかった。
そっと置いてくれたので嬉しい」
と思われたとすると、「喜ばれた」ことになるわけです。
あなたがガラスのコップを「どーん!」と置いたとき、
コップに入り込んでいる魂があるとして、
「あやうく割れてしまうところだった。
あぁ、この人に持たれたくなかったな」
と思ったりすると、「喜ばれなかった」ことになります。
でも、心を込めてそっと置いたときに、
「この人に持ってもらってよかった」
とコップに思えて思ってもらいもらったとしたら、
コップに「喜ばれた」ことになります。
人間だけは、自分の意思によって、
自分の機能をいくらでも増やせます。
私はそのことに気がついて、「喜ばれること」を投げかけ始めると、
人間である「私」の機能は、無限に増えていくことでしょう。
(「ありがとうの奇跡」小林正観さんより)
人間は、生きた人の分だけ、機能があるんですね。
いい機能をたくさん残して行きたですね。(^_^)
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