愛の塩焼き

友人の薦めで勢いで開設してしまったよもやま日記。
早いもので16年を超えた。。。。

さようなら

2011年02月01日 20時49分41秒 | わが家のこと
 近年、義母と会うのは、何か特別なことがない限り年1回。年始のご挨拶のときだけとなっている。


 いままでは、夏休みに子供達を連れて行っていたが、健康状態から、お邪魔することが負担になるだろうと、遠慮する年が続いている。正月も日帰りがここのところの恒例。




 ちょうどひと月前、元気な姿を見たばかりだが、昨日、最後のお別れとなった。




 28日金曜日深夜、義母は逝った。 享年79歳。



 最近、脳に老化現象がみられ、やや健忘症がすすんでいたと聞く。日中の徘徊もたまに…。

 この正月は、私を見て、嫁から「誰だか分かる?」と問いかけられていた。嫁は少し前から介護のため実家に顔を出すようになっていた。




 先週は、義父がもともと悪い腰を痛め、義母の面倒が見られないので、デイケアセンターに短期入所し、帰ってきたのが金曜日。




 義父に発見されたのは浴室。先に就寝していた義父が小用で目覚め、隣にいないので探したところ浴室に浮いていたという。


 この日、義兄が夜9時前までは実家にいたらしいので、それ以降の入浴になる。普段ならとっくに就寝している時間。徘徊の一種だったのだろうか。


 検屍の結果、溺死ではなく心筋梗塞だったようだ。



 いまは事件性を疑うのだろうか、遺体は検屍に回されるし、発見者はもちろん、深夜にも関わらず集まった人間には事情聴取。預金通帳の確認や生命保険加入の有無……。それは土曜日早朝にまで及んだ。



 遺族としては「早く仏様を返せ」と抗議したくなるほど。



 義母は、結婚の挨拶に行ったときから私とは対決姿勢。嫁は末っ子なので特別な思いがあり、心配だったのだろう。

 対決姿勢というか、漁師町で育ったので、その口調から私にはそう聞こえていたのかもしれない…。若かった自分は、喧嘩を売られているとしか聞こえなかった。




 話すときには口元を尖らせ、皺が寄る。昭和の時代によく見かけた「梅干しばあさん」だ。


 腰が折れ始めたので、近年は会う度に背が縮んでいるように思えた。会うたびに嫁や子供達を案じて私にはお小言。口調は変わらないが、経年とともにその愛情が伝わってくるようになった。




 やはり漁師町で育ち、漁師としての経験もある義父は亭主関白の雰囲気を漂わせるが、その義父にものを云わせないよう機関銃のようにしゃべる義母。
 その攻撃に合うと言葉を発しない義父だが、その場を離れひとりでぶつぶつ言っているのは見慣れた光景となっていた。


 出棺時、その義父の激しい嗚咽にはまいった。

 おしどり夫婦だったんだ。




 関係を持った人の死はいつもつらい思いをするが、やはり身内は特にその感情が高まる。





 お義母さん、安らかに眠ってください。

 合掌。

コメント (8)
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