今日も日々是好日

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

自分を苦しめていた原因

2013-08-07 09:56:24 | 日記(~2023年)
どんな人でも、話し合えばいつか分かりあえる!
これまで人の本性は善であるという「性善説」を信じていました。

理解したい、理解してもらいたい、理解しあいたい、という強い気持ちが私の心を苦しくしていたことに、ようやく気づいたのです。

世の中には本当に理解しがたい、ややこしい思考を持った人がいるのですね…

どう考えたらそういう思考になるのか?
なぜそんなふうにしか考えられないのか?

自分の理解をはるかに超える人とは、どう頑張っても理解しあえない、理解しあう必要はないのでは?と思えた時、その人に対する期待が無くなり心が楽になりました。

身近にいる人には特に理解してもらいたい気持が強いですが、
「この人には理解してもらえなくても構わない。そして、この人を理解するのは無理」
と諦めたら(覚悟を決めたら)、スッキリしました。


結局、私はいい子ちゃんでいたかったのだと思います。


少し話は逸れますが…

生前仲が悪く、尊敬、感謝できない人が仏様になって仏壇の中にある位牌と対峙した時、どんな気持ちで手を合わせればよいのか?
仏様になったからといってすぐに感謝の気持ちなんて湧いてこない。
どうしたらいいでしょうか?

こんなことを、あるお坊さんに尋ねました。
すると、意外な答えが返ってきました

「無理に感謝する必要はないんじゃないでしょうか?
 私だって無理です。
 亡くなった方は、自分の過ちや間違った行為は、ちゃんとわかっていますから、
 何を言われても文句は言わないでしょう。
 心にも思っていないことを言葉で言ってもお見通しなので、 
 お仏壇の前では阿弥陀様に手を合わせればいいのですよ

 まあ、たまには、『ちゃんと修行してくださいね』
 などと励ましてあげばいいと思います。

 ご先祖様がいなければ自分はいなかったというルーツについては感謝しますけどね」

え~~っ、それでいいの?と思いました。

感謝、感謝、感謝で生きられればいいのですが、それができないから悩むのですね
自分の醜い気持ちを封印して、上辺の綺麗ごとで誤魔化している自分が嫌だったのです。
今の私には嫌なこと(自分の都合の悪い事)にも感謝の気持ちを持つのは難しいですが、
自分の醜い気持ちも受け入れつつ、それを増幅させないよう消化していく努力をしていこうと思います。