「全体主義」とは何か? 人間の「基盤」を破壊する「恐ろしい思想」についてハンナ・アレントから学べること
現代ビジネス より 230205 牧野 雅彦
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映画『ヒトラーのための虐殺会議』の公開で哲学者ハンナ・アレントがあらためて注目されている。
ユダヤ人大量虐殺政策を淡々と議決する戦慄のさまこそ、アレントが「全体主義」と名づけ、生涯をかけて対決した人間破壊の現象だからだ。
「全体主義」とは何なのか。アレントはいかに対決したのか。
アレントの思想のエッセンスがまとめられた入門書、現代新書100(ハンドレッド)『今を生きる思想 ハンナ・アレント 全体主義という悪夢』から見てみよう。
(本記事は『今を生きる思想 ハンナ・アレント 全体主義という悪夢』から抜粋したものです)
⚫︎人間がしてはならないこと
「これは決して起きてはならないことだった」
これがナチスによるユダヤ人の大量虐殺のニュースをはじめて聞いたときのハンナ・アレントの感想だった。
大量の人間が身にまとうもの一切を剥ぎ取られて殺される。まるで死体製造工場のように、生きるに値するかどうかで人間が選別されてガス室に送られ、つくりだされた死体は焼却され解体されて処分される。一切の人間的な痕跡がそこでは抹消されている。
そもそもこのようなことを人間はしてはならないはずだった。
どうしてそのようなことが起こってしまったのか。あのようなことが起きてしまった後で、われわれは人間としてどのように生きて行けばよいのだろうか。
⚫︎全体主義とは“人間破壊の現象”
アレントにとってユダヤ人の大量虐殺は、一握りの者の犯した残虐行為ではない。
筋金入りのサディスト、極悪非道の人間の犯罪であれば、しかるべく法に照らして処罰すれば事は済むだろう。
だが、ナチスの行ったのは一部の犯罪集団の犯行ではない。数百万人といわれる人間を拘束して収容所で殺処分するなどということは、警察や軍隊、行政、ナチス党や親衛隊などの実行部隊がその遂行を担うだけではなく、無数の人間が協力しなければ到底なしうることではない。
そこには、ナチスを積極的に支持したこともなければ党の活動に加わったこともない普通の市民、普段は他人に暴力をふるったり犯罪に手を染めたりするなど思いもよらないごく普通の人間が、密告などのかたちでユダヤ人の摘発に協力することから、見て見ぬ振りをしてユダヤ人に対する蛮行をやり過ごすことまでを含めて、何らかの形で関与していた。
殺害の標的となるはずのユダヤ人自身も、一部の者はナチスに取り入って難を逃れようとして、あるいは自分にとって大切な者を救おうとして、収容対象者の選抜や収容所への移送に協力したし、多くの者は諦めからか絶望からか、ナチスの指示に従順に従っていったのである。
意図するしないにかかわらずナチスの犯行に関わった多くの人々からは、およそまっとうな感情や感覚、正常な判断力が失われていた。
ナチスの暴政はユダヤ人や一部の少数者、反対者を弾圧しただけではない、ユダヤ人の抹殺にいきつく運動に多くの者を巻きこむことによって、彼らの人間性そのものを奪ったのである。
その意味において,ナチスが行ったことは,人間を人間として成り立たせている基盤そのものの破壊であった。
そうした人間破壊の現象をアレントは「全体主義」と名づけたのである。
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「全体主義」とはいったい何なのか。アレントの思想を【続き】「『不安』と『不信』が渦巻く現代社会で、『ハンナ・アレントの思想』が必要とされる理由 」で紹介しよう。
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