東日本大震災から8年目を迎える。
明日の3・11に向けて関連番組が続く。
今朝のラジオでは「被災体験を語り始めた子どもたち」の特集。
参議院選挙に向けたチラシを近所に配りながら、イヤホンをつけて聞く。
大川小学校の津波被害で奇跡的に助かったTさんの話。
野蒜小学校体育館で津波に飲み込まれながら一命をとりとめた女性の話。
当時、小学生だった子どもたちは、高校生や大学生、社会人になっている。
いくつかの高校では「あの日」の放送ドラマやドキュメントを作成。
当時の子どもたちが語り部となって「あの日」のことを語り始めたとのこと。
想像を絶する過酷な体験をした子どもたちの心の辛さを「大変だったね」と
安易に首肯するのは気が引ける。それでも、「本当に大変だったね」と言う言葉しか
思い浮かばないもどかしさ。
震災後、大川小学校跡地を訪ねた。言葉を失う。無言でしばらく敷地に佇んだ。
野蒜小学校、閖上中学校には津波被害の惨状そのままの2011年4月上旬に訪ねた。
言葉はなかった。足の踏み場もない惨状。体育館には卒業式の紅白幕と式次第が。
涙が止まらない。潮とへドロのような臭いがまだ漂っていた。
明日の3・11に向けて関連番組が続く。
今朝のラジオでは「被災体験を語り始めた子どもたち」の特集。
参議院選挙に向けたチラシを近所に配りながら、イヤホンをつけて聞く。
大川小学校の津波被害で奇跡的に助かったTさんの話。
野蒜小学校体育館で津波に飲み込まれながら一命をとりとめた女性の話。
当時、小学生だった子どもたちは、高校生や大学生、社会人になっている。
いくつかの高校では「あの日」の放送ドラマやドキュメントを作成。
当時の子どもたちが語り部となって「あの日」のことを語り始めたとのこと。
想像を絶する過酷な体験をした子どもたちの心の辛さを「大変だったね」と
安易に首肯するのは気が引ける。それでも、「本当に大変だったね」と言う言葉しか
思い浮かばないもどかしさ。
震災後、大川小学校跡地を訪ねた。言葉を失う。無言でしばらく敷地に佇んだ。
野蒜小学校、閖上中学校には津波被害の惨状そのままの2011年4月上旬に訪ねた。
言葉はなかった。足の踏み場もない惨状。体育館には卒業式の紅白幕と式次第が。
涙が止まらない。潮とへドロのような臭いがまだ漂っていた。
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