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(o_o) スマホカメラで目を撮影するだけで数分で新型コロナ感染検出 🇩🇪 210424

2021-04-24 00:39:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

スマホカメラで目を撮影するだけ、数分で新型コロナ感染を検出 ドイツのベンチャーが開発
 MEDIAN TALKS より   210424

 ドイツの医療ベンチャーが、スマートフォンのカメラで目を10秒程度スキャンするだけで新型コロナウイルスの感染を検出できるシステムを開発した。
 検出精度はPCR検査と同等で97%としており、現在ドイツでの承認手続きを進めているほか、各国での展開を視野に入れているという。

⚫︎非侵襲で結膜炎の有無をAIが判断、スマートフォン経由で検査結果を返信

 システムを開発したのはドイツの医療ベンチャーSEMIC RF社。
 新型コロナウイルス感染症は発症すると結膜炎が起きることが知られているが,同社は以前より研究していた,スマートフォンカメラの解像度で白色瞳孔の解析ができる技術を応用するかたちで開発した。10秒程度、200万画素以上のカメラで目をスキャンしたデータをサーバに送ると,サーバに搭載されているAIが3〜5分で検査結果を返す。左目をスキャンする方が精度が高く、検体を使用するPCR検査とも同等の感度97%を達成しているという。 
 なおデータの取り扱いについては、EUのGDPRデータ保護ガイドラインに適合しており個人データは転送されない。

 システムとしては100万人の利用者から同時にスキャンデータを送付されても対応できる仕様だといい、同社では大規模イベントや会議でも活用できるとしている。現在ドイツ国内での承認手続きに入っているが、国際特許を取得しており日本を含めた各国での展開を視野に入れている。

外部リンク:SEMIC RF/SEMIC EyeScan




👄 凄い。実際これが実用性高ければ…後は治療薬… でも本邦行政…
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⚠️🗾 ついに10年前倒しで年間出生者80万人われか⁈ 210423

2021-04-23 23:32:00 | ¿ はて?さて?びっくり!

ついに10年前倒しで年間出生者80万人割れか。浮かび上がって来た新勢力とは?
       SEVENTIE TWO より  210423   三浦彰

 本当に悪いニュースばかり続いて嫌になるし、それをこうして「報道」するのも気が滅入るが、現実を直視していただくためにはそれも仕方ない。
 最近ドキッとしたのは、4月21日に厚生労働省が発表した人口動態統計の速報値だ。
 今年2月の出生数は前年より10.3%少ない5万9789人だった。
 単月の出生者としては、2004年1月以降で最少だった。14.6%減だった1月に続き大幅な減少幅になった。
 昨年は5月の9.7%減が最大だったが、今年は2カ月連続の2ケタマイナスだ。通年の減少幅をみても、昨年は2月まで前年比2.9%だったのに対して今年は12.6%減の推移になる。

 原因は言うまでもなくコロナ感染拡大で、とても子作りどころではないということだろう。 トレンドやファッションがどうこう言う前に、なんと言っても消費を左右する最大要因は人口動態であるから、これはちょっと笑えない。
 昨年の出生者は87万2683人で過去最低だったが、このままいくと80万人を切る事態になるのではないだろうか。
 出生者予測で日本の出生者が80万人を切るのは2035年と見られていただけに、それを最低でも10年前倒しすることになる。

 これはちょっと衝撃的な「事件」である。すでに複数の民間調査研究機関では2021年出生者80万人割れの試算を公表している。
 日本の出生数のピーク第1次ベビーブーム(1947~49年)の1949年の約270万人に比べるとそのあまりの落差にいつもながら驚く。
 第一生命経済研究所の星野卓也氏によれば「コロナ感染拡大を契機に普及したリモートワーク、オンライン授業などはコロナ収束後も残ると考えられるが、これらは人同士が直接交流する機会を減らす側面がある。交流機会の減少が婚姻減少や出生減を招く形で出生数への影響が長期にわたるリスクがある」と警告している。 

 同感だ。リモートワークやオンライン授業が悪影響をもたらさないわけがない。暗澹たる気持ちである。 
 YouTubeで日本総合研究所の寺島実郎会長が登場する「世界を知る力」という番組を見ていたら、IMFによる「世界経済の見通し/実質GDP成長率」の表が映し出されていた。
 今年1月発表の数字が4月に修正されているのだが、特に注目は、中国とインドだろう。コロナ感染の一早い収束国になった中国は、2020年成長率が2.3%、2021年成長率8.4%という高い水準の年間成長率予想。
 それ以上の驚きは2021年成長率-8.0%のインドの2021年成長率が12.5%!!何かの間違いではないのかと思う。
 一人っ子政策のツケで2029年人口ピークで人口減少傾向がちらつき始めている中国に比べて、インドでは人口増加が続き早ければ2022年、遅くとも2027年には世界一が予想される。
 このコロナウイルスを吹き飛ばすような復元力の凄まじさも人口増加を背景にしたものである。米国対中国の対決がクローズアップされる最近だが、どうも10年後を見据えるとこのインドが間違いなく、この2強に加わって来ることが確実な情勢のようだ。 
 それはともかく今回のコロナ禍は人口急減の日本の衰退をさらに早めることになりそうである。
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🌏 日本発の loT 通信規格が正式に国際標準に  210423

