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小学生の14万4188票が選んだ、おもしろくて大好きな本は? 2024/02

2024-02-12 23:21:23 | 📗 この本

📚小学生の14万4188票が選んだ、おもしろくて大好きな本は? 
「ページをめくるたびにワクワク」「想像するだけで楽しい」…「みんなが“どれにしよっかな”って考えた時間があるのがすごくいいなって」〈アンバサダー/又吉直樹〉
 集英社Online より 240212

 子どもたちが本と出会う機会を作り、本をもっと身近に感じてもらおうと、2018年から2年ごとに開催されている『小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙』。
 このたび、第4回目のベスト10が決定した。アンバサダーを務める又吉直樹氏や受賞作家らを招いて、2月10日に城西国際大学東京紀尾井町キャンパスで行なわれた結果発表会の様子とベスト10に選ばれた本を紹介する。

📚子どもたちがベスト10作家たちを表彰! 又吉直樹も登場
 2018年5月5日、“こどもの日”にスタートした『小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙』は、全国の小学生が「今まで読んだ中で1番好きな本」を投票するイベントだ。

 第4回となる今回は、なんと14万4188票もの投票が集まった。コロナ禍を経て、ようやくたくさんの人が集まっての発表会が開催できることに、事務局長の岡本大(だい)氏は「たくさんの小学生に来場してもらい、結果発表をわかちあえることが楽しみでうれしい。1人でも多くの子どもたちに、新しい本と出会う喜びを届けたい」と語った。

 発表会会場には、第1回からアンバサダーを務めるお笑い芸人で作家の又吉直樹氏も登壇。「あのころより、ボクも少しだけ大きくなったんですけど…」と小ボケをはさみつつ、賞状を受賞作家に渡すという大役を担う“こどもプレゼンター”たちには「緊張すると思いますけど、会場に来れただけでも大成功。絶対うまくいきますし、うまくいかなかったらいかなかったのでおもしろいので大丈夫です。どっちみち失敗はないので、安心して」とエールを送った。

 表彰式にはアンバサダーを務める作家・お笑い芸人の又吉直樹氏が登場
10位から順に次々と結果が発表されると、会場に集まった親子たちからは「お〜!」「あぁ〜!」と感動や共感の声が上がったり、「わ〜!」と祝福する大きな拍手が起こったりと、たくさんのリアクションで大盛り上がり。

 各作品、ステージ上にて“こどもプレゼンター”から作家本人や担当編集に賞状が授与され、投票理由や受賞の感想が述べられた。
 自分たちが読んでいる本の著者に会えるという貴重な機会とあって、子どもたちは少し緊張した様子だったが、カメラにはピースをしながらにっこり笑顔を向けていた。

 こどもプレゼンターが作家さんへ賞状を渡す
アンバサダーの又吉さんは「みんなが選んだ本だけあって、いろんな感覚を刺激してくれる本がそろったなと思います。みんなが(投票する際に)“どれにしよっかな”って考えた時間があると思うと、本にちゃんと向き合ってることがすごくいいなと思います」「ほかの人が1位に選んでる本を、“まだ読んでないから自分も読んでみよう”って思えると、どんどん自分の感覚が広がっていっておもしろいんじゃないでしょうか」などとコメント。

 最後は「みんなもすごかった! (会場中に)届く声で(感想を)言えて」と、小さなプレゼンターたちを温かくねぎらった。

📚全国の小学生が選んだ「いちばんおもしろい」ベスト10(1〜3位)
 ここからは、今回の『小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙』で選ばれた本を、こどもプレゼンターの感想と作者たちの受賞コメントとともに紹介していく。


📗第1位『りんごかもしれない』
作/ヨシタケシンスケ(2013年 ブロンズ新社)
 テーブルの上にりんごがおいてあった。でも、もしかしたら、これはりんごじゃないかもしれない。「かんがえる」ことを果てしなく楽しめる、発想絵本。ヨシタケ氏のデビュー作であり、『“こどもの本”総選挙』では4回連続トップ10入りの人気作。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
男の子のいろんな発想がでてきてすごくおもしろかったし、こんな発想もあるんだなと自分にアイデアをくれるから、とても好きです。(2年生・女の子)
<作者受賞コメント>
40歳になったときに初めて「絵本を描いてみませんか」と言われ、できると思ってなかったけどまさか本になった。それを、10年経ってもずっと読み続けて、おもしろがり続けてもらえることに、僕自身ビックリしながら感謝しています。これからみなさんが大きくなるまでの間、先のことを考えるときに「かもしれない」って言葉を上手に使いながら、楽しく過ごしていってもらえたらうれしいです。(ヨシタケシンスケ氏)


📗第2位『おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』
監修/今泉忠明(2016年 高橋書店)
 生き物の「ざんねん」な一面に光をあてた、はじめての本。紫外線を浴びると光るサソリや、敵に襲われると死んだふりをするオポッサムなど、ふしぎな生き物を122種紹介。シリーズ累計455万部突破のベストセラー。第1回、第2回にて1位連覇を達成。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
生き物たちのざんねんなところがおもしろいからです。(2年生・女の子)
<作者受賞コメント>
今の時代はメールとかばかりで文字を書かなくなったけど、子どもたちが一生懸命手紙を書いてくれることにビックリしています。『ざんねんないきもの事典』を読んで、ファンレターを書いてくれることで文字を書くことや読むことを勉強してくれるのがとってもうれしいです。(今泉忠明氏)


📗第3位『大ピンチずかん』
作/鈴木のりたけ(2022年 小学館)
 子どもたちの身の回りに起きるさまざまな大ピンチを紹介する一冊。前もってどんなピンチがあるかを知っておけば、ピンチがおきても怖くないかも!? ユーモアあふれるイラストも魅力。『2023年いちばん売れた児童書』にも輝き、今回は初めてのランクイン。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
これから自分にピンチがおきたときに、どうすればいいか予習できるのがいいところです。(2年生・男の子)
<作者受賞コメント>
順位つけるのって、緊張したりしてボクも嫌なんですけど、順位をつけることで友だち同士で、本について語るきっかけにもなると思います。本はひとりで読むだけじゃなくて、人やモノとつながったりする、生きる楽しみだと思います。それに応えられるような本をこれからも作っていきたいです。(鈴木のりたけ氏)


📚全国の小学生が選んだ「いちばんおもしろい」ベスト10(4〜7位)

