散歩のコースはどこですか

79歳の老人です。2年前まで現役で仕事をしていましたが、今は、趣味の
囲碁と読書と旅行などのほか朝の散歩が楽しみです。

忘年会の季節に入った

2018-12-06 09:13:02 | 日記

今日は、あいにくの雨、久しぶりに寒い朝である。散歩は中止。先日の4日は、

新宿で、大学の同窓会が写真のような、居酒屋であった。東京に住んでいる人

達が集まっての毎年行っている。昨年は、欠席したので、2年ぶりに参加した。

毎年1-2人減少しているようだが10人以下の懇親会だ。話題は、車の免許の

認知症試験など高齢者の話や昔の大学時代の話などになった。12月に入っての

最初の忘年会になったが、幹事が選んだこの居酒屋は、料理が豊富で私は久しぶり

に美味しいワインに酔った。この新宿の思い出は、歌声喫茶が数件あり、数回通った

場所はここから近くだった。この時代は、今のような居酒屋はなく、コンパと称した

誰でもが立ち寄れる飲み屋が繁盛していた。円いカウンターがあり、中のバーテンダーと

話ながらカクテルなどを頼み音楽を聴くだけあるが、隣に座る女性や男性といろいろ話す

ことが楽しかったのであろうか。今考えてみたら、若いものには、いろいろと楽しむ

ものが多いので考えらけないとおもうが。これからは、忘年会が多くなる季節には

いるが飲みすぎには、気を付けよう。


日本の産業革命は熊本城が進めたのだ

2018-12-04 09:48:12 | 日記

西郷どんもそろそろ終わりで、西南戦争で熊本城が登場する。先般の熊本の旅では、

熊本の地震での復興の象徴である熊本城の天守郭は元の姿にかわっていた。戊申戦争

で、明治天皇を担いで、徳川を賊軍化し、官軍として、会津などの東北勢をやぶって、

明治政府を成し遂げた西郷がどうして、西南戦争を起こしたのか、疑問に思うのは、

私だけでなく、歴史家もそのことを称している。私なりに、その原因を上げたい。

大久保、木戸、板倉などがヨーロッパなどの諸外国を視察して明治6年にかえって

きたが、日本の遅れを感じたて、外国に追いつくには、近代化のための産業革命が

必要と思い、それまでの政府の中心人物の西郷が進めの生ぬるい政策ではダメとの

結論から、征韓論の進め方の相違から、政治の世界から追い出したのは有名である。

西郷は、薩摩に帰り、武士集団の不満をなくすため、私学校を造り、農業などでその

不満をやわらげ、政府の推進する産業の推進を支えるべく、推進していたが、政府の

進める政策のなかでも、徴兵制に一般の人をも入れ、今まで戊申戦争で活躍した武士

を取り上げなかったことなどと、農民からの税金で、外国の人に、いい顔をするため

に裕福な暮らしを見せることなどが不満となったのであろう。そのためいち早く、

江藤新平が佐賀の乱を起こすが、西郷が大将になった警察軍により、鎮圧されている

のである。しかしその後、各地での同様の武士の不満が起こることに合わせて、薩摩

でも、その空気が急激に高まり、これを恐れた、大久保の政府が、西郷を抑える政策

をとったことが戦いの始まりとなったと思う。しかし、西郷は、大久保と単独で、

東京に行き話合わなかったのか疑問である。

これは、薩摩の武士団を鎮めるには、戦いなしにはすまないと感じたからだと思う。

そのため、熊本の鎮台の政府軍2000人に対して、1万人の薩摩軍を引き連れての

西南戦争を起こし、初戦では勝とおもっていたが、政府軍は、その作戦の情報をいち

早く電信でキャッチし、東京から、600人ほどの警察軍を汽車と軍艦を使って、

3日の短時間で、熊本城に送り込み、防御態勢を取っている。このことで、薩摩軍は、

最後には田原坂の戦で敗れ、その後は、佐賀の乱と同じく、鎮圧されてしまい、西郷

は鹿児島の城山で自決するのである。この後は、明治政府は、鉄道、造船、通信、

電力とあらゆる産業を興し、近代化をはかり、日清戦争、日露戦争を経て、やっと

近代化をはたすのである。このことから、私は、タイトルのように感じた。

 


シニアーは小高い山にかぎる

2018-12-02 09:40:13 | 日記

12月に入ったが今日は朝から山の会の誘いから、厚木市の郊外の小高い山へ行った。

私は、数年前から、山の会へ入っているが、最初の頃は、高い山へも、良く参加

したが、古希を過ぎたころからは、体力の衰えから、小高い山だけに参加する

ようになった。これは、カミさんが、シニアーがよく山で遭難する記事をみて、

小高い山のみにすることを願ったことからである。この会も、年々、会員の年齢が

高まって来て、約30人の会員の平均年齢がついに、70歳をこえたようで、

今日の参加者11人もこれにたがわずない歳であった。厚木本町駅から、バスで、

この小高い山(鳶尾山)約250mの山のふもとへ行き、公園で体操を皆でやった後、

登り始めた。最初は、215段の階段を鳶尾神社まで登り、疲れた足で、さらに

山頂をめだした。写真のような、頂上には、石塔があり、そこからの眺めは、

素晴らしかった。北は、東京のスカイツリー、東に横浜、南は湘南と一望に関東

平野がのぞめた。この場所からパラグライダーで、この高台から飛び出そうとリックを

担いだ2人のひとが、飛び出す場所へ向かうのを見かけたが、第二次大戦当時は、

この場所から、特攻隊の飛行機が飛んでゆくのが見えたと、石塔の裏に刻んで

あった。シニアーには、このような小高い山が、一番だ。