http://ja.wikipedia.org/wiki/HKT48
2011年
7月10日、第1期生オーディション最終審査、24名の候補生が合格
10月23日、西武ドームの握手会イベントにおいて、第1期生21名が初披露
11月26日、「手をつなぎながら」劇場初公演
2012年
3月 4日、チームHを結成
6月16日、指原莉乃が移籍。
6月23日、第2期生オーディション最終審査、計34名が仮合格。
7月 5日、指原莉乃がチームHに所属、同日公演に初出演。
8月18日、菅本裕子ほか、5名辞退。
8月24日、多田愛佳が移籍することを発表。
9月23日、劇場公演において、第2期生21名が初披露。
9月30日、研究生公演「PARTYが始まるよ」初日公演。
11月 1日、多田愛佳がチームHに所属、同日公演に初出演。
11月 8日、ユニバーサルミュージックからメジャー・デビュー発表。
2013年
1月25日、尾崎充がHKT48劇場新支配人に指名。
1月27日、尾崎充がHKT48劇場新支配人に就任。
2月17日、「手をつなぎながら」公演千秋楽。
3月 1日、チームHの2nd Stage「博多レジェンド」初公演。
3月20日、1stシングル「スキ!スキ!スキップ!」発売。
以上、Wikiから抜粋だけど、たぶん間違ってないはず。こうやって後から、個々の事情とか実際の局所の因果関係とかを無視して、時系列のみで振り返ってみると、また違った景色が見えてくるようで、なかなか面白いかも。
なにより興味深いのは、第2期生のオーディションから初披露、そしいてメジャーデビューの流れ。ここにさっしーと多田さんの移籍、5名の辞退、尾崎支配人の就任という、HKTにとっての決定的な出来事が集中していると言うこと。リアルタイムかつ表面上からは気がつけなかったけど、そこからは、2期生の加入が決定的だったことが読み取れる。より具体的には、田島さんの加入。これに尽きてるんではないか。
秋元氏が、いつの時点で田島さんの存在を認知したのかは分からないけど、遅くとも最終審査のあった6月23日には、確実に知ることになったろうし、おそらくはそれよりも相当前には知っていたんじゃないか。もしかして娘。10期オーディションの情報が入っていた可能性もある。でなければ、理由は何であれ、さっしーという、AKBG最高の人材をHKTに送り込むという決断をしたことの釣り合いが取れない。
あるいはそれは、さっしーという人物の強運ぶりを示してるだけなのかも知れないけど、ここは6月16日以前に、秋元氏が田島さんの存在を知っていたとしよう。「10年に一人の逸材」というのが単なるリップサービスではないのは明らかで、松井Jさんの次を手にしたことを確信しての言葉。であればこそ、まず考えるのは、第二の城恵理子さんにはしないということじゃないか。
このタイミングに、降って沸いたさっしーのスキャンダルだったとすれば、これはもう「持ってる」としか言いようがない。秋元氏にしても、こういう運命のいたずらのようなものを、何度も見てきたはずで、ギャンブラー秋元氏が、こんな確変を見逃すはずがない。迷うことなく勝負手に打って出た。
その後はイケイケドンドン。5人を切り、支配人交代という強権を発動し続けた。メジャーデビューにしても、田島さんという最強のカードを手に入れての決断と見て間違いない。そして、さっしーの期待を大きく上回る活躍ぶりで、HKTはそして田島さんは、完全に軌道に乗った・・・。
うーん、こうやって書いてみて、そのタイムラインの「神」っぷりに素直に驚くしかないけど、実際はどうなんだろう。たぶんこういった考え方、見方こそが、典型的な「後付け」なんだろうな。世の中そんなに思い通りになるはずがないし、秋元氏の筋金入りの泥縄ぶりは言うまでもないところ。
2011年
7月10日、第1期生オーディション最終審査、24名の候補生が合格
10月23日、西武ドームの握手会イベントにおいて、第1期生21名が初披露
11月26日、「手をつなぎながら」劇場初公演
2012年
3月 4日、チームHを結成
6月16日、指原莉乃が移籍。
6月23日、第2期生オーディション最終審査、計34名が仮合格。
7月 5日、指原莉乃がチームHに所属、同日公演に初出演。
8月18日、菅本裕子ほか、5名辞退。
8月24日、多田愛佳が移籍することを発表。
9月23日、劇場公演において、第2期生21名が初披露。
9月30日、研究生公演「PARTYが始まるよ」初日公演。
11月 1日、多田愛佳がチームHに所属、同日公演に初出演。
11月 8日、ユニバーサルミュージックからメジャー・デビュー発表。
2013年
1月25日、尾崎充がHKT48劇場新支配人に指名。
1月27日、尾崎充がHKT48劇場新支配人に就任。
2月17日、「手をつなぎながら」公演千秋楽。
3月 1日、チームHの2nd Stage「博多レジェンド」初公演。
3月20日、1stシングル「スキ!スキ!スキップ!」発売。
以上、Wikiから抜粋だけど、たぶん間違ってないはず。こうやって後から、個々の事情とか実際の局所の因果関係とかを無視して、時系列のみで振り返ってみると、また違った景色が見えてくるようで、なかなか面白いかも。
なにより興味深いのは、第2期生のオーディションから初披露、そしいてメジャーデビューの流れ。ここにさっしーと多田さんの移籍、5名の辞退、尾崎支配人の就任という、HKTにとっての決定的な出来事が集中していると言うこと。リアルタイムかつ表面上からは気がつけなかったけど、そこからは、2期生の加入が決定的だったことが読み取れる。より具体的には、田島さんの加入。これに尽きてるんではないか。
秋元氏が、いつの時点で田島さんの存在を認知したのかは分からないけど、遅くとも最終審査のあった6月23日には、確実に知ることになったろうし、おそらくはそれよりも相当前には知っていたんじゃないか。もしかして娘。10期オーディションの情報が入っていた可能性もある。でなければ、理由は何であれ、さっしーという、AKBG最高の人材をHKTに送り込むという決断をしたことの釣り合いが取れない。
あるいはそれは、さっしーという人物の強運ぶりを示してるだけなのかも知れないけど、ここは6月16日以前に、秋元氏が田島さんの存在を知っていたとしよう。「10年に一人の逸材」というのが単なるリップサービスではないのは明らかで、松井Jさんの次を手にしたことを確信しての言葉。であればこそ、まず考えるのは、第二の城恵理子さんにはしないということじゃないか。
このタイミングに、降って沸いたさっしーのスキャンダルだったとすれば、これはもう「持ってる」としか言いようがない。秋元氏にしても、こういう運命のいたずらのようなものを、何度も見てきたはずで、ギャンブラー秋元氏が、こんな確変を見逃すはずがない。迷うことなく勝負手に打って出た。
その後はイケイケドンドン。5人を切り、支配人交代という強権を発動し続けた。メジャーデビューにしても、田島さんという最強のカードを手に入れての決断と見て間違いない。そして、さっしーの期待を大きく上回る活躍ぶりで、HKTはそして田島さんは、完全に軌道に乗った・・・。
うーん、こうやって書いてみて、そのタイムラインの「神」っぷりに素直に驚くしかないけど、実際はどうなんだろう。たぶんこういった考え方、見方こそが、典型的な「後付け」なんだろうな。世の中そんなに思い通りになるはずがないし、秋元氏の筋金入りの泥縄ぶりは言うまでもないところ。