最近の車はとても先進的でデザインもカッコいい。
でも、昔の車と比べるとエンジンの造りも複雑になって自分ではとてもいじれません。また車の大きさも5ナンバーサイズからほとんど3ナンバーサイズへ大きくなりました。車のデザインは未来的に変わって来たし、電気系統も電球からLEDに変化し、車内のメーター類もアナログ式から電子式に変わり、音楽もカセットテープからCD、MDと続き最近は社内Wi-FiやiPhonから直接入力出来たり、カーナビも最初は無かったし最初の頃は直ぐにずれて山中では役立たず。最近はナビ無しだとどこにも行けません。
実際、私が最初に買った車は、社会人になって直ぐに友人から譲り受けた古い20年ものの黒いビートル。スピードメーター裏の方でたまに火花が出てました。ある日、あまりにもガソリン臭かったので、修理屋さんで確認してもらったらガソリンホースの一部が破れてて、常時ガソリンで運転席の床が塗れてて、これまでよく燃えなかったと運の良さに驚かれたものです。次は街の中古屋さんで買った青いホンダのシティーターボです。当時はターボ車が流行でターボが利き始めるとグンと伸びて良く走ってくれました。次は結婚した時に神さんが乗ってた白いホンダのトゥデイで花嫁道具で持ってきてくれたので私のシティーターボは手放しました。4台目はいきなり大型車でトヨタプラド。家族みんなでこの車で本当に沢山の場所に旅行に行きました。でも石原都知事が都内に入るのにディーゼル車規制をかけたタイミングで乗換えました。5台目はホンダの白いオデッセイにしました。荷物が沢山詰めて重宝しましたし民主党時代に高速道路料金が夜中走ると格安になった事から、この車で関東から実家のあった九州まで良く往復しました。長距離運転中に車中で家族で歌ったりゲームしたり途中のSAでの仮眠もこの車でした。さて6台目は娘達も運転できる年齢になり、また希望もありBMWミニクーパーの白黒のクロスオーバー。オシャレな内装や独特なデザインにエンジン造りのコンセプトが日本車と異なる事が良く分かりました。外車はエンジン回転数をガンガン回して10万キロ走れれば後は修理しながら乗りなって感じ。日本車はエンジンを大切に回しながら20万キロ走っても基本的に大丈夫ですよってな感じに思いました。そして簡単な故障も修理代金がビックリするほど高い。なので7台目はこの経験から日本車に戻り、今乗っているマツダの白いCX3。ディーゼル車ですがスカイアクティブエンジンで排気ガスはクリーン。燃費も街乗りで15㎞、長距離だと23㎞は走ります。軽油なので経済的にもとても助かっています。
こんなに奇麗じゃなかったけど同じタイプ
これ、楽しかった。シティーターボ
良く走ってくれたトゥデイ
ランドクルーザープラド、天井にも荷物用キャリアも付けて
オデッセイアブソルート当時はかっこよかったけど
車内のシートもユニオンジャック模様に交換してました。
そして今のCX3。
多分、次も日本車でその次も日本車になるでしょう。その途中でキャンピングカーにも乗りたいし北海道は礼文島から沖縄は石垣島までキャンピングカーで気ままな旅もしたい。日本国中の美しい自然をこの目で確かめたい。あと数台は私の所に新しいタイプの車たちが来てくれるでしょう。
写真は全て拾い物で当時の私の車に1番イメージが近いもの。
ところがあります。
トゥデイからランクルに変化なさって
ますが、私はトゥデイからパジェロ
でした。1990年の終わりのことです。
そこから何台も乗り換えましたが、
ずっと四駆です。
このランクルプラド、いいクルマでし
たね。
パジェロ、当時パリダカラリーで篠塚さんの活躍で日本で大人気でしたよね。本当に良い車でした。
私も、大きな四駆で砂地の海岸に入って、ガンガン走れるあの感覚はとっても楽しい経験でした。