リクアワ2012のDVDが届いてまず見たのが、本編でなくてこれだったりする。どんなフリで歌うのかと思いきや、うわーど真ん中でウサ耳になってる。こぶし振り上げてる。舞台の一番前に全員で座ってる。うわーーん。
曲名の出典が「ファーストペンギン」であるというのは「定説」だと思うけど、ではなぜペンギンをラビットに変えたのか。一番シンプルな解答は「走れペンギン」が既にあったからだろうけど、それは変えた理由にはなっても、なぜ代わりにラビットを選んだのか分からない。で、次に考えるのは「洞穴」つながりの「不思議の国のアリス」ということで、まあその辺りでだいたい正解かなと、当初は考えてた。
その後、あっさんの卒業が発表され、歌詞とのあまりのシンクロぶりに、ファーストラビットはあっさんに捧げられた曲だと受け取った(以前に書いた)。正にあっさんは、この歌詞のファーストラビットそのもののように思えた。泣けるぜとばかり、この曲はすっかりお気に入りになり、ずっとヘビロテだった。
けれども、いちおう最初に聞いた時からと但し書きしとくけど、実は小さな引っかかりがあった。ファーストラビットの歌詞を丁寧に追っていくと、「誰も赤い血を流して 生きてることを実感するんだ 命を無駄にするな」のところに違和感を感じないだろうか。歌詞としての言葉の重畳感をできるだけ廃して、ここだけ読むと「血を流し」「命を無駄にする」という言葉の選び方に、ある意図を感じる。
ウサギの出典を安易に「不思議の国のアリス」に落とし込んでたけど、「血」とか「命」とか、ファンタシーには似つかわしくない言葉が使われてる意味を考え直してみる必要はないか。よく考えてみれば、日本人としてのウサギのイメージは可愛いというのももちろんあるけど、必ずしもポジティブなものだけではない。思い浮かぶものとしては因幡の白兎とか、そうそう何より忘れてはいけないササジャータカ!
ササジャータカのウサギの献身こそが、この歌詞の部分のトーンに相応しくないか。そう考えてみて、そのイメージに合わせて歌詞を読み直してみると、その意味するところが反転(暗転)しないだろうか。歌詞をそのまま読めば、それは素晴らしきチャレンジャーへのエールになってる。けれども現実というものを考えた時、歴史を振り返る時、チャレンジャーの多くは、パイオニアの多くは、非業の死を遂げている。そんな無数の偉大な先人の流した血、失われた命の上に、私たちは立たせてもらってる。
つまりは、夢を追う最初のウサギになれ/私の屍を超えて行け・・・、「Show Must Go on」が正にそんな内容だったよね。少なくとも私には、ファーストラビットの歌詞は、このダブルミーニングにしか受け取れなくなった。特に実例は挙げないけど、秋元康はこういう仕込みをよくやる。確信犯じゃないかと思う。
ある日森の中で見つけた
どこかへ続く洞穴を
周りの友はその暗闇を
ただ覗くだけで動かない
何故だかドキドキしてきて
僕は一番目に走る
傷付くことを恐れはしない
何があっても怯まずに
自分の夢を探しに行く
最初のうさぎになろう
まだ見てない世界を偉そうに
語ってるより泥を跳ねろ
孤独な夜も星を味方に
自分の足跡残すんだ
どんなに不安になっても
僕は誰よりも走る
傷つくたび大人になるよ
涙流して胸痛めて
それでも夢をあきらめない
最初のうさぎになろう
誰も赤い血を流して
生きてることを実感するんだ
命を無駄にするな
傷付くことを恐れはしない
何があっても怯まずに
自分の夢を探しに行く
たとえ何が行く手を阻もうとしたって
傷つくたび大人になるよ
涙流して胸痛めて
それでも夢をあきらめない
最初のうさぎになろう
曲名の出典が「ファーストペンギン」であるというのは「定説」だと思うけど、ではなぜペンギンをラビットに変えたのか。一番シンプルな解答は「走れペンギン」が既にあったからだろうけど、それは変えた理由にはなっても、なぜ代わりにラビットを選んだのか分からない。で、次に考えるのは「洞穴」つながりの「不思議の国のアリス」ということで、まあその辺りでだいたい正解かなと、当初は考えてた。
その後、あっさんの卒業が発表され、歌詞とのあまりのシンクロぶりに、ファーストラビットはあっさんに捧げられた曲だと受け取った(以前に書いた)。正にあっさんは、この歌詞のファーストラビットそのもののように思えた。泣けるぜとばかり、この曲はすっかりお気に入りになり、ずっとヘビロテだった。
けれども、いちおう最初に聞いた時からと但し書きしとくけど、実は小さな引っかかりがあった。ファーストラビットの歌詞を丁寧に追っていくと、「誰も赤い血を流して 生きてることを実感するんだ 命を無駄にするな」のところに違和感を感じないだろうか。歌詞としての言葉の重畳感をできるだけ廃して、ここだけ読むと「血を流し」「命を無駄にする」という言葉の選び方に、ある意図を感じる。
ウサギの出典を安易に「不思議の国のアリス」に落とし込んでたけど、「血」とか「命」とか、ファンタシーには似つかわしくない言葉が使われてる意味を考え直してみる必要はないか。よく考えてみれば、日本人としてのウサギのイメージは可愛いというのももちろんあるけど、必ずしもポジティブなものだけではない。思い浮かぶものとしては因幡の白兎とか、そうそう何より忘れてはいけないササジャータカ!
ササジャータカのウサギの献身こそが、この歌詞の部分のトーンに相応しくないか。そう考えてみて、そのイメージに合わせて歌詞を読み直してみると、その意味するところが反転(暗転)しないだろうか。歌詞をそのまま読めば、それは素晴らしきチャレンジャーへのエールになってる。けれども現実というものを考えた時、歴史を振り返る時、チャレンジャーの多くは、パイオニアの多くは、非業の死を遂げている。そんな無数の偉大な先人の流した血、失われた命の上に、私たちは立たせてもらってる。
つまりは、夢を追う最初のウサギになれ/私の屍を超えて行け・・・、「Show Must Go on」が正にそんな内容だったよね。少なくとも私には、ファーストラビットの歌詞は、このダブルミーニングにしか受け取れなくなった。特に実例は挙げないけど、秋元康はこういう仕込みをよくやる。確信犯じゃないかと思う。
ある日森の中で見つけた
どこかへ続く洞穴を
周りの友はその暗闇を
ただ覗くだけで動かない
何故だかドキドキしてきて
僕は一番目に走る
傷付くことを恐れはしない
何があっても怯まずに
自分の夢を探しに行く
最初のうさぎになろう
まだ見てない世界を偉そうに
語ってるより泥を跳ねろ
孤独な夜も星を味方に
自分の足跡残すんだ
どんなに不安になっても
僕は誰よりも走る
傷つくたび大人になるよ
涙流して胸痛めて
それでも夢をあきらめない
最初のうさぎになろう
誰も赤い血を流して
生きてることを実感するんだ
命を無駄にするな
傷付くことを恐れはしない
何があっても怯まずに
自分の夢を探しに行く
たとえ何が行く手を阻もうとしたって
傷つくたび大人になるよ
涙流して胸痛めて
それでも夢をあきらめない
最初のうさぎになろう