📗第4位『あるかしら書店』
作/ヨシタケシンスケ(2017年 ポプラ社)
「こんな本、あったらいいな」が詰まった、最高に楽しい妄想書店をテーマにした作品。月明かりの下でしか読めない「月光本」、ふたつの本を合わせて初めて読むことができる「2人で読む本」など、読んだらきっと「本ってやっぱりいいよねぇ」と言いたくなるエピソードが満載。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
どんなおもしろい本が出てくるか、ページをめくるたびにワクワクします。世界一周読書の旅に行ってみたいなと思いました。(4年生・女の子)
<作者受賞コメント>
僕もすごく本が好きで、あんな本あったらいいなとか、いろいろ思いながら作った本です。みなさんがこれからもいろんな本を読んで、“こんな本があったらいいのに”と、いつか本を作る側になってくれたらうれしいです。(ヨシタケシンスケ氏)


📗第5位『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』
作/廣嶋玲子 画/jyajya(2013年 偕成社)
 幸運な人だけがたどりつける、ふしぎな駄菓子屋が舞台の物語。女主人・紅子がすすめる駄菓子は、どれもその人にぴったりのもの。でも、食べ方や使い方をまちがえると……。駄菓子がお客さんの運命を翻弄する、ドキドキ感が魅力の作品。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
いろいろな駄菓子が出てきておもしろいし、漢字の勉強にもなるし、想像して楽しいからです。(4年生・男の子)
<作者受賞コメント>
またまた選んでいただいて、感謝感激です。この賞に選ばれることほどうれしいことはありません。これからも“銭天堂”を読むと楽しんでもらえるよう、ますますがんばりたい。どうぞみなさま、よろしくお願いするでござんす。(廣嶋玲子氏)


📗第6位『パンどろぼう』
作/柴田ケイコ(2020年 KADOKAWA)
 おいしいパンを探し求める大泥棒・パンどろぼうが大活躍する絵本シリーズの第1巻。お茶目でどこか憎めないパンどろぼうが、今日も事件を巻き起こす! 大人から子どもにまで愛されるパンどろぼうの正体と意外なストーリー展開に、ハマる小学生が続出中。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
パンが好きなパンどろぼうが、パン職人になったのはすごいなと思いました。(2年生・女の子)
<作者受賞コメント>
パンどろぼうは、ちょっとドジでまぬけだけど、好きなことには一筋です。実は私もそんな人間です。自分を投影したようなこのパンどろぼうが、愛され、親しまれて、とても幸せです。小学生のみなさんも自分の魅力的な部分を知り、大事にし、成長していってほしいです。(柴田ケイコ氏)


📗第7位『四つ子ぐらし① ひみつの姉妹生活、スタート!』
作/ひのひまり 絵/佐倉おりこ(2018年 KADOKAWA)
 ひとりぼっちだと思っていた主人公は、じつは四つ子だった…!? それぞれ別の場所で孤独に育った4人がひとつ屋根の下で暮らすことになったけど、四つ子だけの生活は大混乱! キュートな姉妹生活が大人気。昨年11月には、シリーズ16作目を刊行。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
4人で家事をするとき、部活をするとき、友だちと遊ぶときなど、いろいろな場面があっておもしろいからです。(4年生・女の子)
<作者受賞コメント>
読者のみなさんにも、四つ子ぐらしを読んで、ドキドキ・ワクワクするような気持ちになってもらえたらとてもうれしいです。私も作者ではありますが、読者のみなさんといっしょに、ドキドキ・ワクワクしながら執筆を続けたいです。(ひのひまり氏)


📚全国の小学生が選んだ「いちばんおもしろい」ベスト10(8〜10位)

📗第8位『ドラゴン最強王図鑑』
監修/健部伸明 イラスト/なんばきび、七海ルシア(2022年 Gakken)
 “最強王図鑑シリーズ”の一冊。ありとあらゆるドラゴンが一堂に集結し、最も強いドラゴンをトーナメント形式で決定する。手足・翼の有無や、善・悪、火・水・風…など、さまざまな属性のドラゴンたちが、それぞれの戦い方で迫力の対戦を繰り広げる。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
レヴィアタンの戦うシーンが、カッコいいからです。(1年生・男の子)
<作者受賞コメント>
どっちが勝つかを話していくうちにケンカになってしまうため、学校に持って行くのを禁止されていることが多い本。ただ、みんなでケンカするまで話せる本ってなかなかないと思うので、うれしい。今後も、子どもたちが大好きすぎて親御さんたちや先生たちを困らせるような本を作っていきたいです。(Gakken編集担当)


📗第9位『ほねほねザウルス ティラノ・ベビーのぼうけん』
原案・監修/カバヤ食品株式会社 作・絵/ぐるーぷ・アンモナイツ(2008年 岩崎書店)
 大人気の玩具菓子「ほねほねザウルス」が読み物に。主人公のティラノサウルスのベビーが、親友のトリケラトプスのトップス、ステゴサウルスのゴッちゃんといっしょに、冒険の旅へ。謎解き、敵との戦いなど、わくわくするストーリーに、迷路やクイズが盛りだくさん。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
トップスがなにも知らないのがおもしろいのと、いっぱい仲間ができるからです。(1年生・男の子)
<作者受賞コメント>
前回(第3回)と同じ9位に、前回以上の喜びを感じております。前回はたまたま選ばれただけかもしれないという思いがありましたが、今回また選ばれたことで、それが払拭され、大きな自信になりました。(大崎悌造氏)


📗第10位『100かいだてのいえ』
作/いわいとしお(2008年 偕成社)
 いわいとしお氏によるロングセラーシリーズの第1巻。主人公・トチくんのもとに届いた手紙をきっかけに訪ねることになった家は、なんと100階建て。縦開きで大迫力のイラストを楽しみながら、主人公と一緒にてっぺんを目指していく、ワクワクドキドキの絵本。

<こどもプレゼンターの選んだ理由>
100かいだてのいえから見る星はきれいだと思いました。(1年生・女の子)
<作者受賞コメント>
今、シリーズで6冊出てるんですけど、まさか何冊も描くとは思っていませんでした。それを描けたのも、読んでくれる子どもたちの大きな応援があったからこそ。小学生のみんなが選んでくれる賞ということで、これ以上うれしいことはないです。(いわいとしお氏)



📘大人気絵本作家の新刊は、働いて生きていくことについて考える本
 ここまでで紹介した第4回「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」で、1位『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)、4位『あるかしら書店』(ポプラ社)に選ばれた、ヨシタケシンスケさんの新刊『おしごとそうだんセンター』が2024年2月26日(月)に発売される。
今回の内容は、地球に不時着して仕事を探しはじめた宇宙人が、おしごとそうだんセンターの係のお姉さんと一緒に、働いて生きていくことについて考える、ヨシタケ版ハローワークストーリーとなっている。

『おしごとそうだんセンター』の内容をチラ見せ
「はたらくってどういうこと?」
「自分に向いているしごとってどうやって見つける?」
「やりたい仕事をするためにはどうすればいい?」

など、子どもにとっても大人にとっても悩ましい仕事にまつわる「?」の数々に、ヨシタケさんのユーモアと哲学がどんな回答を導き出すのか。子どもに本を読んでほしいパパママも一緒に是非とも読んでみてほしい一冊だ。

『おしごとそうだんセンター』(株式会社集英社)
著者:ヨシタケシンスケ
2024年2月26日(月)1,760円(10%税込)
A5判ハードカバー オールカラー
ISBN:978-4-08-771858-4

「しごと」ってなんだろう?
地球に不時着した宇宙人がやってきたのは、ちょっと風変わりな職業相談所。
宇宙人は相談所のスタッフと一緒に、この星で生きていくこと、働くことの意味について考えはじめる。
誰もが避けて通れない「仕事」の意味を問い直し、明日をちょっと明るくする、
すべての子どもと大人のためのヨシタケシンスケ版“ハローワーク”ストーリー!

