こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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東日本大震災から13年 復興は道半ば 原発事故の教訓は

2024年03月11日 | 日記

 東日本大震災から13年。2万人を超える犠牲者。今なお続く避難生活。原発の事故による廃炉作業は40年も先の話。

 自然災害はどうにもならないが、原発事故は人為的なもの。地震列島日本のどこにも安全な原発の存在する場所はない。原発をすべて無くしたうえで、エネルギー政策と経済政策を考えるのが筋。原発がなければ日本の経済活動はやっていけない、という考えを捨て、自然エネルギーの宝庫である日本ならではのエネルギー政策に転換すべき。

 想定外の原発事故を再び起こしてはならない。能登半島地震ではあわや?の事態も。岩手、宮城ではそれなりの復興が進んでいるが、福島では原発周辺にはいまだ立ち入り禁止区域が。除染作業もままならない。原発事故により失ったものはあまりに大きい。取り返すことができないのが原発による事故。故郷の山や川、伝統文化、生業も。

 福島を繰り返してはならない。

南相馬市小高区の海岸でスケッチ。2013年5月。


今日の一首 東京大空襲。

2024年03月11日 | 短歌 俳句 川柳

 3月10日、東京大空襲。思いつくまま。

拙首「記憶せよ 3月10日 大空襲 焼き殺された 人々10万」

  「どのような 言葉をもって 記憶せん 一人一人の 生活の跡」

  「大きなる 黒こげの遺体に抱かれたる 小さき遺体の 空をつかむ手」

近所のお宅の玄関先に。春の装い。東京大空襲は79年前。翌朝、煤や焼け焦げた服で真っ黒になった人々が東京からこの八潮にも避難してきた、と地元の古老に聞いたことが思い出される。