広大な公園となった弥生集落の歴史と魅力 ─夏休みに行ってみたい!─
歴史人 より 220804 柏木 宏之
歴史公園は各地で整備されていて、楽しみながら学ぶ場所は多い。だが、弥生集落をまるごと公園化するとどれほどの広さになるのだろうか? 夏休みにぜひ行っておきたい、広大な弥生時代の公園をご紹介しよう。
⚫︎安満弥生遺跡に立つ竪穴式住居躯体を再現展示。
大阪の三島地域の辺りは弥生時代の早い時期に水田をつくり集落化
大阪府高槻市には弥生時代の早い時期に人が住み始めています。高槻市の西よりに位置する安満(あま)弥生遺跡をご紹介しましょう。
淀川の右岸を広く三島地域としてひとくくりにするこの辺りは、弥生時代の早い時期に水田をつくり集落を形成していました。
またこの地域は古墳の密集地帯でもあります。数百年にわたってさまざまな古墳が造営され続けたということは、その間ずっと栄えた集落地帯だということになります。
安満弥生遺跡の環濠集落の入り口を再現(柱の上には鳥形がある)。
この地域唯一の天皇陵として継体天皇陵があります。宮内庁は太田茶臼山(おおだちゃうすやま)古墳を継体陵としていますが、実は時代が半世紀古い古墳ですので、直下型大地震で破壊されて見る影もなかった今城塚(いましろづか)古墳こそが真の継体天皇陵だと考えられています。
この今城塚古墳は天皇陵に指定されなかったことが幸いして、徹底的に調査がされています。その成果は、巨大な前方後円墳の大型横穴式石室の基礎構造や排水施設構造をはじめ、古代祭祀の在り方などが判明していて、考古学に大きな貢献をすることができました。
今は大きな公園として整備されて市民の憩いの場になっています。
安満弥生遺跡公園の現地の空間に再現されるアクリル板展示は秀逸
高槻市安満弥生遺跡公園 総面積は21.8ha(甲子園球場の5個分)
さて、もう一か所市民に愛される憩いの場がそれよりも一段と古い時代の安満弥生遺跡公園です。広大な敷地には環濠集落の跡が整備保存されていて、オープンミュージアムともいえます。発掘された住居跡やその復元竪穴式住居とその実物大構造展示、さらにはVRなどを使わずとも現地の空間に再現されるアクリル板展示などは秀逸です。
元は京都大学大学院農学研究科付属高槻農場だったところで、移転に伴って発掘調査がなされて遺跡公園となりました。住宅地で結構にぎやかな場所の真ん中に広大な公園が造られています。
京大の研究棟はそのまま保存されて、レストランや展示室、ワークショップや休憩室に再利用されています。レトロな牧場舎を思わせるような素敵な建物です。
また別の機会にピックアップしますが、少し離れた山の中腹には古代中国製の銘鏡が5枚出土して大騒ぎになった安満宮山(あまみややま)古墳もあります。ここは市営の大霊園の中ですので、お彼岸やお盆の時期はお参りの市民が多いと思います。普段は非常にひっそりとしていて、宮山古墳からは大阪平野が一望できます。
このように大阪府高槻市一帯は、弥生時代の早い時期から古墳時代、そして飛鳥時代まで、当時の中央から離れた特殊な古代文化地帯として栄えた場所です。
レトロな京都大学農学部高槻農場旧学舎を利用して展示室やレストランなどがある 建物は国の登録有形文化財/撮影:柏木宏之
他にも新池ハニワ工場(しんいけハニワこうば)公園なども数多くの登り窯跡が整備されていて一見の価値ありです。
明日香村のような有名な観光地ではありませんが、現代の人々が大勢暮らす街中に点在する遺跡群が高槻市にはあります。そのどれもがよく整備されていますので、ゆっくり学びながら巡ってみるのは楽しいと思います。
熱中症に気をつけて、この夏休みに学習を兼ねて遊んでも楽しいところですので紹介しました。