取材・文/二ッ屋絢子 イベント写真/恵原祐二 第4回『小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙』ベスト10書影画像提供/こどもの本総選挙事務局
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 クリスマスどころか西暦1年でもない?!イエス・キリストは実際はいつ生まれたのか? 2024/02

2024-02-12 23:16:40 | 📚 豆知識・雑学

クリスマスどころか西暦1年でもない?!イエス・キリストは実際はいつ生まれたのか?
  ナゾロジー より 240212  華盛頓


ピーテル・パウル・ルーベンス作『幼児虐殺』、ヘロデ大王の蛮行は幾度となく芸術家たちの題材にされ続けた / credit: wikipedia

 西暦はイエスの誕生とともに始まった紀年法であり、クリスマスはイエス・キリストが生まれた日として知られています。
 しかし研究では、実はイエスが生まれたのは西暦1年の12月25日ではなかったとされています。

 果たしてイエスはいつ生誕したのでしょうか?
本記事ではイエスはいつ生誕したのかについて考察していきます。

◆目次
ー歴史的事実と矛盾するイエスの生まれ年
ー抽象的すぎて諸説飛び交うベツレヘムの星


⚫︎歴史的事実と矛盾するイエスの生まれ年
 先述したように西暦はイエスが生まれた年を起源とした暦とされているため、当然イエスが生まれたのは西暦1年ということになります。
 しかし実際にはイエスが生まれたのは紀元前6年から紀元前4年の間であるといわれています。
 その理由として言われているのは、ヘロデ大王の物語と辻褄が合わない点です。
新約聖書の『マタイによる福音書』によると、ヘロデ大王は「新たにユダヤ人の王となる子」(もちろんイエス・キリストのこと)がベツレヘム(ヨルダン川西岸地区南部にある都市)に生まれたと聞くやいなや、イエスを殺そうとベツレヘム近郊の2歳未満の男児全員の殺害を命じました。

 この出来事は「無辜の民の虐殺」として知られており、キリスト教ではその時死んだ乳幼児たちを「イエスのために命を落とした最初の殉教者」として手厚く祀っています。
 なお当のイエスは両親が天使のお告げによってこの危機を知り、イエスを連れてエジプトに逃亡したので、殺されることはありませんでした。

 しかしヘロデ大王は紀元前4年の時点で死んでおり、もし西暦1年にイエスが生まれた場合、この記述と辻褄が合いません。
 そのようなこともあって、多くの研究者は、イエスは西暦1年に誕生していないという立場を取っています。
 ただしヘロデ王の虐殺については「他の書籍の記述や歴史的事実がない」ということもあって伝説であると主張する意見も根強く、この根拠から「イエスは西暦1年に誕生していない」という意見には確証があるわけではありません。

⚫︎抽象的すぎて諸説飛び交うベツレヘムの星
 フィレンツェの画家ジョット・ディ・ボンドーネの「東方三博士の礼拝」、ベツレヘムの星は幼児の上にある星であり、この星はジョットが観測したことのあるハレー彗星を参考にして描かれた / credit: wikipedia
 また学者たちは、「ベツレヘムの星」を実際の天文学的出来事と結びつけてイエスの誕生年を特定しようと試みてきました。
 ベツレヘムの星とはイエスが生まれた直後に東の国に西の空にて観測されたとされる星であり、誰も見たことがない星であるとのことです。
 それを観測した3人の占星学者はベツレヘムの星の方角に向かって旅を始め,その途中で先述したヘロデ大王に出会い「新たにユダヤ人の王となる子」が生まれたことを教えてしまいます。

 このベツレヘムの星については、超新星、惑星、彗星、惑星どうしの接近や会合(2つの天体が重なって見える現象)など様々な説が唱えられていますが、いまだにその正体はわかっていません。
 もちろん「そんなことはなかった」とベツレヘムの星の観測自体がフィクションであると主張する学者も決して少なくありません。

 しかし主要な説に1つとしては、紀元前2年6月に起こった金星と木星の会合で空に明るい光を形成した現象があげられています。

 もう一つの可能性として言われているのが、紀元前7年の10月に起こった土星と木星の会合です。
これはドイツの天文学者のケプラーが提唱した説であり、今でも根強い支持者がいます。
 また紀元前12年に観測されたハレー彗星なのではないかという声もあり、説はかなり分かれています。
 ただ、いずれの説を採用するにしても、イエスの誕生は西暦の最初の年ではなく、自身の誕生日として大々的に祝われているクリスマスに生まれたわけでもない可能性が高いようです。
 学問において研究が進んでいくにつれて物事が明らかになっていくことは多いですが、逆に研究が進んでいくにつれて曖昧になっていく現象も起こるのが歴史学の醍醐味なのかもしれません。


▶︎参考文献
When was Jesus born?
https://www.livescience.com/42976-when-was-jesus-born.html
▶︎ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
▶︎編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。


💋そもそも生日がはっきりしたのは西暦300年代とか?
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「AI先進国」になれるチャンスが日本にも到来 2024/02

2024-02-12 22:51:26 | 気になる モノ・コト

「AI先進国」になれるチャンスが日本にも到来
  東洋経済Online より 240212  井上 智洋:駒澤大学経済学部准教授



 多くの日本人が抱える「デフレマインド」こそ、日本が世界的に1番になれない理由といえます

 文章や画像、音楽などを自動的に生成する「生成AI」は、その進化が著しく、もはや「SFの世界」の話ではなくなってきました。
 2023年12月には、アメリカ・インテルがパソコンでAIが効率的に使えるようになる半導体を正式発表。設備投資においても、AIの普及で通信企業がデータセンター(DC)の整備を急ぐなど、経済への波及効果も見られます。
 このようなAIの経済効果や労働への影響について,駒澤大学経済学部准教授・井上智洋氏の最新著書『AI失業』より,日本がAI先進国になるために必要な施策についてご紹介します。
⚫︎生成AIの利用が盛んな日本
 現在は、ChatGPTなどによってAIの世界が劇的に変わろうとしており、ある意味で日本にとってはチャンスが到来しています。

