根岸ノーベル賞⑤
(そこからどう道を開いていかれたのですか)
🔹ペンシルベニア大学でお世話になっていた化学科の主任のチャールズ・プライス教授がたまたま京都大学にこられていたので、
相談に伺いました。
自分はもう一度アメリカに行って、博士研究員として勉強したいので、推薦状を書いてくれませんか、と。
そしたら、すぐに推薦状書いてくれましてね。
そのおかげで、三つのオファーをいただくことができて、
その1つが後に私の恩師となるパデュー大学教授のブラウン先生からのものだったんですよ。
ブラウン先生のことは、ペンシルベニア大学時代に講演を聴いていて、その時から興味を持っていたんです。
そのこともあって、私はブラウン先生のところにお世話になることを決め、
結果的には
博士研究員として4年、助手として2年の計6年間を過ごしました。
(ブラウン先生からはどんなことを学ばれたのですか)
🔹ブラウン先生からは常に新しいことに挑戦することの大切さを学びました。
新しいことやるには、やはり新しいことをやろうと本気で思うことから始まる。
新しい分野を切り開いていこうと、心の底から思わなければ成功を得ることはできません。
それと、先生は何事にも諦めるということをしない方でした。
ですから時に挫折をしてもへこたれず、
プラス思考で最後まであきらめない姿勢はとても刺激になりました。
一方、ブラウン先生とはずいぶん議論もしました。
というのも、先生のところに行ってすぐの頃に、
「私は先生のおっしゃるような方法では望ましい結果は得られないと思います」
とはっきり申し上げたことがあるんですよ。
(それはブラウン先生も驚かれたでしょうね)
🔹当時私は31歳で、ブラウン先生は55歳。
ずいぶん歳は離れていましたが、ブラウン先生は決して怒るようなこともなく、
意を尽くして議論に付き合ってくださったんですよ。
結局、それから2ヶ月後に私の言ってることのほうが正しいことが分かったわけですが、
先生の私の対する謙虚な姿勢というのは非常に印象的でした。
その後は、関連する文献の過ちを見つけては訂正するなどして、
その分野における研究データをかなり塗り替えることもしました。
そのためブラウン先生からは絶大なる信頼を得ることができました。
(ブラウン先生にとっても、根岸先生は良きパートナーのような存在でもあったわけですね)
🔹それもあるかもしれませんが、
やはり私にとってブラウン先生との出会いがなければ、
ノーベル賞は取れなかったでしょうね。
私はノーベル賞が取れる確率はどれくらいかということを考えたことがありまして、
だいたい、10の7乗分の1の確率ではないかと思うんです。
(それはどのように算出されたのでしょうか)
🔹1901年に始まったノーベル賞の受賞者は1,000人くらいなので10の3乗。
その間に、この世に生まれた人を、およそ100億人、
つまり10の10乗だとすると、
ノーベル賞を受賞できる人の確率は10の7乗分の1になるという計算です。
しかし、これでは宝くじを買うようなもので、
夢はあっても現実味をほとんど感じません。
そこで私が考えたのは、10の7乗分の1を分解して、10人に1人が勝ち抜く競争に、7回連続で勝てば、
ノーベル賞が見えてくるのではないかということです。
例えば中学、高校、大学と10人に1がいける学校に進学すれば1000人に1人、つまり10の3乗分の1になれる。
私の場合、さらにフルブライト留学、そしてブラウン先生との出会いによって、
10の5乗分の1まではいけたと思うんですよ。
そうやって、7段ある階段を上った先にノーベル賞が見えてくるのではないか、と。
(「致知」1月号 ノーベル賞受賞者 根岸英一さんより)
(そこからどう道を開いていかれたのですか)
🔹ペンシルベニア大学でお世話になっていた化学科の主任のチャールズ・プライス教授がたまたま京都大学にこられていたので、
相談に伺いました。
自分はもう一度アメリカに行って、博士研究員として勉強したいので、推薦状を書いてくれませんか、と。
そしたら、すぐに推薦状書いてくれましてね。
そのおかげで、三つのオファーをいただくことができて、
その1つが後に私の恩師となるパデュー大学教授のブラウン先生からのものだったんですよ。
ブラウン先生のことは、ペンシルベニア大学時代に講演を聴いていて、その時から興味を持っていたんです。
そのこともあって、私はブラウン先生のところにお世話になることを決め、
結果的には
博士研究員として4年、助手として2年の計6年間を過ごしました。
(ブラウン先生からはどんなことを学ばれたのですか)
🔹ブラウン先生からは常に新しいことに挑戦することの大切さを学びました。
新しいことやるには、やはり新しいことをやろうと本気で思うことから始まる。
新しい分野を切り開いていこうと、心の底から思わなければ成功を得ることはできません。
それと、先生は何事にも諦めるということをしない方でした。
ですから時に挫折をしてもへこたれず、
プラス思考で最後まであきらめない姿勢はとても刺激になりました。
一方、ブラウン先生とはずいぶん議論もしました。
というのも、先生のところに行ってすぐの頃に、
「私は先生のおっしゃるような方法では望ましい結果は得られないと思います」
とはっきり申し上げたことがあるんですよ。
(それはブラウン先生も驚かれたでしょうね)
🔹当時私は31歳で、ブラウン先生は55歳。
ずいぶん歳は離れていましたが、ブラウン先生は決して怒るようなこともなく、
意を尽くして議論に付き合ってくださったんですよ。
結局、それから2ヶ月後に私の言ってることのほうが正しいことが分かったわけですが、
先生の私の対する謙虚な姿勢というのは非常に印象的でした。
その後は、関連する文献の過ちを見つけては訂正するなどして、
その分野における研究データをかなり塗り替えることもしました。
そのためブラウン先生からは絶大なる信頼を得ることができました。
(ブラウン先生にとっても、根岸先生は良きパートナーのような存在でもあったわけですね)
🔹それもあるかもしれませんが、
やはり私にとってブラウン先生との出会いがなければ、
ノーベル賞は取れなかったでしょうね。
私はノーベル賞が取れる確率はどれくらいかということを考えたことがありまして、
だいたい、10の7乗分の1の確率ではないかと思うんです。
(それはどのように算出されたのでしょうか)
🔹1901年に始まったノーベル賞の受賞者は1,000人くらいなので10の3乗。
その間に、この世に生まれた人を、およそ100億人、
つまり10の10乗だとすると、
ノーベル賞を受賞できる人の確率は10の7乗分の1になるという計算です。
しかし、これでは宝くじを買うようなもので、
夢はあっても現実味をほとんど感じません。
そこで私が考えたのは、10の7乗分の1を分解して、10人に1人が勝ち抜く競争に、7回連続で勝てば、
ノーベル賞が見えてくるのではないかということです。
例えば中学、高校、大学と10人に1がいける学校に進学すれば1000人に1人、つまり10の3乗分の1になれる。
私の場合、さらにフルブライト留学、そしてブラウン先生との出会いによって、
10の5乗分の1まではいけたと思うんですよ。
そうやって、7段ある階段を上った先にノーベル賞が見えてくるのではないか、と。
(「致知」1月号 ノーベル賞受賞者 根岸英一さんより)
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