絵や詩をかいています。
制作日誌
つながり
ひとくちに「つながり」といっても漠然としているが、ここでは「人とのつながり」を意識してテーマに選んだ。私は人間関係にいちばん小心であり、かつそれをいちばん気にしている。詩を書く理由も、人との出会いを求めているからかも知れない。
三・一一大震災の後、「絆(きずな)」という語が広まった。困難を乗り越える、助け合い、連帯などを一括りに表したものと解していたが、本来の意味は「馬をつなぐ綱」であり、人の行動や自由を束縛することらしい。古事では、あまり良い意味ではないようだ。
人をつなぐ言葉にどのような語があるだろうか。「思いやり」、「仲良く」、「縁」など、在り来たりの言葉しか思いつかない。胡散臭い言葉は幾つかある。「共生」、「多様性」など。本意はよく分からないが、白々しく聞こえるのはなぜか。「寄り添う」にいたっては、添い寝レベルならともかく、少なからず優位性や上下関係を感じてしまう。素直さに欠けるからだろうか、
人は一生の間にどのくらいの人と巡り会うのか。名刺ストックは一冊には届かない。携帯電話のアドレス帳には一〇〇件ほど入っているが、実際に連絡しているのは二、三件だ。消去ならいつでもできると思って、そのままにしている。
街の雑踏ですれ違ったり、買い物で一言二言の声をかけた人数など、偶然やいっときの出会いまで含めたら、一気に広がる。
私は街ブラが好きで、駅前の歯医者の帰りに、一時間ほど散策する。町並みの変化を観察するのも面白いが、何か人混みに紛れる安心感のようなものがある。
萩原朔太郎に「群衆の中を求めて歩く」という詩があるが、あの空気に近いと思う。個々ではなく、人の気配とのつながりとでもいうことか。
好きな作家、あるいは画家など、会ったこともないが、作品からその作家に憧れるときもある。あるいは映画やドラマの架空の人物といった場合もあるだろう。もっといえば、過去となってしまった死者ともつながっている
日々の暮らしは寂しいが、意外に自分の中に「つながり」は生まれているようだ。
三・一一大震災の後、「絆(きずな)」という語が広まった。困難を乗り越える、助け合い、連帯などを一括りに表したものと解していたが、本来の意味は「馬をつなぐ綱」であり、人の行動や自由を束縛することらしい。古事では、あまり良い意味ではないようだ。
人をつなぐ言葉にどのような語があるだろうか。「思いやり」、「仲良く」、「縁」など、在り来たりの言葉しか思いつかない。胡散臭い言葉は幾つかある。「共生」、「多様性」など。本意はよく分からないが、白々しく聞こえるのはなぜか。「寄り添う」にいたっては、添い寝レベルならともかく、少なからず優位性や上下関係を感じてしまう。素直さに欠けるからだろうか、
人は一生の間にどのくらいの人と巡り会うのか。名刺ストックは一冊には届かない。携帯電話のアドレス帳には一〇〇件ほど入っているが、実際に連絡しているのは二、三件だ。消去ならいつでもできると思って、そのままにしている。
街の雑踏ですれ違ったり、買い物で一言二言の声をかけた人数など、偶然やいっときの出会いまで含めたら、一気に広がる。
私は街ブラが好きで、駅前の歯医者の帰りに、一時間ほど散策する。町並みの変化を観察するのも面白いが、何か人混みに紛れる安心感のようなものがある。
萩原朔太郎に「群衆の中を求めて歩く」という詩があるが、あの空気に近いと思う。個々ではなく、人の気配とのつながりとでもいうことか。
好きな作家、あるいは画家など、会ったこともないが、作品からその作家に憧れるときもある。あるいは映画やドラマの架空の人物といった場合もあるだろう。もっといえば、過去となってしまった死者ともつながっている
日々の暮らしは寂しいが、意外に自分の中に「つながり」は生まれているようだ。
個人詩誌「風の中へ」第1号 2020.12.10
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