【図表を見る】ChatGPTへのアクセス数が多い国は?
図4‐5のように、ChatGPTへのアクセス数が多い国は、アメリカ、インド、日本の順番です。アンケート調査によってはChatGPTを使っている日本人は少ないというデータもありますが、「アクセス数」がデータとしてはもっとも客観的です。
 そこを見る限り、日本は世界3位です。

 ちなみに中国は、中国独自の言語生成AIを使っており、ChatGPTは使えません。
たとえば、ChatGPTに「天安門事件とは?」と聞いたらもちろん答えてくれますが、中国の言語生成AIは答えてくれません。中国では、インターネットでも「天安門事件」が検索できないようになっています。
 こうした障壁を「グレート・ファイアウォール」と言います。目に見えない万里の長城のような巨大なインターネットの障壁が中国全土を覆っていて、政府にとって不都合な情報にアクセスできないようになっているのです。
 ChatGPTを使わせないことも、グレート・ファイアウォールの一種とみなすことができます。ChatGPTがもし中国で利用できるのであれば、中国がアクセス数でトップになる可能性があります。

 いずれにせよ日本は、アメリカ、インド、中国に比べても、人口が少ないので、1人あたりの平均アクセス数を考えたら主要国で1位になるでしょう。少数のヘビーユーザーが過度にアクセスしている可能性もありますが、かなり利用されていることに間違いはありません。

⚫︎AI好きな日本人の国民性とドラえもんの関係性
 日本で、ChatGPTのような言語生成AIに夢中になる人が多いのはなぜでしょう? 日本では以前から『ドラえもん』のような、人と友だちであるかのようなフレンドリーロボットが漫画やアニメで描かれてきました。
 おそらく日本人は潜在的に、友だちのようなAI、自分とコミュニケーションができるAIが欲しかったのではないでしょうか? 『ターミネーター』のような、AI・ロボットが人間に反旗をひるがえす映画を作るアメリカとは対照的です。

 実際、イーロン・マスク氏や、スティーブ・ジョブズ氏とともにアップルを創設したスティーブ・ウォズニアック氏は、2023年3月にAIの開発を一時停止すべきであると提言しました。それだけAIを脅威としてとらえている人がアメリカには多いのです。
 ヨーロッパにも、物理学者のスティーヴン・ホーキング氏や哲学者のニック・ボストロム氏のように、AI脅威論を唱えた著名人が何人もいます。

 それに対し日本では、AIの開発を停止すべきだと言う人はあまりいません。日本ではAI脅威論が少ないので、それゆえにチャンスだということです。

 ChatGPTは、ビジネスパーソンに広く浸透しつつあるのに対して、画像生成AIは日本のオタク文化と相性がよいと言えます。画像生成AIは、同人誌的な2次創作に似たような面があります。人が作った画像をかき集めてきて、それを改良してまた新たな画像を作っているからです。2次創作そのものであるかのような創作活動をしている人もいます。

 私のある知り合いは、アニメに登場する女性キャラクターの、たとえば浴衣を着ている姿などを画像生成AIで作って大人気になっています。その画像を2万円で売ってくださいという人まで現れるほどです。でも本人はあまり儲ける気はないそうです。
 これはまさに同人誌的な2次創作を、今度は画像生成AIを使って楽しんでいるということになります。なお、2次創作については著作権的な問題があるのですが、黙認されている状況です。

⚫︎GPUなどを買う資金力が足りない
 生成AIの利用という面では、日本はむしろ進んでいる面があるという話をしました。それでは、研究のほうはどうやったら推し進められるでしょうか?

 今後、日本の企業や大学が、OpenAIと提携して共同研究をさせてもらえることもあるでしょう。そうすればノウハウが直接手に入るので研究がより早く進み、先端的なレベルに到達しやすくなります。したがって、このような動きは歓迎すべきです。

 ただし、日本はAIに関わるノウハウや人材が不足しており、海外から取り入れる必要がありますが、もっとも足りないのは資金力です。
 いまのChatGPTと同レベルの言語生成AIを開発するには、数百億円が必要だと言われています。特に、生成AIを動かすには高性能な「GPU」(グラフィック処理装置)がいくつも必要なので、それを購入するための資金がなくてはなりません。

 私たちが持っている普通のパソコンで情報処理に使われているのは、「CPU」(中央処理装置)です。GPUは、元々コンピュータのグラフィックを描くために使われていた専用の処理装置です。
 それがAIの処理にも適しているということで、今ではAIを動かすのに欠かせないハードウェアになっています。ほかにも、グーグルの開発したTPUをはじめとするAI用の処理装置がありますが、今のところGPUが広く利用されています。それゆえ、GPUを開発している企業であるエヌビディア社の株価が劇的に上昇していて、10年前の100倍以上になっています。

 そういうこともあって、最近日本では、GAFAMに代わって「MATANA(マタナ)」という言葉が使われ始めています。これは、マイクロソフト、アップル、テスラ、アルファベット(グーグル)、エヌビディア、アマゾンの頭文字をとっています。比較的時価総額の低いフェイスブック(メタ社)が抜けて、それより時価総額が高いテスラとエヌビディアが入っているのです。

⚫︎日本の半導体産業の凋落
 GPUの世界シェアは、アメリカのエヌビディアとインテル社、アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)社の3社にほとんどが占められています。インテル社は、元々はCPUの最大手で「インテル入ってる」というCMで有名な企業です。AMD社もGPU以外にCPUも作っていて、インテルと競合しています。
 残念ながら、CPUと同様にGPUでも日本企業の世界シェアはゼロに近いです。おまけに、CPUやGPUの材料となる半導体の世界シェアで、日本は最盛期の1988年には50%を超えていましたが、今では6%ほどに凋落しています。

 経済産業省の予測によると、2030年頃には日本のシェアはほぼゼロに近くなります。
凋落の最初のきっかけは、1986年の「日米半導体協定」です。安い価格で半導体を輸出しないことや外国製品を20%輸入することなどがアメリカから日本に要求されたのです。

 そのうえ,パソコンの普及で品質が悪くても安価な半導体が大量に必要になったのですが、台湾や韓国の企業のほうが日本よりもさらに安価な半導体を生産できるようになりました。

 また、半導体製造のための工場を建てるといった設備投資には莫大な費用がかかり、日本はデフレ不況のただ中でそのような余裕はありませんでした。
 さらには、研究開発投資を減らしたために、技術革新が進みませんでした。ここでも、思い切った投資ができないというデフレマインドが足を引っ張っています。

