2021年10月3日日大阪東教会主日礼拝説教「恥多き人生でよし」吉浦玲子
<キリストさん>
キリスト者、英語でいうところのクリスチャンという言葉が使われ出したのは、もともとユダヤ教の一派と思われていた初期のキリスト教徒たちが、ユダヤ人以外の、聖書でいうところの異邦人への伝道を開始したころです。使徒言行録で少し前に皆さんとお読みしたところでもありますが、初代教会最初の殉教者ステファノの死を契機にエルサレムでキリスト教徒への迫害が始まり、多くの人々がエルサレムから各地に散らされました。その散らされた先の一つであるアンティオキアという町で熱心に伝道がなされました。バルナバの働きがあり、またバルナバに見いだされたパウロも本格的に活動を開始したころです。キリスト者、クリスチャンという言葉には、当時、善いニュアンスがあったのか悪いニュアンスがあったのかははっきりとは分からないようです。しかし、イエス・キリストを宣べ伝えている人々をアンティオキアの人々が「キリスト者」と呼んだのです。キリストのことばかりしゃべっている人たち、年中、「キリスト、キリストと言ってるあの人たち」という感じかもしれません。
ある牧師が仕えている教会で、ホームレスの人々への弁当を配るという活動をしていたそうです。配布当日、牧師も奉仕に参加しました。配布場所の講演でホームレスの人々がずらっと並んで、弁当が配られる順番を待っていました。その配布場所では、いろいろな団体が、そのような支援活動をしているそうです。弁当を配っていると、列の後ろの方から、並んでいる人々の会話が聞こえてきたそうです。「今日はどこのや」と言ってるのです。毎週のようにいろんな福祉団体が、弁当を配ったり炊き出しをしていて、今日の弁当配布はどこの団体がやっているのかという意味で「今日はどこのや」と聞いていたのです。そうしたら横にいた別のホームレスの人が「今日はキリストさんや」と答えたそうです。そしたら聞いた方も「そうか、キリストさんかー」と納得していたそうです。その会話を聞いた牧師先生は「いやいや、キリストさんじゃなくて、うちは○○教会なんやけど」と言いたくなったそうですが、はっと気づいたそうです。「そうやそうや、たしかにこれはイエス様が、なさってくださっていることや。自分たちがやってる、うちの教会の活動やと思ったらあかんわ。ほんとにキリストさんがなさってるんや。キリストさんの弁当やわ、これは」と思ったそうです。キリスト者というのはキリストを宣べ伝えながら、すべてを神の栄光に帰する者たちのことです。キリストの名によって宣教をし、すべてのことをキリストにゆだねていく、これは<キリストさん>のなさったことだと心から感謝して歩んでいく、それがキリスト者です。
しかし、人間はついつい、これはあの人ががんばったからとか、場合によって自分の手柄だと思ったりします。もちろん自分が頑張ったことを否定する必要はありません。自分で自分をほめてもいいですし、頑張った方、努力をなさった方に、ねぎらいや感謝の心を持つことは大事です。しかし、まず感謝すべきは神に対してです。キリスト者は、聖霊によって<キリストさん>の働きを知らされます。ですから、あの人のおかげだとか、この人のがんばりだとかばかり考えるのはキリスト者の姿勢ではありません。神は、ご自分に従う者たちへ、それぞれに賜物として力や志を与え、道を整えてくださいます。まず最初に<キリストさん>、つまり神の働きがあり、神の祝福があります。<キリストさん>の働きを知っている者には、かならず聖霊の実りがもたらされます。キリスト者はすべてのことを人への誉れとは思わないのです。
<キリスト者として辱めを受ける>
さて、キリストを宣べ伝え、キリストの力を信じるキリスト者には苦しみがあることを、繰り返しペトロは語っています。そしてそのことを「驚き怪しんではならない」と言います。驚き怪しむどころか「喜びなさい」というのです。使徒言行録第5章には、最初の迫害によってペトロたちが最高法院で調べを受け、鞭を打たれ、その後、解放されたあと「使徒たちはキリストの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜んだ」と記されています。キリスト者として、キリストの名のために、つまりキリストを宣べ伝えるために、やましいことはないのに、不当な目に遭って、それを耐え忍びなさいというのはまだ理解できます。しかし、喜べとまで言われるとどうなんだろうかと考えてしまいませんか。使徒たちのように、辱めを受けることを喜ぶというのはなかなか難しいことだと思います。辱めは受けたくない、恥はかきたくない、それが普通の感覚だと思います。
そもそもペトロが語る苦しみとは、キリストの苦しみにあずかるものです。キリストの苦しみは私たちを救うための苦しみでした。肉体的な苦痛と、侮辱と、裏切りにあった苦しみでした。それはすべて私たちのためでした。そして、そのキリストの苦しみはけっして無駄にならなかったのです。私たちもまたキリスト者として、キリストを宣べ伝えていくときに苦しみに遭うならば、それはキリストの苦しみにあずかることです。宣教の上での苦しみのみならず、病やさまざまな試練といった自分一人の苦しみであっても、キリストと共に歩む歩みの中で味わう苦しみはキリストの苦しみにあずかっているのです。さまざまな痛み、苦しみ、孤独、その苦しみの中で十字架のキリストと出会います。なぜこんな苦しみに遭うのか、なぜこのような痛みを担うのか、分からない、そのような時、キリストと必ず出会います。そしてキリストの苦しみにあずかっていることを知らされます。キリストの苦しみにあずかっているのなら、当然、それは決して無駄には終わらないのです。
「それはキリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです」とペトロは語ります。地上においても、終わりの時においても、キリストの栄光が現れるとき、苦しみを耐えた者には、喜びが満ちあふれるのです。ある牧師が、ある教会に赴任してたいへん張り切っていたそうです。ところが、慣れぬ土地で、牧師の奥様が体調を崩され、その看病のために、思うように伝道ができなかったそうです。奥様の病の心配と、新任で赴任したばかりなのに、満足な働きができないことへの焦りで、ひどく苦しい思いで過ごしていたところ、一年たって、赴任以来の新来会者の数を数えたら百人ほどになっていたそうです。もともと20名ほどの教会で、かつ、最寄駅から少し距離がある不便な場所の教会だったのに、たくさんの新しい人が招かれていたことが分かりました。もちろん新しく来た人々がすべてが継続的に教会に繋がったわけではないですが、その牧師は、そこに神の業を見て、畏れ、喜ばれたそうです。思うように自分が動けない困難の中で、神の業を見て、力を与えられたそうです。私たちは苦しみにあっても、必ず、神の業を見ることができます。神のご栄光を見ることができます。それを知っているから喜ぶことができるのです。さらに終わりに日には、キリストがふたたび来られ、そのご栄光を顔と顔を合わせるようにはっきりと見ることができる、神の業の完成を見ることができる、だからいま地上であう苦しみに耐えることができ、さらに喜ぶことができるのです。
<恥多きキリスト者の人生>
さらにペトロは、「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません」と語ります。ペトロたちは鞭打たれ辱められましたが、喜びました。私たちもキリスト者として受ける苦しみを恥じてはならないのです。そもそも、日本の文化は恥の文化といわれていました。世間に恥ずかしくない生活をするということがひとつの規範でした。不祥事を起こしたとき、その問題自体を詫びるのではなく、まず「世間をお騒がせ」したことを謝罪します。世間に対して恥ずかしいことをしたことを詫びるのです。「恥」という感覚は、倫理的なあり方を支える側面があります。そういう意味で、悪いものではありません。しかし、昨今は、そういう「恥」の概念が変化してきているとも言えます。もともと「恥」への感覚は、世間を騒がせなければよい、人様から恥ずかしい奴と思われなければ何をしてもよいというところへ落ち込みやすい傾向がありましたが、いまや、恥ずかしいことをしても堂々としているという状況が日本でも多いように思います。電車などの公共の場で人目を気にせず化粧をする女性から、平気で嘘をついてどこまでも詫びない権力者まで、恥を失った人々が堂々としている社会になりました。多様化した価値観や人とのつながりが希薄になった中で、昔のような、固定的な価値観を支える「世間」とか「常識」というものが通用しなくなったせいかもしれません。恥ずかしいと感じる対象の「世間」という感覚が希薄になったからかもしれません。しかし、恥の感覚が希薄になったとはいえ、やはり、恥はかきたくない、というのが普通の感覚だと思います。同調圧力の強い日本の社会にあって、個人が個人のあり方を貫くことは難しく、人と違っていることは恥ずかしい、生き辛いということがあります。そのような日本においてはクリスチャンはマイノリティです。私自身、親戚中で、ただ一人のクリスチャンで、親戚が集まる場で、好奇の目で見られたりします。日本の社会の中で、クリスチャン、キリスト者であることは、恥ずかしさ、生き辛さをおのずと持っているといえます。
<本当の宝>
迫害を受け辱めを受けたペトロたちが喜んだという使徒言行録の記事に先ほど触れましたが、最初に教会ができた頃から、キリスト者は、ある種の恥ずかしさの中で生きて来たと言えます。ローマの信徒への手紙に有名なパウロの言葉があります。「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」わたしは福音を恥としないと敢えてパウロが書いているというのは、福音は恥だという風潮が当時、あったからです。ギリシャ人は知的な人々です。その知的な人々に「死者の復活」などということを言っても「その話はいずれまた」と敬遠されます。ユダヤ人にとっては、十字架でみじめに死んだ男が救い主だなどということは怒りすら覚えることです。当時の社会において、福音を信じることは、はみ出し者であり、ばかげたことでした。バウロ自身、福音を信じることによって、それまでのユダヤ人の中でのエリートとしての地位を失いました。しかし、そこに悲壮なものがあったかというとそうではないのです。自分の思想信条のためにすべてを投げ打つとか、夢のために犠牲を払うということではなかったのです。福音の力の素晴らしさを確信したゆえに、他のことはどうでもよくなったのです。フィリピの信徒への手紙にパウロのこのような言葉があります。「わたしは主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」パウロはキリストという宝を見つけた人でした。福音書の中に、畑の中に宝を見つけた人が、財産すべてを売り払って、その宝を手に入れるという話がありました。天の国は畑の中に隠されている宝のようなものだとたとえられているのです。その宝の価値が分かっていない人には財産を売り払うなどということはばかげた話です。しかし、宝の価値を分かっている人は、財産すべてを失っても、むしろ喜ぶのです。ペトロもパウロもそうでした。
福音は力であり、何にも代えがたい宝です。私たちの人生を根底から変える力であり、祝福を源である宝です。それを得るためにこの地上で受ける恥などささいなことだとペトロもパウロも考えていました。福音の力、キリストという宝、それは聖霊によって知らされることです。人間や世間に忖度している人には決して見えない力であり、宝です。私たちには、今、その福音の力を感じているでしょうか?キリストという宝が見えているでしょうか?今、目の前にキリストの宝はあるのです。聖霊を求めなければ、私たちの目は曇り見えないのです。聖霊に祈り願い、福音の力をいっそう感じ、キリストという宝を見えるようにしていただきましょう。そこから新しい人生が始まります。
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