2021-04-23 21:51:00 | 気になる モノ・コト

日本発のIoT通信規格が正式な国際標準に
  JB Press より   210423  栗原 雅

 IoT機器が本格的に普及すると、現状のインターネットの通信規格では不都合な面が現れる。
 その問題解消の切り札となる日本発の規格が、正式な国際標準になった。
 2020年11月に国際規格「ISO/IEC 30161:2020」*1として発行された「IoT Data Exchange Platform(IoT DEP)」である。
 IoT DEPの国際規格策定に向けたプロジェクトを率いてきた金沢工業大学電気電子工学科の横谷哲也教授*2に、新規格が必要とされる背景と解決方法、今後の展望を聞いた。

 現状のインターネットの通信規格に比べた、IoT DEPの利点を簡単にまとめると次の通り。 ・DNSサーバーへのアクセスが不要
・ヘッダー情報が少なく通信データ量が小さい
・その結果、遅延が少ない
・既存ネットワークと共存可能

*1 https://www.iso.org/standard/53281.html
*2 横谷哲也研究室 https://kitnet.jp/laboratories/labo0183/

⚫︎DNS不要、軽量ヘッダーで遅延も短縮
――IoT DEPがなぜ必要なのか、現状の課題をどう解決するかを簡単に教えてください。

 IoT DEPは大量のIoTデバイスとサーバーとのデータ通信を担う、新しいデータ交換プラットフォームです。IoTがさまざまな用途で普及した際に想定されるネットワークの課題を解決します。

 現在のインターネットの通信方式だと、IoTデバイスのようなクライアントがサーバーと通信するとき、サーバーの住所に相当する「IPアドレス」を知る必要があります。そのためには、サーバーのドメイン名からIPアドレスを特定する「DNS(Domain Name System)」機能を利用しなければなりません。
 IoTが浸透して膨大な数のセンサーがデータを発生させるようになると、サーバーへの接続のためにDNSへのアクセスが集中します。こういう状態になると、処理の遅れなど通信に支障をきたすことは想像に難くありません。IoT DEPはそうした事態を招かないようにする方策を提供します。

 IoT DEPの大きな特徴は、ICN(Information Centric Network、情報指向ネットワーク)という技術を採用した点です。ICNはネットワークでやり取りするデータに「名前」を付与しておき、その「名前」を頼りにデータにアクセスします。IoTデバイスからサーバーに接続する際にDNSを利用する必要がなく、DNSの負荷増大などを心配する必要がなくなります。

⚫︎IoT DEP策定を中心となって推進した金沢工業大学の横谷哲也教授
 ICNによって、送受信するデータの軽量化も期待できます。一般的にIoTデバイスの通信は、1回のデータ量が小さい一方、回数(頻度およびデバイス数)が多いという特徴があるので、データの軽量化はネットワーク負荷軽減の観点で有効です。

 現在のインターネットで一般的に使われているHTTP(Hypertext Transfer Protocol)で転送されるデータは、データ本体とは別に、接続先のURL、通信プロトコルやブラウザの種類、OSなどに関する多くの付加情報を記載した長いヘッダーが含まれています。これに対してICNのヘッダーはデータの「名前」など少ない情報で済むからです。

――どれほどの軽量化が見込めるのでしょうか。

 たとえばセンサーが1回に送信するデータが100バイト程度だとすると、HTTPを使うケースと比べ、データ量が5分の1程度に小さくなります。

 DNSの処理がなくなることと、ヘッダーの軽量化が図れることで、通信の遅延も改善されます。通信の遅延はネットワークやサーバーの性能に依存する部分も少なくないので、ICNの有効性を定量的、確定的に示すのは難しいのですが、参考となる数値があります。
 研究室でIoT DEPの小規模なシステムを使って検証したところ、ICNでデータ通信した際の遅延時間は、HTTPで通信する場合の10分の1ほどに短縮されました。

⚫︎既存のインターネットインフラと共存できる
 IoT DEPにはもうひとつ重要な特徴があります。既存のインターネットインフラと共存するかたちで、IoT向けのネットワークを構築できることです。