 それにしても凋落が劇的すぎると思われるでしょうが、これは半導体産業では「規模の経済」が働いているからです。すなわち、規模の大きな企業ほど、安いコストで商品を作ることができて有利という法則です。この法則が働いているために、規模が小さくなると競争において不利になり、ますます規模が小さくなるという悪循環が生じたのです。

⚫︎「規模の経済」が半導体産業の悪循環を生み出している
 私は、企業は市場経済の中で自由にビジネスを展開すべきであって、政府が関与すべきではないと基本的には考えています。政府が支えるべきなのは国民の暮らしであり、個々の企業の儲けではありません。
 ただし、いくつか例外があって、「生活必需品や戦略物資に関わる産業」と「規模の経済が働く産業」については、政府が関与したほうがよい場合があります。
 生活必需品と戦略物資はかなりこうむっており、食料、石油や金属などの資源、兵器、そして半導体などです。こういったものを輸入にばかり頼り、非常時に輸入が途絶えたら、国民が飢えたり、国を守れなくなったりします。

 こう考えていくと、戦前の日本が満州などに侵攻し、自給自足できるような広域経済圏を建設しようとした動機が、支配欲だけによるものではないことが理解できるでしょう。
 しかし、今の日本は専守防衛を国是としており、私もむろん専守防衛に徹するべきだと思っています。そうであれば、経済安全保障の観点から、国がそういった産業を支援して自給率を可能な限り高めていく必要があります。

 特に半導体は、パソコンやスマホばかりでなく、今や自動車やあらゆる家電製品にも使われていて、これなしでは現代的な生活を送ることができません。
 それゆえ、半導体は「産業のコメ」とか「現代の石油」などと言われてきました。のみならず、兵器にも組み込まれているので、戦略物資でもあります。

 さらに、あらゆる物理的なモノがAIやIoTによってスマート化されていくとするならば、今とは比べものにならない量の半導体が必要となります。第4次産業革命で主力になるのはAIですが、それを土台で支えるのは半導体なのです。
 したがって、可能であるならば、日本は国を挙げて半導体産業をよみがえらせるべきでしょう。

⚫︎「第4次産業革命」はAI×半導体で加速する
 2022年8月にトヨタやNTT、ソニーなどが共同出資して、「ラピダス」という半導体メーカーが設立され、日本の半導体産業における最後の希望のように見なされています。そして2023年4月に、政府はラピダスに対して2600億円もの支援を決定しました。

 ただし、ラピダスの成功は危ぶまれており、2ナノレベルという極小の半導体を量産する計画も無謀なものだと思われています。日本の半導体産業の復活は、困難を極めているのです。

 可能であればGPUやそれに代わるAI用処理装置も国産できるようになったほうがいいでしょう。AIのベンチャー企業として有名な日本のプリファードネットワークス社は、独自のAI用処理装置「MNCore」を開発していますが、量産しているわけではありません。
 政府はせめて、優れた研究組織が生成AIの研究開発に必要なGPUを確保できるように資金を提供すべきでしょう。

 経産省は、GPUを搭載したAIクラウドの設備に対し、68億円の補助金を出しています。このサービスは、さくらインターネット社が2024年1月から提供を予定しており、スタートアップ企業の活用が想定されています。こういった取り組みを拡充する必要があるのです。

⚫︎政府は2000億円くらいの予算を出すべき
 私は、AIの研究開発を劇的に進めるために、政府が年間2000億円ほどの予算を組んでもいいのではないかと考えています。2023年度のAI関連予算が1000億円ほどで、2024年度の概算要求が1600億円ほどなので、2000億円というのはそれほど無茶な額ではありません。
 それでも今よりも多くの予算があれば、開発環境の整備に充てられるだけでなく、世界各国から優秀な研究者を引き抜くことができます。

 極端な話、世界中から根こそぎ優秀な研究者を引き抜くことができれば日本の圧勝です。
もちろん、そこまで横暴なことをすべきだとは思いませんが、先端的な研究ができるレベルには持っていく必要があります。
 国内の優れた研究者を登用するのはもちろんですが、日本だけにとらわれる必要はありません。

 中国がどうしてこれだけの科学技術大国にのし上がったのかを見ていくと、1つには世界中から研究者を引き抜いてきたからです。
 これは、「千人計画」あるいは「万人計画」と呼ばれていて、当初はアメリカなどに留学した学生を中国に引き戻すための政策でした。
 しかしそのうちに、中国人でなくてもいいということになり、ほかの国からどんどん研究者の引き抜きを始めたのです。

 じつは、最初にそのような政策を採用した国はシンガポールです。私は中国を「大きなシンガポール」と呼んでいます。シンガポールは国が小さいので、ベンチャー企業的な発想で優秀な人材を世界中から集めて成功し、瞬く間に日本の1人当たりGDPを追い抜きました。
 それを中国のような大国が真似て成功するのかという話なのですが、これが成功してしまったのです。

 たとえば今、大学の世界ランキングで、北京にある清華大学は16位、北京大学は17位で、香港大学は31位です。日本のトップである東京大学は、そういった大学に抜かれて39位まで落ちています。特に清華大学の研究レベルは、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)を超えていると言われています。

 日本もある程度は中国を見習って、ほかの国と摩擦を起こさない程度に世界中からAI人材を呼び込むべきだと思います。日本から中国への人材流出は深刻な問題でしたが、これまでさして意識されることがなく、ほとんどなんの手も打たれませんでした。

 私の関わる経済学の分野でいうと、数年前に一橋大学の経済学の先生が香港工科大学に移ったことが話題になりました。年収が600万円から1500万円と2倍以上にアップしたうえ、マンションをあてがわれ、福利厚生も充実しているというのです。 
 ところが現在では、習近平体制に対する警戒心から、中国に行くことを避ける人が増えています。いつ財産を取られたり、横暴な弾圧をされたりするかわからないという怖さがあるからです。
 逆に、中国の金持ちが日本に逃げてきて、六本木辺りのタワーマンションの上層階に移り住むようなことすら起きています。そこに日本の勝機があると考えられます。
 つまり、日本は安心安全で、政府に財産を取られることもなければ、政府を批判して捕まることはない、そういうことを売りにして、世界から優れた人材を獲得すべきでしょう。

⚫︎政府の姿勢にも変化の兆し
 優れた研究者に対して破格の報酬を出すというのは、これまでの日本ができなかったことです。学者なんてどうせ道楽でやっているのだから、給料なんて安くていいという価値観すらあります。ある意味で正しいのかもしれませんが、それではほかの国に勝てません。
政府の姿勢は、ようやく変わってきました。

 文部科学省は、2024年度からAI分野の優れた若手研究者に年2000万円を支給します。目的は人材流出を防ぐことです。ですがそれは最低ラインで、さらに世界中から人材を呼び込むべきでしょう。
 たとえば、年俸1億円で外国からトップクラスのAI研究者を10人ほど引き抜いて、東京大学の付近に住んでもらいます。それでもたった10億円しかかかりません。
 彼ら・彼女らに週に1回だけ大学で講義を行い、残りの時間は研究に専念してもらいます。もちろん研究アシスタントには大学院生を雇います。

 こうするだけで、日本の学生のレベルが上がるだけでなく、世界中の学生が優れたAI研究者を目当てに日本に留学します。そのうえで、AI系ベンチャー企業の立ち上げ支援を強化すべきでしょう。
 元々東京大学の周辺は「本郷バレー」と呼ばれていて、AI系ベンチャーが集まっています。それを拡充させて、シリコンバレーを超えるような街へと本郷を発展させてはどうでしょうか?

