AKB48の旅

AKB48の旅

自己組織化の現場

2012年06月25日 | AKB
以下光宗薫ぐぐたす引用********
よこやまさ~ん!
元気です(´ー`)そしてお会いしたいです。

横山さんとはA6の練習で沢山お世話になったんだよ。知られざる。
A6はレッスンがなかったんだけど、自主練に何時間も何時間も付き合ってもらったんです。凄い方です、本当に。
以上引用****************

以下横山由依ぐぐたす引用********
また話そうな~( ´ ▽ ` )ノ

知られざる(笑)
教えるところなんてちょっとだけやった!
みっつはちゃんと予習してきてたからね☆
以上引用****************

この件は以前にも書いたけど、この関係性を単なるメンバー個々人の関係性ととらえるか、それとも個人を超えたものととらえるのかで、AKBの見え方が変わる、そんな好例じゃないかと思う。

「ニローラモ」の正体も、私はこれだと思っている。つまりは同様の関係性が横山由依と多くの研究生の間に築かれている。そしてそれは、かつてのたかみなと研究生達との関係性と等質のものだろうとも思う。

もちろん、あるいはもしかしてなのかもしれないけど、横山由依は、これを個人的な思いとして行っているだけかもしれない。けれども、共同体社会では、共同体意識が個人を超え、あるいは個人の意思そのものとなってしまう。

「たかみな」の公的機能のうち、共同体への参画の許認可権限が委譲された、以前、そういう表現をしてみたけど、おそらく横山由依にはそんな自覚はないんじゃないかと思う。あくまでも自らの意思として、しかして実際には共同体意識を具現化して、結果的にたかみなの補佐を行う形になってるんではないか。そしてそれが、自己生成し、自己組織化するということの個別の実態なんだろうと思う。


ぐぐたす情報の解釈

2012年06月24日 | AKB
秋元康は情報を出さない、昨日はそう書いたけど、ではぐぐたすはどうなのか。最近こそあんまり姿を現さないけど、けっこう有意の情報を出してたのも事実。けれども、よく考えてみるとその多くがフライング情報だったりする。解禁日時の設定というのは、たいがいがどうでも良いような「大人の事情」なわけで、すべてを検証せずに書いちゃうけど、あれによる実害は全くなかったと思われる。つまりは情報のリークのように見えて、実は大したことはしていない。あとは、プロデューサーとしてのアナウンスだよね。つまりは伝達する必要のある情報。

プロデューサーは良いとして、メンバーのリアルタイム情報の垂れ流しはどうなのか。検閲は公式に廃してるし、事実明らかにリアルタイムだし。

けれどもこちらも、これまで私が知る限り、大した問題にはなってない。問題になってないどころか、48Gの透明性、公正性を見事に担保してくれてる。考えてみるとこれも凄いことで、年頃の可愛い女の子がこれだけいて、それこそスキャンダルと言えそうな事件は、少なくともぐぐたす経由では発生していない。

皆が皆、決して頭が回るわけではない、年端も行かない女の子達なので、時々怪しげな下ネタだったりちゃぷちゃぷだったりはする。けれどもスキャンダル情報の漏洩はない。ぐぐたすの現状から見て、それが意味するのはただ一つ、実際にネタがない、そう考えるしかないだろう。年頃の可愛い女の子にして、驚くほど素行が良いと言うことになる。ちなみに、ぐぐたすそれ自体がそういう良循環を生み出している可能性については、気が向いたらまた書いてみる。

ぐぐたすに顔を出す子は未成年が圧倒的に多い。ほとんどが実家通い。オーディションの内容は知らないけど、家庭事情なんかも勘案するんだろうか。そう考えてみると、SKE、NMB、HKTという地方展開とは、地方VS中央みたいな手垢の付いた対立軸なんかではなくて、単純に未成年の女の子の管理を実家に依存できる、正に学校のサークル活動の延長的な考え方によるんじゃないか。

さっしーにスキャンダルが出るというのも、そう考えて見ればあり得ることだったわけで、秋元康はここでもへろっと嘘をついてることになる。少なくとも上記の考え方で正しいんなら、スキャンダルが出るとすれば地方組からの可能性が高いくらいは読んでたはず。

まあ、さっしーくらい頭の切れる子がなぜ、なのかも知れんが。でも、だとすると、秋元康は恋をしたことがないんじゃないか疑惑がわき上がることになるけど、まさかね。

ポーカーフェイス

2012年06月23日 | AKB
「AKB48現象」「別冊カドカワ秋元康」「Quick Japan AKB48特集」「フォトブックたかみな」「フォトブック優子」「」フォトブックさしこ」「Quick Japan AKB0048」、まだあったっけ、「笑っていいとも出演」もあったか、手当たり次第に秋元康のインタビューを読んでみて一番印象に残るのは、その情報量の少なさだったりする(既述)。とにかく新しい情報というのを出してこない。これは一貫してるので、明らかに意識的にそうしてると思う。