 国際標準化を推し進めるにあたりまず、何らかの形で通信網を活用しているさまざまなサービスを洗い出して現状を分析しました。すると、現行のサービスのうち40%以上が広域のパブリックネットワーク、すなわちインターネット経由での提供を想定していることが分かりました。

 IoT関連のサービスがこれから伸びるとはいえ、多くのサービスに浸透している既存のインターネットインフラを置き換え、IoT専用のインフラを整備するのはあまり現実的ではありません。そこで、既存のインターネットインフラを生かしつつ、IoTが直面するであろう通信の課題を解決するという考えでIoT DEPの規格を詰めてきました。

 IoT DEPを実現するミドルウェアは、TCP/IPなど既存のインターネットインフラの上で稼働させます(図)。そうすることにより、同じインターネットインフラ上で、HTTPなどを用いる既存のサービスとIoT関連のサービスの共存を可能にしています。

図 IoT DEP機能(青色部分)の実装方法

 センサーなどのIoTデバイスからデータを送信するとき、ヘッダーにIoT DEPのIPアドレスを記載しておけば、それを受け取ったIoT DEPがサーバーとの接続を制御します。

⚫︎2022~2023年に本格的実証実験を目指す
――一口にIoTと言ってもその内容は多岐にわたりますが、特にIoT DEPに適している用途はありますか。

 軽いデータと低遅延というIoT DEPの二つの特徴を踏まえれば、やはり、センサーが短い間隔で発する小容量のデータを低遅延で伝えるような用途に向いていると言えます。自動車の自動運転をはじめとするセーフティドライブや、制御機器など多くの設備が稼働している大規模工業プラントの稼働監視などは、IoT DEPに適した用途の代表例でしょう。

 たとえば、大規模なプラントにたくさんのセンサーを設置して設備の稼働状況を監視し、一定間隔で稼働状況を示すデータを集める。こうしたケースでは一般に、センサーは100ミリ秒から5秒ぐらいの間隔でデータをサーバーに送ります。プラントの隅々までを監視するのに必要なセンサーの数は1万個を超えるでしょうが、センサーから送るデータのサイズはせいぜい200バイト程度と小さいです。このような場合にIoT DEPの利点を享受しやすいと考えられます。

――IoT DEPが実際に使われ始めるのはいつ頃になるでしょうか?

 ICNでデータを送受信するには、IoTデバイスとサーバーとの通信経路の制御を担うルーターのような装置が必要なのですが、その装置1台で構成したIoT DEPの実証実験は2021年中に実施できる見通しです。実証実験に使う設備のプロトタイプはすでに大学の研究室で用意してあります。

 複数の装置でIoT DEPを構成し、プラントの稼働監視などを想定した本格的な実証実験に乗り出すには、もう少し時間がかかりそうです。協働して実証実験に臨むパートナー企業を探し始めていますが、実施は2022年か2023年頃になるでしょう。

 実証実験のパートナー企業探しと並行して、IoT DEPのミドルウェアの仕様も詳細に詰めていかなければなりません。さらに、国際機関でセンサーデータの標準化に取り組んでいる小委員会など、他の標準化グループとも連携しながら、IoT DEPをより使い勝手の良い規格に発展させていきたいと思います。



※※※※※※※※※※※ 追補 読売新聞 より 210424   ※※※※※※※※※※※

【独自】「5G」の先へ、NTTと富士通が提携…次世代通信基盤「アイオン」開発

 NTTと富士通が、次世代の通信ネットワーク基盤の開発に向け、業務提携することが分かった。普及しつつある高速・大容量通信規格「5G」の先を見据えたものだ。通信分野では、海外勢との競争が激化している。日本企業の技術を結集することで、国際競争力を高める狙いがある。

 週明けにも発表する。

 NTTが、2030年ごろの実用化を目指している光技術による通信基盤「IOWN(アイオン)」の開発に、富士通が協力することが柱となる。アイオンは、既存の技術と比べ、情報の伝送量が125倍となる一方、消費電力は100分の1に抑えることができる。政府が推進する「脱炭素化」への貢献も期待できる。

 アイオンの実用化には、新技術を搭載できる様々な関連部品の開発が必要となる。NTTは子会社を通じ、半導体設計に強みを持つ富士通の子会社「富士通アドバンストテクノロジ」に約67%出資。同社の持つ技術を最大限活用する。
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👫…平等院…宇治橋商店街… 210423

2021-04-23 18:54:00 | 📖 日記
👫…右岸堤防道…宇治橋…平等院参道…平等院💠🍵📕…平等院参道…宇治橋商店街⇅(はりよし🍗…アプロ🌮…)…宇治橋…右岸堤防道…戦川沿…>
🚶‍♀️10337歩