 ここでみなさんは「シリコンバレーを超えるのは絶対無理だろう」と考えたかもしれません。でも、それこそがデフレマインドなのです。1980年代の日本人なら、「やってやろうじゃん」と思ったはずです。



💋観光立国と言う政治や災害で容易くダメになる、適当な曖昧な事より、地についた科学立国こそが!
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駅から45分の「寺社めぐり」登山!関西有数クライミングスポット近く「聖徳太子ゆかりの地」 2024/02

2024-02-12 22:45:17 | 🚇 旅選定の参考

駅から45分の「寺社めぐり」登山! 関西有数クライミングスポット近く「聖徳太子ゆかりの地」
 Bravo Mountain より 240212  野口 宣存


登山口にある「金玉稲荷大明神」(撮影:野口宣存)
 今回紹介する神戸市北区にある鏑射山(かぶらいやま)は、標高327mの小さな山だ。

関連:■【画像】聖徳太子ゆかりの寺院にある「使途不明…」謎の大樽

 ここは山麓の「金玉(かなたま)稲荷大明神」、中腹の「烏帽子岩(とりぼうしいわ)」、山頂付近の「鏑射寺(かぶらいじ)」と登り始めから山頂まで、見どころが詰まった隠れスポット。JR道場(どうじょう)駅から歩いても遠くないが、山頂までの道はすべて舗装道路。そのためドライブスポットとしても人気がある。ではさっそく、山麓から順に紹介しよう。

■鏑射山山麓:「金玉稲荷大明神」
 金玉稲荷大明神前には枯れ沢がある
 JR道場駅から800m、徒歩約12分で到着するのは鏑射山の登り口にある「金玉稲荷大明神」。地元では「かなたまじんじゃ」と呼ばれているらしい。訪れると話のネタになりそうな隠れスポットだ。
    金玉稲荷大明神入口
 金玉稲荷大明神は、こじんまりとしているものの、立派な社を持つ。社の前が枯れ沢になっており、神秘的な雰囲気が漂う。なお金玉稲荷大明神の看板はないので、地図を見ながら入口を探して訪問することになる。

■鏑射山中腹:「烏帽子岩」

鏑射山中腹の烏帽子岩は大きな岩壁だ
 烏帽子岩は関西でも屈指のロッククライミングスポット。烏帽子岩に行くには、鏑射寺に至る本線からそれ、山道を歩く。道なりに歩けばすぐに現れる、とてつもなく大きな岩壁が烏帽子岩だ。
 鏑射山中腹の烏帽子岩。見ているだけでハラハラドキドキ

鏑射山中腹の烏帽子岩の入口
 烏帽子岩では、ロッククライミング愛好者たちが練習をしていることが多い。その登っている姿から岩壁の大きさがよくわかり、烏帽子岩の迫力が一層増して感じられる。

■鏑射山山頂付近:「獨鈷山鏑射寺」

鏑射寺護摩堂
 鏑射寺三重塔
 獨鈷山鏑射寺(とっこさんかぶらいじ)は、聖徳太子が生母、間人(はしうど)皇后の故郷に創建したと伝えられる古刹である。聖徳太子が鏑矢(かぶらや)を奉納したのにちなみ、鏑射寺と命名された。

鏑射寺本堂
鏑射寺境内からの眺望

 鏑射寺は、明治初頭に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動により放火され、廃寺となった。廃仏毀釈運動とは、明治元年(1868年)に出された神仏分離令に端を発した、仏教排斥運動のことである。


▶︎鏑射寺弁天堂参道
 昭和30年代、皇族であった久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)が、廃寺となっていたところに参拝されたことがきっかけで鏑射寺は復興された。鏑射寺の境内はかなり広く、三重塔や本堂、弁天堂など建物も新しく立派。鏑射寺の境内には写真映えするスポットや、眺望がよいスポットもあるので探してみよう。

 なお、弁天堂の石段脇にある大樽が、何なのかわからず気になった。樽の周りはきれいに掃き清められているのだが、看板や説明文もなければ、花も賽銭箱もない。樽の正面には扉のようなものがあるのだが、タガで縛ってあり、開かないようにしてある。後日寺の方に聞いたところ「特に意味はない」とのことで、なんだか思わせぶりな謎の大樽だ。

■鏑射山山頂
 鏑射山山頂は鏑射寺三重塔脇から登る
   山頂まで鳥居が連なる鏑射山

 鏑射山は、山自体をご神体とする神奈備(かんなび)である。鏑射山山頂への登り口は、鏑射寺三重塔の右脇の鳥居。稲荷神社ほどではないが、山頂まで鳥居が連なる。

鏑射山山頂の鏑射大権現。ご神体の丸い石が祀られている

鏑射山の山頂を示す三角点。その脇に、測量時の忘れ物らしきメジャーポール
 鏑射山山頂に眺望はない。山頂には鏑射大権現(かぶらいだいごんげん)という小さな祠に、ご神体の丸い石が祀られている。鏑射大権現の裏は平坦な森になっており、鏑射山の山頂を示す三角点もそこにあった。古代にはこの山頂で祭祀が行われていたのだろう。

 鏑射山は、山麓から山頂まで見どころの詰まったスポットである。ドライブスポットとしても人気だが、JR道場駅から歩いても行ける手軽な山なので、ぜひ訪れてみよう。
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🏯 「鉄筋コンクリート造」でも名城はある…城マニアが教える「訪れる価値のある城」と「ダメな城」の見分け方 202402

2024-02-12 22:31:00 | 📚 豆知識・雑学

「鉄筋コンクリート造」でも名城はある…城マニアが教える「訪れる価値のある城」と「ダメな城」の見分け方
  プレジデントOnline より 240212  香原 斗志


