Hiroyasu-kingの体験記  裏読み思考で社会を暴く、真理不尽の違法許さず! 遊び心で一刀両断 是非に及ばず

ヒロヤスキングの穴馬指南奮戦記から、社会の真相に迫る裏読み体験談 
官僚国家の罠 国民は家畜じゃないよ!主権在民だよ!

驕る阿呆の弱いもの虐めを許してはいけないね

2012年07月19日 20時23分05秒 | 体罰.虐待.虐め.暴力教師.教育委員会
体が大きいから強い 小さいから弱いって考えは力比べのことだよね 素手の喧嘩なら通用するよ
でも、道具を使った命の取り合いには、この法則は通用しないよ 武道を学ぶだけでも体のハンデは縮じむけどね
昔は牛若丸と弁慶の戦いで、小さい牛若丸が大男の弁慶を手玉に取る物語で教えていたけどね
強さは体の大きさだけではないとね 小さくても勝てる方法があると教えていたんだよ
今のように、体の大きさで強さが比例するような捉え方は、小さければ負け犬と扱われてしまうね
虐めの力関係が確立されてしまうのだろう 小さい奴が大きい奴をやっつけるなんて事がないからね
社会に出るとこの力関係は通用しないからね、逆転現象が幾らでもあるから強かった奴ほど落とし穴に落ちるよ
大きな挫折感を味わい、再起不能になるほど弱々しくなってしまうよ 恐い思いをしたことのない人間ほどショックが大きいよ
下をみて驕らず 上をみて諂わずだろ 強いからと驕れば思わぬ火の粉がかかることになる

大学時代の格闘技では、強い先輩が酒を飲んでいた時にヤクザに絡まれて、力任せにやっつけたまでは良かったけどね
報復で狙われて襲われ、日本刀で片腕を切り落とされた話があったよ 相手を甘くみたんだね
力道山もヤッパで一突きで命を落としただろ 猪木だって日本刀で切りつけられたよ
いくら強くても絶対はないんだよ 最初から命の取り合いだと思ったらむやみに喧嘩はしないだろ
侍社会の野蛮な時代では喧嘩の恐さは分かっていただろう 虐めなんてしたら命を狙われる恐さも分かっていただろう
弱いものを追い詰めすぎない加減をしっていたと思うね この感覚を教育するのが現在では難しいのかもね
力任せに弱肉強食を良とする考えを改めさせないとね 強いものは弱いものに何をしても良いと錯覚させるのは危険だろう
獣の世界では許せても 人間社会では許せないからね 強弱の立場は一瞬にして変わるからね

身近でも事件があったよ 
体の大きい奴がツッパッテ、ヤクザと揉めたら、さらわれて刺されそうになった、小便漏らして土下座して許して貰ったそうだよ
以来、言葉遣いが丁寧になった 恐いものがあることを知ったんだね
大学時代にボクシングをやっていて体も大きく腕自慢の人が居たよ 酔っ払いに絡まれて腹が立ち、殴ってしまったよ
相手は名うての極道で報復されたよ さらわれてボコボコにされ意識不明の重態になり、解決するには金もかかったんだよ
ヤクザが強いって言ってるわけではないよ ヤクザは事件を起こせば簡単に刑務所行きだからね
素人に下手に暴力は与えられないよ 下手なツッパリなんかで対応せずに真正面から向き合えば良いんだよ
腕力で解決しようとすれば通じないよ 向こうは暴力団だからね
世の中に腕力だけで解決できるものはないよ 虐めを許すって事は社会に出てから挫折するだろう
加減が分からないってことは、相手の気持ちが分からないってことだからね 空気が読めないってことにもなるね
大人の顔色を見るって言うと昔は悪い意味に使われたね 大人の機嫌を読んでずる賢く立ち回る子供のことを言ったよ
これは大人の都合で純粋で素直な子供を良しとしただけだよ 顔色を読むって事は重要な要素だよ
子供は大人の顔色を見て心の中を読んでいるんだろ 顔色を読めれば心が読めるよ 空気も読める能力になるね
顔色を読むって事は大事な能力だと思うね あそび、悪ふざけ、虐めと加減が分かるだろう
最近は顔の表情が豊かでなくなってるのも気になるね
喜怒哀楽が希薄になっているのか、無表情の人間が増えているからね 顔色を読みにくくなってるね
顔の表情が貧しいと言うことは、人としての情が欠けていると言うことだろう 冷酷非情に近づくという事だろう
義理人情は、仲間を助けたり、助けられたりの根幹だろ ドライに言えば義理は貸し借りだよ
人情は施しだよ 人に施しを与えられるような人物になれって事を教育しないとダメだね 
   



 


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