梅雨に入ったが、東京の雨はそれほどでもない。寒かったり暑く成ったりのこの頃
である。コロナの自粛が開放されての最初の土・日連休で他県への移動で、バスの
旅行が帰ってきて、徐々に元に戻りつつある。私は、まだ、朝の散歩以外は自宅で、
読書かテレビを見る程度の毎日だ。日曜日は、必ずと言って、NHKの(麒麟がくる)の
を見た後に(ぽっんと一軒屋)の録画のものを見ている。この番組になぜ興味があるか
と言うと今の時代と比べて、昔の生活を思い出す風景と、自然を相手にして造る建造物
など多いことである。私が昔ボーイスカウトでカブ隊長を行ったときに経験した、子供
達が自然の中に入って、自分達の(住みか)を近くの木や笹や草などを使って造ることや
火を使って料理する楽しさを思い出すからだろうか。しかし、山奥に、ぽっんと
一軒屋があり、よくも、そこまで自動車が行くだけの小道が出来ているものだと感心
する。また、テレビでは近くの集落で、その一軒家で暮らしている人を調べて、行くの
であるが、数キロも離れているのに、よくもその人の名前を集落の人が知っていること
である。東京の町の中では、このようなことはない。それにしても、この一軒家は、
一人暮らしが多く、自給自足で、自分の畑からとれる米や野菜と1週間に1度程度に
町で、肉や魚を買ってくるぐらい生活で、自然と触れ合う生活を楽しんでいることが
読み取れる。私がそれ以外に、興味があるのは、2年前まで勤めていた、一人暮らし
の老人の宅に設置する東京都の緊急通報システムの工事で、よく、奥多摩の山奥の
一軒屋を訪問したからだ。東京都で一番山奥にある家は、小河内ダムから3キロほど
入った最初の集落からさらに3キロほど入った山奥で、奥と言う名前の集落で、山梨
県との境に位置し、ここが東京都であることに驚く場所であった。よく、猿や鹿や
イノシシが現れ、時には、熊騒ぎもあとのことで、良くも、このような場所で暮らし
ていると驚いた。しかし、ここで昔から住んでいる人にとっては、暮らし安いらしい。
しかし、90歳頃まで、よくもこの山奥で生活してきたものだと思って聞いてみると、
昔は、まだ、このような道がなく、木を切って焼いた炭を担いで下の小河内まで運ん
だころよりは、今は、自動車は通れるし、電気と電話があるので便利になったよと
話してくれた。このようであるから、コロナの影響は皆無かもしれない。