サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 無事に娘が第二子出産してくれました

2024-06-17 09:27:00 | 
祝!長女が第二子の元気な男の子を昨日無事出産しました。
母子ともに健康で一安心しました。

長女の出産に備えてスタンバイしていた私達に早朝3時過ぎに、どうも陣痛が始まったみたいだから来て欲しいと第一報。
直ぐに起きて準備し、4時過ぎに娘のマンションに到着。
到着と同時に、旦那様が娘を連れて病院へ。私達は第一子の長男坊の面倒のため待機。同日の朝9時30分頃に無事出産で超安産だったと連絡ありほっとしました。
現代では事前に男女の判断がわかるし、娘も2人目という事で経験者である事、勿論、妊娠が分かった時点で、食事制限や薬をストップし食品添加物などの現代科学で分かってきた危険分子を遠ざける生活をしている様子だったので色んな意味で大丈夫だとは思っていました。それでも不安が完全に無くなることはありませんでしたので、母子共に元気に出産を終えた事に本当にほっとしました。

娘の住むマンションにいた私達は、朝起きた孫が「パパとママは?」と聞きましたが、「ママが赤ちゃんを産むからパパが病院に連れて行ってるよ。」って説明したらすぐ納得してくれました。まだ2歳なのによく理解して自分の心をコントロール出来るもんだと感心します。その後、娘のマンションにいても勝手がわからないので我が家に連れてきて夜まで一緒にいましたが、やはり最後は「ママが良い~!パパが良い~!」って泣いちゃいました。1日我慢していたんでしょう。夜、送っていってパパにしっかり抱っこされてご機嫌な様子でした。その後、私達も自宅に戻り神さんと2人で改めてお祝いの一杯をいただいたのでした!

私の幼稚園時代は昭和30年代で、まだ農薬も無かった時代。川の水は河口付近だったにも関わらず飲めるくらい透き通ってて今でいう上高地の梓川上流の感じでしたし、田んぼにはありとあらゆる沢山の生き物がいて、また家の周りには沢山の薄汚れた悪ガキの子供達と虫やカエルやトンボで遊んだり、私もそんな中で育ちながらも幼稚園は嫌いでなかなか行けなく、泣き虫でお母さんっ子で母親から離れられない子でしたが、今ふと思い出すとキラキラした思い出ばかりです。(その後一気に農薬や公害で自然は破壊され海も川も空も汚れていく中で育つ訳ですが)
今の時代は両親共働きで核家族なので否が応にも小さな頃から、小綺麗な格好で保育園に預けられて小さなコミュニティーで1日を過ごし、私はその事が可哀そうだと思っていますが、保育園での生活を通して、こと人間関係や言葉の発達などは昔よりも断然早い様にも感じます。どっちが良い悪いは判断できませんが、世のお父さんお母さん爺さん婆さんは、とても忙しく生活も楽ではありませんが子供が小さい時にこそ、なるべく多く自然豊かな世界を触れさせて欲しいと思ったりします。勿論、私達も出来る範囲で、孫達には自然の美しさや怖さを感じさせてあげたいと再認識したりしました。