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マイ・ストーリー⑤

2019-12-21 13:06:00 | お話
マイ・ストーリー⑤女王陛下

ホワイトハウスのあちこちを歩きまわりながらよく考えたものだ。

新しい我が家がちょっと度が過ぎるくらい、この上もなく広くて壮大だ。

だがそんな4月のこと、私はイギリスを訪問し、女王陛下にお目にかかることになる。

それはバラクと私が選挙後初めて2人で臨んだ海外訪問だった。

バラクはG20サミット出席のため、私たちは大統領専用機でロンドンに向かった。

世界の経済大国の首脳が一堂に会するサミットは、当時まさに重大な局面を迎えていた。

アメリカで発生した経済危機の甚大な影響が世界中に波及し、

世界の金融市場を混乱に陥れていたからだ。

同時に、このサミットはバラクが大統領として臨む最初の国際舞台でもあった。

就任後の数ヶ月間ほぼ常にそうだったように、彼に求められる主な仕事は混乱した状況を整理することだ。

今回でいえば、各国首脳の不満を和らげることである。

世界のリーダーたちは、アメリカ政府が無謀な銀行を規制する重要な機会を逸したことで現在のこの惨状が引き起こされたのだ、と非難の目を向けていた。

私が数日間海外に出る間、サーシャとマリアは母に託すことにした。

娘たちが学校で日々順調に過ごせていることに徐々に安心していった部分もある。

ただ、「早起きすること」や「野菜を残さないこと」といった我が家の厳しいルールを、母がすぐさま大目に見てしまうことは確実だった。

母は孫2人の「おばあちゃん」であることを満喫していた。

特に、自由で軽やかなそのライフスタイルに合わせて、私の決めた厳格なルールを取り払ってしまおうとしていた。

私は兄が子供だった頃よりも、母は目に見えて自由に生きていた。

今回のG20サミットはイギリスのゴードン・ブラウン首相が議長だった。

日程にはロンドン市内の会議場での丸一日に渡経済介護と並んで、

各国首脳が公式行事でロンドンを訪れた際の慣例の行事も含まれていた。

全員が女王陛下から挨拶を賜るためにバッキンガム宮殿に招待されたのだ。

アメリカとイギリス両国の親密な関係に加えて、

おそらくは私たち夫婦の初訪英だったこともあってだろう、

バラクと私は他の首脳より少し早めに宮殿に招待されていた。

全体のレセプションに先立って、女王陛下にじきじきに謁見(えっけん)するためだ。

いうまでもなく、私はそれまで王族の方にお会いした経験などなかった。

女王陛下に挨拶するときは膝を曲げてお辞儀をするか、

あるいは手をとって握手をしてもいいという話は聞いている。

それに、呼びかけるときは、「陛下(Your Majesty)」とお呼びすること。

夫であるエディンバラ公フィリップ王配(おうはい)には対しては

「殿下(Your Royal Highness)」。

それ以外のことは何の見当もつかないまま、
私たちを乗せた車列は宮殿に向かっていった。

沿道のフェンス沿いに詰めかけた人波を通り過ぎ、衛兵とラッパ手の前を通って、

バッキンガム宮殿の背の高い鉄製の門をくぐる。

その先の中庭では、王室内務主事が建物の外まで出て私たち夫婦を出迎えてくれた。

このとき実感したのだが、バッキンガム宮殿は、とにかく広大だということだ。

言葉で話とてもいい表せない広大さといっていい。

775室もの部屋を持ち、面積はホワイトハウスのおよそ15倍におよぶ。

バラクと私はありがたいことに、その後何年かに何度か招待客としてこの場所を訪れる機会を得た。

何度目かの訪問では、豪華な寝室を備えた宮殿内のスイートルームに宿泊し、

そろいの制服を身に着けた宮廷侍従やや女官の人たちに世話をしてもらった。

舞踏会広間での公式晩餐会では金のナイフやフォークで食事をした。

宮殿内の見学ツアーでは、ガイドに、「こちらはブルー・ドローウイング・ルームです」

と指し示された先を見たら、

私たちのブルールームの5倍はあろうかという広大なホールが広がっていたりもした。

私と母と娘たちとで、女王陛下付きの主任案内係に連れられて宮殿内のローズガーデンを見学したこともある。

約4000平方メートルもの広大な敷地には、何千本もの花々が完璧に美しく咲き乱れていた。

それを目の当たりにすると、私たちが誇らしく所有する大統領執務室外のささやかな薔薇の茂も、ほんの少しだけ色あせてしまうのだった。

バッキンガム宮殿は息をのむほど素晴らしく、そして同時にまったく理解の追いつかない場所だった。

初の訪問となったこの日、私たち夫婦は女王陛下の私用の居室に招かれた。

案内された先の居間では、女王陛下とフィリップ殿下が立って私たちを出迎えてくださった。

女王エリザベス2世は当時82歳。

微笑を浮かべた小柄で優美な方だった。

白髪を額から外巻きにカールさせた風格あるヘアスタイル。

淡いピンクのワンピースに真珠のアクセサリー。

黒のハンドバックをしとやかに片腕にかけている。