 天守が現存する城は全国に12しかない。それ以外の城の「歴史的価値」は無いのだろうか。
 歴史評論家で城マニアの香原斗志さんは「鉄筋コンクリート造の城にも名城はある。例えば名古屋城や広島城の天守はおおむね旧観を再現している」という――。

🏯ホンモノの天守を持つ城は12しかない
 数年来の城ブームは、新型コロナウイルスの流行によって一服していたが、昨年から各地の城に観光客が戻っている。とくに外国人観光客は円安の影響もあって激増し、すでにコロナ禍を上回っている城も多い。
 観光客のお目当てはシンボルである天守であることが多いが、じつは天守にはホンモノとニセモノがあるからやっかいなのだ。

 明らかにホンモノなのは、現存12天守である。

 弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、
丸岡城(福井県坂井市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、
備中松山城(岡山県高梁市)、松江城(島根県松江市)、丸亀城(香川県丸亀市)、
松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)
 の12城で、そのうち松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城は国宝に指定されている。

 太平洋戦争の空襲で焼失後、鉄筋コンクリート造で外観が復元された天守もニセモノとはいえない。

 名古屋城(名古屋市中区)、大垣城(岐阜県大垣市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)、岡山城(岡山県岡山市)、福山城(広島県福山市)、広島城(広島市中区)で、
6つそれぞれに精度の差はあるが、おおむね旧観を再現している。
 福山城はかなり改変されていたが、令和4年(2022)の改修で元来の姿に近づけられた。

🏯本格的な復元といえる天守
 西南戦争で焼失した熊本城(熊本市中央区)や、戊辰戦争で被災したのちに取り壊された会津若松城(福島県会津若松市)も、外観の精度は高い。
 平成時代に木造で建てられた白河小峰城(福島県白河市)や大洲城(愛媛県大洲市)、新発田城(新潟県新発田市)は、かなり本格的な復元だ。

 同様に木造で復元された掛川城(静岡県掛川市)や白石城(宮城県白石市)は、写真や平面図、立面図などがなく、推定による部分もあるが、伝統工法による本格的な建築で、復元考証がていねいに行われている。

🏯天守の3分の2はニセモノ
 現在、日本各地には90を超える天守が建っているが、はっきりホンモノだと呼べるものは、じつは3分の1にも満たない。

 前述したように、戦災で天守を失った都市では戦後、復興のシンボルとして天守を再建する動きが活発化した。
 ただ、空襲などの記憶がまだ生々しい時期だったので、二度と焼失せず、ずっとその地にそびえてほしいという願いから、耐火性能を優先して木造は意識的に避けられた。戦後に定められた建築法規により、木造建築への制限が大きくなっていたという事情もある。

 ただ、天守を地域振興の中核にしようと考える自治体は、戦災で天守を失った自治体だけではなかった。城は人を呼べるとなると、城下町から発展した都市の多くが、鉄筋コンクリート造の天守を建てて観光誘致のシンボルにしようと考えたのだ。

 だが、熊本城や会津若松城のように、古文書や絵図、鮮明な写真などが残っている城はいいとして、そうでないところにまで天守が建った。「復元」どころか「復興」や「再建」ですらないところも少なくなかった。つまり、天守がなかった城に天守を建ててしまったのである。


筆者作成

🏯ニセモノが国の登録有形文化財に
 富山県富山市は空襲で50万発以上の焼夷弾を浴び、市街地の99.5%が焼失した。
それだけに、昭29年(1954)に富山城址公園で開催された富山産業大博覧会にかける県や市、産業界の意気込みはかなりのもので、3億5000万円を投じて富山の近代都市としての復興がアピールされた。
 そのシンボルとして富山城に建てられたのが、鉄筋コンクリート造の三重の天守だった。
外観は犬山城や彦根城など現存天守を参考にデザインされたが、なぜ他所の城を参考にしたのか。富山城には天守がなかったからである。
(富山市郷土博物館(富山城復元模擬天守))
 富山城は金沢の前田家の分家が城主を務めた城で、江戸時代に描かれた複数の絵図にはいずれも天守が描かれていない。『万治四年(1661)築城許可書』には天守の建設計画が記され、建てることが検討された形跡はあるが、結局、石垣による天守台も築かれなかったことが発掘調査でも確認されている。
 市街地のほぼすべてが焦土と化した富山に、復興のシンボルが必要だったのは理解できる。しかし、この天守は近代都市のシンボルにすぎず、歴史や伝統を尊重しようという姿勢に裏づけられていない。
 そんな「天守」が平成16年(2004)、「地域の景観の核」として国の登録有形文化財に登録されてしまったのは、悪い冗談としか思えない。

🏯間違ったイメージを与えている
 平戸城(長崎県平戸市)の本丸には三重四階の天守が建ち、最上階からは平戸湾の絶景を見渡せる。
 だが、昭37年(1962)に建てられたこの天守は、不思議なことに平面の半分は石垣に載らず、地面に直接建っている。二重櫓の跡に無理に建てているからで、本丸に天守台はなかったのである。
 平戸城模擬天守
平戸城の前身である日之嶽(ひのたけ)城を築いたのは松浦鎮信(しげのぶ)だが、完成間際の慶長18年(1613)に焼失した。豊臣家との関係性を徳川幕府に疑われた鎮信が、嫌疑を晴らすためにみずから火をつけたともいわれる。
 その後、元禄16年(1703)になって再築城が認められ、享保3年(1718)に完工したが、天守は建てられなかった。
 現在の天守は戦後の天守復興ブームにあやかり、観光の拠点とするために建てられた。海からの景観や天守からの眺望が重視されたようだが、訪れた観光客に平戸城の誤ったイメージをあたえている。

🏯なぜか別の城をモデルに再建
 昭和39年(1964)、中津城(大分県中津市)の本丸に完成した鉄筋コンクリート造の五重五階の天守は、和歌山城や熊本城の再建天守を手がけた藤岡通夫氏が設計した。
 だから、史実の天守かと思ってしまうが、この城も江戸初期を除いては天守が建った形跡がない。
 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、豊前(福岡県東部と大分県北東部)に入封した細川忠興が天守を建てた形跡はある。元和5年(1619)、忠興が息子の忠利に宛てた手紙には、中津城天守を約束どおりに(明石城を築城中の)小笠原忠政に渡すように、という指示が記されている。
 天守だが、明石城に天守は建てられず、中津城天守のその後についての記録がないから、どうなったのか不明だが、その2年後には天守がないことが確認され、以後、絵図等にも天守は描かれていない。
 それなのに旧藩主の奥平家が主導し、観光のシンボルとして天守が建てられた。二重櫓が建っていた石垣に石を積み増して天守台とし、古写真が残る萩城(山口県萩市)天守をモデルに建てたのである。