今回のスキャンダルでも、この点はしっかり踏襲されていて、ANNでもよく聞いてみると、スキャンダルに関連した新しい情報というのは、まったく出てない。さっしーは個別の情報についての否定肯定は一切してない。つまり、秋元康の意向通りに反応していたと思われる。これについては、さっしーに事情聴取をやったこと、処分決定までに「長い会議」があったことが一次ソースで出てきてるので、ANNに際して、処分以外の質疑については、事前に言い含みなりリハーサルなりが行われたとの推測ができると思う。

情報を出さない、つまりは情報を与えない、誰に対してかと言えばターゲットに対して。通常であればそれはファンであり一般社会だろうし、今回のスキャンダルでは文春サイドと言うことになる。これまでに、秋元康のギャンブラー体質(現実の一歩先のリスクを取りに行く)は指摘してきたし、一次ソースというわけにはいかないけど、ギャンブルが大好きであることが何度か報道されたりしてる。それ以前に、一発当てに行く業界人にしてプロデューサーなんだから、そんなの当たり前と言えば当たり前なんだけどね。

さて、対戦型のギャンブルの代表がポーカーだろう。ポーカーといえばポーカーフェイスというわけで、いかに自身の手の内を読まれずに相手の腹づもりを読むか、正に情報戦となる。秋元康は、そんな情報戦というものをデフォルトに置いているんだろう。だからとにかく自分側からは情報を出さない。さっしーからは既に具体的な内容を聞き取っていると考えて良いんだろう、その上でのハンドリング。

一方で今回のスキャンダルでは、サイゾーの記事をはじめ文春サイドと思われるリークがいくつかあったけど、ブラフをかませているようでいて、実質怪しげな追加情報を垂れ流していたわけで、この時点で「負け」と見ても、そう勇み足ではないように思う。実際、文春の第2弾はしょぼい内容になってるし。

リクアワ2012のフラゲ

2012年06月22日 | AKB
またまた本編ではなくて申し訳ないけど、ここはあえてヘビロテではなくて、隠しトラックのアンコールの全員フラゲが凄い。もう多幸感に溢れてる。選抜の金色の衣装ももちろんだけど、ひな壇の隅から隅までフラゲ。よく見ると全然踊れてない子とかたくさんいるんだけど、決めポーズはしっかりやってくれてる。そこだけびしっと決まっててしびれる。

どこかデジャブ感があって、しばし考えてみて思い出した、2010年末の紅白のヘビロテ。私にとってはAKBへの扉となった、今となっては自明なんだけど、48Gにしかできない圧倒的な祝祭空間だった。

あの時は130人だったけど、今回のフラゲは、多分さらに人数が多いだろうし、衣装はもちろん曲自体も華やかだし、あれの遥か上を行ってもおかしくないと思うんだけどね。やはり情報量が足りないと感じる。後列の顔が潰れる。表情が読み取れない。何度も書いてるんだけど、神は細部に宿る。圧倒的な情報量が欲しい。なんでこれをブルーレイで出してくれないんだあ。

DVD持ってても、ブルーレイが出たら全部買い直すって人、私だけではないはず。良い商売になると思うんだけどな。

参考値だけど、めでたい

2012年06月21日 | AKB
■シングルセールス(2012年上半期)
1. 真夏のSounds good!(AKB48)1,780,949枚
2. GIVE ME FIVE!(AKB48)1,434,398枚
3. ワイルド アット ハート(嵐)644,899枚
4. Face Down(嵐)601,467枚
5. 片想いFinally(SKE48)592,681枚
6. アイシテラブル!(SKE48)544,000枚
7. Your Eyes(嵐)477,820枚
8. ナギイチ(NMB48)433,421枚
9. 純情U-19(NMB48)376,302枚
10. We never give up!(Kis-My-Ft2)309,103枚

オリコンデータなんで参考値みたいなもんだけど、真夏SGが数字として「LOVEマシーン」越え確定。おめでと。時代背景とか考えれば、これはとんでもないことでしょ。「WHITE LOVE」にはあと一歩届かなかったけど、今後の楽しみということで。

気がつけば「ナギイチ」がけっこう来てた。選抜総選挙を考えれば大健闘というところか。「アイシテラブル」ともども良い曲だと思うんだけど、素直に楽曲で評価されない風潮がかわいそうかも。

ま、何にせよ、CDという媒体の売り上げ上位は、既にして48Gと嵐で独占が続いてるわけで、今年もこの時点で確定状態。一般的な音楽媒体として、CDというものが終わってる、特殊なもの、奇形的な何かに成り果てたということなんだろう。かといって配信事業が上手く行ってるわけではなさそうだし、CDで儲けを出せてるのだとしたら、それはやはり商売として高く評価されるべきでしょ。

なんかこのあたりも、世代間の意識の違い、世界観の違いみたいなものが仄見えるようで、興味深いな。