私たちは握手を交わし、写真撮影に臨んだ。

女王陛下は私たち夫婦に時差ぼけの具合を丁寧に尋ね、それから座るように勧めてくださった。

その後どんな言葉を交わしたかは、はっきり覚えていない。

たしか経済のことやイギリス国内の情勢、それにバラックが行っている数多くの会談の話だったと思う。


公式に設けられた会合の席には、常にある種のぎこちなさがつきまとうものだ。

けれど、私の経験からいえば、それは自分自身が意識して乗り越えるしかない。

女王陛下と同席している今もそうだ。

自分の頭で考えて行動しなくては。

その場の壮麗さや、今まさに万民の憧れの的である方と対面しているという痺れるような感覚に圧倒されていてはダメだ。

私は女王陛下の顔を過去に何度も見てきた。

歴史の本で、テレビで、硬貨の表面で。

だが今、目の前には本物の陛下がいる。

私を見つめて、熱心に質問してくださる。

変化は温かくて、とてもお優しかった。

私は自分も同じようにしようと努めた。

女王は生ける象徴であり、そのことに熟達されてもいる。

けれど同時に、私たちと同じ人間なのだ。

私はすぐに女王陛下のことが好きになった。

その日の午後、バラクと私は宮殿で開かれたレセプションに出席し、

G20の首脳陣やその配偶者たちとカナッペをつまみながら会場を歩き回っていた。

私はドイツのアンゲラ・メルケル首相やフランスのニコラ・サルコジ大統領とおしゃべりをし、

サウジアラビア国王や、アルゼンチンの大統領、日本の首相とも会った。

誰がどこの国の首脳で、その人の配偶者はどんな人かを覚えるのに必死だった。

何かまずいこと言ってしまわないようにとにかく口を慎む。

でも全体としては、場の雰囲気はとても格式高く、それでいて友好的だった。

一国の元首であっても、自分の子供の話に興じたりイギリスの気候をネタにジョークを言ったりできるのだと思い出させてくれる。

そんなひとときだった。

パーティーも終わりに近づいたころ、ふと横を向いた拍子に、私のちょうど肘のあたりに女王陛下の顔が見えた。

人でにぎわう会場の中、私たちはふいに二人っきりになったのだ。

陛下は純白の手袋をはめていた。

数時間前に初めてお会いしたときと変わらず、しゃきっとした様子だ。

陛下は私ににっこりとほほえみかけた。

「あなた、背が高いのね」

首をかしげながら、そう言われた。

「はい」私はちょっと笑いながら答えた。

「ヒールを履いているので、いつもより数センチ高めですけど…ええ、背は高いんです」

陛下は私の履いているジミーチュウの黒いハイヒールに視線を落とした。

そうして、首を振った。

「そういった靴は足がつらいでしょう?」

そう言いながら、少しうんざりした目で自分の足元の黒いパンプスを見やる。

私は、実は足が痛くてと打ち明けた。

すると陛下も自分もそうなのだと打ち明けてくれる。

私たちは顔を見合わせて、

「いったいいつまで世界のリーダーのみなさんと、こうして立っていなきゃならないのかしら?」

という表情を交わし合った。

そうして、陛下はとてもチャーミングな声で笑ったのだ。

私はそのとき、目の前にいる女性がときにダイヤモンドの王冠を戴く方だということも、

自分が大統領専用機でロンドンまでやってきたことも、すっかり忘れ去っていた。

私たちは疲れ切って、きつい靴に苦しんでいる、ただの2人の女性だった。

だから、初対面の人と心が通じあったと感じたときにいつも本能的にそうしているように、

自分の感情をそのまま表に出したのだ。

私は愛情をこめて、女王の背中に片方に手を回した。

このときは知る由もなかった。

自分がとんでもなく無礼とされる行為を働いてしまったということを。

私はイギリス女王の体に手を触れてしまったのだ。

すぐにあとになって、それがご法度とされる行為だと知った。

このレセプションでの1幕はカメラに収められ、

その後何日も世界中のメディアで繰り返し報じられることになる。

「儀礼違反!」

「ミシェル・オバマ、無礼にも女王にハグ!」

といった見出しとともに。

それは選挙戦の間に世間に広まった、

「彼女はがさつでファーストレディにふさわしい品位さに欠ける」

という決めつけの一端を再び呼び起こすものだった。

それに、自分のせいでバラクのせっかくの外交努力が霞んでしまうのではないかと不安でもあった。

だが、私は批判に心乱されないように努めた。

確かにファッキンガム宮殿での私の行為は不適切だったかもしれない。

けれど、少なくともそれは人間らしい行動だった。

それに、あえていうならば、きっと女王陛下も気にしていなかったと思う。

なぜなら私の手を触れたとき、陛下は私を引き寄せて、

手袋をはめた手をそっと腰に回してくれたからだ。


(つづく)

(「マイ・ストーリー」(集英社)ミッシェル・オバマ著 長尾莉紗 柴田さとみ訳)


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