🏯石垣がない土の城に石垣上の天守が
 唐津城(佐賀県唐津市)は豊臣系大名の寺沢広高が、慶長7年(1602)から本格的に築城した。その際、天守台の石垣は築かれたが、すでに寛永4年(1627)の時点で「幕府隠密探索書」に、天守台はあるが建物はない旨が書かれている。
 ところが現在、その天守台には五重五階の天守が建つ。昭和41年(1966)、例によって文化観光施設として建てられたもので、天守の記録がないので、秀吉が朝鮮出兵の基地として築いた肥前名護屋城(唐津市)をモデルに設計された。ちょうど昭和43年に、名護屋城と城下を描いた『肥前名護屋城図屏風』が発見されたばかりだったのだ。

 平成20年(2008)から令和3年(2021)、傷んだ石垣の整備にともなって発掘調査が行われ、本丸の各所から古い石垣が見つかり、豊臣政権下の城に特徴的な金箔瓦も発見された。このため寺沢広高の築城以前に、先立つ城郭が築かれ、その時点では天守が建っていた可能性も否定できない。だが、そうであったとしても、いまの天守はそれとなんら縁がない。

 そういう天守は九州に多いが北にもある。横手城(秋田県横手市)は、関ヶ原合戦後は最上氏、続いて佐竹氏の所有となり、寛文12年(1672)に佐竹氏の縁戚の戸村義連が入城すると、明治まで戸村氏が城主を務めた。その間、天守が建ったことはなく、江戸時代をとおして石垣がない土の城だった。
 ところが、昭和40年(1965)に三重四階の天守が、石垣の天守台上に建てられた。岡崎城をモデルにしたそうだが、柱と窓の関係など、木造建築のセオリーもまったく考慮されていない。

🏯ふるさと創生基金で建てられたお城
 織田信長が美濃(岐阜県南部)に侵攻するにあたり、まだ木下藤吉郎と呼ばれていた豊臣秀吉が永禄9年(1566)に、わずか3日半で築いたとされる墨俣城(岐阜県大垣市)。
 その逸話が記されているのは、江戸時代初期にまとめられた『武功夜話』が中心で、『信長公記』ほか同時代の史料には記述がないため、後世の創作だとする見解も少なくない。
 だが、秀吉の逸話が史実であろうとなかろうと、墨俣城が土塁や空堀で構成され、木柵などで囲って簡易な建造物を配置しただけであったことはまちがいない。
 ところが、そこに平成3年(1991)、四重五階で最上階の屋根に金色の鯱をいただく白亜の天守が建ったのである。外観は大垣城を模したそうだが、大垣城の外観は江戸時代初期に整備されたもので、時代がまったく異なる。
 天守の出現以前に廃城になった土の城の跡に、石垣上にそびえる高層の天守が建てられた例は、昭和42年(1967)に完成した亥鼻(いのはな)城(通称・千葉城、千葉市中央区)など、ほかにも例がある。

🏯多くの人に歴史を誤解させる
だが、墨俣城の天守の場合、きっかけが特異だった。竹下登内閣の発案で昭和63年「鉄筋コンクリート造」でも名城はある…城マニアが教える「訪れる価値のある城」と「ダメな城」の見分け方

 ところが現在、その天守台には五重五階の天守が建つ。昭和41年(1966)、例によって文化観光施設として建てられたもので、天守の記録がないので、秀吉が朝鮮出兵の基地として築いた肥前名護屋城(唐津市)をモデルに設計された。ちょうど昭和43年に、名護屋城と城下を描いた『肥前名護屋城図屏風』が発見されたばかりだったのだ。
 平成20年(2008)から令和3年(2021)、傷んだ石垣の整備にともなって発掘調査が行われ、本丸の各所から古い石垣が見つかり、豊臣政権下の城に特徴的な金箔瓦も発見された。このため寺沢広高の築城以前に、先立つ城郭が築かれ、その時点では天守が建っていた可能性も否定できない。だが、そうであったとしても、いまの天守はそれとなんら縁がない。

 そういう天守は九州に多いが北にもある。横手城(秋田県横手市)は、関ヶ原合戦後は最上氏、続いて佐竹氏の所有となり、寛文12年(1672)に佐竹氏の縁戚の戸村義連が入城すると、明治まで戸村氏が城主を務めた。その間、天守が建ったことはなく、江戸時代をとおして石垣がない土の城だった。
 ところが、昭和40年(1965)に三重四階の天守が、石垣の天守台上に建てられた。岡崎城をモデルにしたそうだが、柱と窓の関係など、木造建築のセオリーもまったく考慮されていない。

🏯ふるさと創生基金で建てられたお城
 織田信長が美濃(岐阜県南部)に侵攻するにあたり、まだ木下藤吉郎と呼ばれていた豊臣秀吉が永禄9年(1566)に、わずか3日半で築いたとされる墨俣城(岐阜県大垣市)。その逸話が記されているのは、江戸時代初期にまとめられた『武功夜話』が中心で、『信長公記』ほか同時代の史料には記述がないため、後世の創作だとする見解も少なくない。

 だが、秀吉の逸話が史実であろうとなかろうと、墨俣城が土塁や空堀で構成され、木柵などで囲って簡易な建造物を配置しただけであったことはまちがいない。
 ところが、そこに平成3年(1991)、四重五階で最上階の屋根に金色の鯱をいただく白亜の天守が建ったのである。外観は大垣城を模したそうだが、大垣城の外観は江戸時代初期に整備されたもので、時代がまったく異なる。

 天守の出現以前に廃城になった土の城の跡に、石垣上にそびえる高層の天守が建てられた例は、昭和42年(1967)に完成した亥鼻(いのはな)城(通称・千葉城、千葉市中央区)など、ほかにも例がある。

🏯多くの人に歴史を誤解させる
 だが、墨俣城の天守の場合、きっかけが特異だった。竹下登内閣の発案で昭和63年(1988)から、国が地域振興を旗頭にして各市区町村にばら撒いた「ふるさと創生基金」なのである。
 その1億円をもとに総工費7億円で建てられたのがこの天守だ。内部は歴史資料館として利用されているので、どこかの自治体がつくった純金のこけしやカツオよりはマシだろうか。
 しかし、多くの人に歴史を誤解させることを考えれば、正負の価値が相殺されて、こけしやカツオと変わらない気もする。

 城を訪れる際には、天守が現存しているのか、復元なのか、復興なのか、復興の場合、史実を反映しているのか、天守がない城に建った天守ではないのか、事前に調べることをお勧めしたい。
 脳内で天守の姿を変えたり、消したりしないと、歴史的な景色を誤解しかねないのが、日本のお寒い実情なのである。

 

▶︎香原 斗志(かはら・とし) 歴史評論家、音楽評論家 神奈川県出身。
早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『 カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『 イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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