2022年4月24日日大阪東教会主日礼拝説教「なぜ怖がるのか」吉浦玲子
主イエスの弟子には、ペトロをはじめとして漁師たちがいました。もともと彼らはガリラヤ湖で漁をしていました。現代のガリラヤ湖周辺ではペトロにちなんだピーターズフィッシュというものが食事として提供されるようです。これは大型の淡水魚を料理したもので淡水魚の割にはそれほど臭みもなく食べられるもののようです。そのような魚が捕れるガリラヤ湖を中心にした地域は自然が豊かで美しいところであったようです。しかし一方、ガリラヤ湖は、海抜がたいへん低く、谷底にあるような地形で、周囲から吹き降ろす風によって荒れることもよくあり、急に天候が変わることもあったようです。
今日の聖書個所では、ガリラヤ湖を船で渡っていた時、嵐に見舞われたことが描かれています。プロの漁師であったペトロたちが怯えるほどの嵐だったようです。舟の中まで水が入り水浸しになりました。ところが、あろうことか主イエスは眠っておられたのです。艫(とも)とありますから船尾の方で、枕までして熟睡しておられました。弟子たちはそのお姿を見て「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と叫びます。弟子たちは必死に舟に入ってきた水をかき出したり、転覆しないようにどうにかバランスを取ろうと必死だったでしょう。しかし、主イエスは寝ておられるのです。これまで、さまざまな奇跡を行ってこられたイエス様、きっとこの方なら今のこの状況をどうにかしてくださるに違いないと弟子たちは思っていたでしょう。しかし、頼りにしている先生は、こともあろうに、眠っておられるのです。さらに言えば、「向こう岸に渡ろう」とおっしゃったのは、主イエスご自身でした。わざわざ日が暮れる頃に、舟を出そうなどとおっしゃらなければ、このようなことにはならなかったのです。プロの漁師であったペトロたちは、ひょっとしたら、天候に不安を覚えていたかもしれません。そのようななか、舟を出した責任者であったからこそ主イエスへ「どうにかしてくださいよ」という思いもいっそうあったでしょう。にもかかわらず主イエスが寝ておられることに対して「わたしたちがおぼれてもかまわないんですか」という批判めいた言葉は出てきたのでしょう。
私たちは主イエスがどのようなお方は、一応、知っていますし、この物語の結論も知っていて、慌てふためく弟子たちの信仰を情けないなと思ってしまうかもしれません。しかしやはり、わたしたちでも、嵐にあうような緊急事態を体験するとき、やはり慌てふためくこともあると思うのです。神を信じていても、キリストがともにいてくださると信じていても、「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と叫ぶようなことがあると思います。叫ぶならまだいいです。そこに主イエスがおられることすら私たちは忘れて、あたふたしてしまうこともあるかもしれません。
叫ぶことなく、「海に沈むのも神の御心」というような悟りきったような態度を神は求めておられません。これは神の前で最も不信仰な姿です。叫んだらよいのです。どんどん叫ぶべきなのです。神は私たちの意表を突くやり方で敢えて嵐を起こされるお方だからです。この舟は次の聖書個所を見ると、ゲラサ人の地方に向かっていました。そこはガリラヤ湖の東側で、イスラエルではなく異邦人の地でした。その地方では律法で汚れたものとされている豚を飼っていたようです。弟子たちはおそらくそんなところに行きたくはなかったと思います。しかし、主イエスは「向こう岸に渡ろう」とおっしゃったのです。なぜ主イエスはそこへ向かっておられたのでしょうか。主イエスは基本的には十字架におかかりになる前はイスラエルへと福音宣教をなさっていました。それがわざわざゲラサの方へ向かわれた、ということには、いくつかの理由があるかもしれませんが、ひとつには、そこに救うべき人がいたからだと言えます。救うべき魂があるとお考えになったから、主イエスはその汚れた異邦人たちの地へと向かわれたのです。
逆に言いますと、救うべき魂のところへ行かなければ嵐にはあわなかったのです。宣教をしなければ嵐にはあわなかったのです。イスラエルの中にとどまっていれば安全だったのです。しかし、主イエスは舟に乗ってでかけられました。主イエスと共に生きていくということは、主イエスと共に宣教をすることです。そしてそれゆえに時に嵐にあうこともあるのです。直接的な宣教ということだけではなく、皆さんの日常の生活においても、主イエスと共に歩むということは、時として、行きたくない「向こう岸」に行かされることでもあります。当然、舟に乗りさえしなければ、嵐にあって水浸しになることもありません。しかし、主イエスと共に歩むとき、乗りたくない舟に乗って、行きたくないところに行かされるようなことも時としてあります。しかもそこで嵐にあってしまうのです。
舟は教会を象徴するともいえます。教会もまた、風に翻弄される落ち葉のように、嵐の中で水浸しになってしまうことがあります。しかしまた教会も、安全地帯にとどまっているならば、主イエスのご意志に従って生きているとは言えません。時として「向こう岸」に渡らねばならないときがあります。いつもいつも荒海に出ていくわけではありませんが、ただひたすら安全な陸にとどまっていることは、主イエスの御心ではないのです。
しかしまた一方で思います。やはり、「向こう岸」に渡るのはしんどいではないか、と。せっかく信仰をもって歩んでいるのです。普段の生活で厳しいこと、つらいことは山のようにある、せめて信仰においてはほっとしたい、慰められたい、つらい思いをしたくないと正直思う心もあると思います。わざわざ「向こう岸」にはやっぱり渡りたくない、そんな思いもあるかもしれません。
