今日は鹿児島県最南端の南九州市まで来ました。
清き名をとわにのこして 国のため 身をささけけむ 若きもののふ
いさきよく風に散りにし 花のこと 御国のためと たた進むらむ (北白川房子さま)
★知覧特攻平和記念館★
昭和20年 20歳前後の若い隊員が 家族やお国のため 飛行機の右下には 重さ250kgの爆弾を、 左下には片道の燃料だけを積み もろとも敵艦に体当たりし自ら命を落としたのです。 それこそ 『有人ミサイル体当たり戦法』 ですよね。 439名、知覧から沖縄までの2時間半 どんな気持ちで飛んでいったのでしょうか?
隊員たちの遺影、遺品、記録などの展示品を見ますと どの人も(17歳くらいでも)素晴らしい文章を丁寧な字で両親宛に遺書・手紙を書き残してました。
必死必中、必死轟沈、必中心沈、必中必殺、・・・こう言う熟語があらゆる物に書いてありました。
『必死』 って必ず死ぬことです。 私は必死に何かしたことがあるでしょうか・・・・・・・
『地に生まれ 天に死す』 昭和20年5月20日午後沖縄島出撃に際して 速水少尉・・・・この遺書を読んだら涙があふれました。
速水少尉を検索してみましたがありませんでした。でも多くの方の遺書がありました。http://samurai.kt.fc2.com/tiran.htm
外には三角兵舎と平和の鐘がありました。
戦争のむなしさ、平和の大切さ、ありがたさ、命の尊さを身に沁みて感じました。
戦争なき恒久平和な地球になって欲しいと思います。