そう思いつつ、今日の聖書個所を読み進みますと、結局のところ、嵐は主イエスが「黙れ、静まれ」とお𠮟りになると静まったと記されています。そして主イエスは「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と弟子たちにおっしゃいます。しかし、これは、ほら、イエス様を信じていたら困難から守られるんですよ、弟子たちのような不信仰ではいけませんよ、いつでもイエス様を信じて生きていきましょうねという単純な話ではないのです。
私たちは「向こう岸」に渡らなくても、陸にいても十分にしんどいことはあります。にも拘らず、なぜさらに「向こう岸」に渡るのでしょう。苦労に苦労を重ねるようなことをしないといけないのでしょうか。そうではないのです。自分が安全だと思うところにとどまっているとき、神の豊かさが見えないのです。ひとつところにとどまって舟を出さなければ、嵐にはあわないし、そこでそこそこ生活ができているかもしれません。しかし、主イエスに従って舟を出すとき、はじめて、嵐の中でも守られる神の現実を知らされるのです。舟を出さなければ、慣れた陸の生活ならば、そこでしんどいことがあっても、自分で頑張ってどうにか切り抜けていくような感覚になると思います。もちろんそこでも神の助けはあるのですが、しかし決定的な神の働きは分かりにくいのです。そしてそこでは神の救いの業が見えないのです。
旧約聖書では、出エジプトした民は、荒れ野で神からマナを降らせていただいて食べ、また岩から水を出していただいて飲みました。旅立った者には神の御業があらわされるのです。そもそもエジプトにとどまることは奴隷であり続けることでありました。それでも、エジプトでは肉鍋を食べることができました。実際、出エジプトした民は、荒れ野を旅しながら、エジプトの肉鍋の方がよかったと文句を言いました。エジプトで奴隷としてこき使われる生活と、荒れ野を旅する生活、一見、どっちもどっちだなと感じるかもしれません。しかし、荒れ野を旅する民には昼は雲の柱、夜は火の柱として、神の守りがありました。申命記8章に、モーセはその荒れ野の旅を総括してこう語っています。「この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」荒れ野の旅には確かに苦労があった、しかし、旅立った者の着物は古びず、足がはれることもなかった、たしかに神の守りがあったことを思い出しなさいと、モーセは語ります。今日の聖書個所で言えば、たしかに舟を出してあなたたちは苦労をした、水浸しになって怖い目にあった、でも、守られたでしょう。そう主イエスはおっしゃるのです。「まだ信じないのか」という言葉は諫めておられる言葉に聞こえますが、「あなたたちは、もう信じることができるのではないか」という言葉でもあります。あなたたちは信じて、旅をすることができる、これからも舟を出し続けることができる。恐れる必要はない、そう主イエスはおっしゃるのです。だから私と一緒にこれからも舟を出そう、旅立とう、と主イエスはおっしゃっているのです。苦労に苦労を重ねるために旅立つのではないのです。鍛錬や修行ではないのです。神の救いを見るために旅立つのです。
私たちはいま奴隷ではありません。しかし、さまざまに現実の中で縛られている側面があります。さまざまな制約や不便や欠乏があります。病などの身体的な苦しみもあります。しかし、主イエスと共に旅立つ時、私たちは意外なことに、これまで自分を縛っていたものから、自由にされるのです。旅立ちはしたものの、主イエスは眠っておられて、私のことなど忘れておられるように思える時があっても、実際は、私のために働いておられることを知るのです。そして神の救いを見るのです。私がすでに救われていることを見、さらに誰かが救われることを見るのです。
さきほどの申命記の聖書個所で昔、別のところで説教をしたことがあります。その時、少し個人的なことをお話ししました。私の息子が中学生のころ、不登校になって学校に行かなかった時期があります。思春期と反抗期で、いろいろと荒れていて、ある時、私に腹を立てた息子が玄関のところの壁を拳で打って、壁が何か所か壊れてへこんでしまいました。その当時、私は非常に困ってしまって、市の不登校相談窓口とかにも相談したりしたのですが、すぐには解決しませんでした。一年半後に不思議なありかたで子供は学校に行くようになったのですが、数年後、その壁のへこんだ部分を見ているとき、さきほどの申命記の箇所が響いてきたのです。「あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」自分ではあの当時、とても苦労をした気がしていたのです。たいへんだったと思っていたのです。いや実際母子家庭でしたし、たいへんだったのです。経済的なこともありましたし。でもわかったのです。確かに着物も古びなかったし、足もはれなかった、嵐の中で水浸しの舟のような日々でしたが、たしかに守られていたことがわかったのです。
私たちは主イエスと共に歩むとき、嵐を避ける生き方ではなく、もっと大胆に漕ぎ出す生き方になるのです。嵐の中にあっても、荒れ野の中にあっても、けっして打ち捨てられることはないからです。その時々に、不安にあって叫ぶことはあるでしょう。しかし、主イエスがおられるのです。嵐は静まるのです。そして、恐れることはない、信じなさい、そうおっしゃるのです。ですから私たちは大胆に舟を出します。
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