🌤:初夏の暖かさ
卍平等院:💠藤棚&躑躅見頃:宝物館:初公開/聖徳太子2歳像◎,飛天像◎
 鳳凰堂は絵になる。 昨年はコロナ禍で藤棚の藤が無念な剪定…
  そういう意味でホッとする光景、見事で見頃。新緑青紅葉も映える。
   藤棚と宝物館と鳳凰堂をじっくり拝観。
 茶房藤花🍵  唯のんびりと。抹茶も煎茶も美味。













鳳凰堂西側

同 北側



17:55 十二夜月🌔月齢11.3




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📙 お寺は 日本を知る 最強パワースポットだ  210423

2021-04-23 08:08:00 | 📗 この本

お寺は「日本を知る」最強のパワースポットだ! 『お寺の日本地図』(鵜飼 秀徳)
  本の話 より  210423 鵜飼 秀徳

『お寺の日本地図』(鵜飼 秀徳)
 本書は「一都道府県につき一つの寺院」を紹介した、ユニークな仏教書である。

 世のなかには、京都や奈良の名刹を紹介したガイドブックや、著名な著述家が訪ね歩いた「巡礼本」は存在する。だが、そこに登場する寺院は、観光的要素の強い「名刹中の名刹」を紹介したものがほとんどだ。

 本書は京都であろうが、奈良であろうが、あえて「一カ寺」を選び、その歴史と地域性などを紐解いた。一見、強引にも思えるかもしれないが、それは、まんべんなく日本の寺院を俯瞰することで、「寺とは何か」「日本人とは何か」を浮き上がらせることを本書の目的としているからである。

 現在、大学や仏教教団の研究所などにおける「教学」の研究者は厚く存在する。「仏教学」や「宗学」と呼ばれるジャンルである。しかし、「寺院学」という学問は存在しない。寺院の調査・研究は等閑になっているのだ。

⚫︎ 日本の寺院のことを、少し数字でみてみよう。
 日本には七万六九七〇もの仏教寺院が存在する。そうした個別の寺院を傘下にもつ「天台宗」「浄土宗」「曹洞宗」「臨済宗妙心寺派」などといった宗門(包括宗教法人)は167(※1)ある。

 それがどれだけの規模感であるかは、次の公共的要素の高い施設の総数と比べてみてもらえればわかりやすい。たとえば、
交番:六二六〇(※2)カ所、
郵便局(直営):二万一四一局(※3)、
コンビニエンスストア:五万五九二四店(※4)
学校:五万六九一二校(※5)、
歯科診療所:六万八一四八施設(*6)である。

 こうした公益性の高い施設はソーシャルキャピタル(社会関係資本)とも位置付けられる。寺院もソーシャルキャピタルなのだ。

 寺院のもつ最大の分布特性は、「人口の多寡にかかわらず、どの地域社会にも存在する」ことだ。離島を除く市町村単位で寺院が存在しないのは、廃仏毀釈で地域すべての寺院が破壊され、今もって復活していない岐阜県東白川村のみである。

 諸説あるが、江戸時代には現在よりももっと多く、九万ほどの寺院数があったとみられる。(※7)ここまで寺院のネットワークが広がっているのは、江戸時代に徳川幕府が敷いた寺檀制度が背景にある。幕府はキリシタン禁制を目的として、全国の村ごとにまんべんなく寺を配置した。そしてムラやイエ単位で寺院は維持されてきたのである。

※1 文化庁編『宗教年鑑 令和二年版』 ※2 警察庁『地方制度調査会専門小委員会における質問事項に対する回答について』2018年10月
※3 日本郵便『郵便局局数情報』2021年1月31日時点
※4 一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会『JFAコンビニエンスストア統計調査月報 2020年12月度』2021年1月20日発表
※5 文部科学省『文部科学統計要覧 学校教育総括(令和二年版)』。国公私立の幼稚園・小学校・中学校・高等学校・専門学校・大学・各種学校などすべての学校
※6 厚生労働省『医療施設動態調査(令和2年10月末概数)』
※7 平泉澄『中世に於ける社寺と社會との關係』(至文堂、1926年)

⚫︎日本仏教史からみた寺院
 ここで本書をより読みやすくするために、ざっと日本仏教史の流れを振り返ってみよう。

 仏教が伝来したのは五三八年(別説では五五二年)のこと。百済の聖明王が欽明天皇に宛てて、一体の仏像(一光三尊阿弥陀如来像)と経典などを贈ったことが始まりである。この時の「一光三尊阿弥陀如来像」を祀っているのが、信州随一の名刹、善光寺(長野県・善光寺の章を参照)だ。

 当時、日本には土着的な神道(古神道)が根付いていた。仏教受容を進めたい当時の豪族、蘇我氏と、外来宗教を排斥したい物部氏の間で激しい崇仏論争が始まる。結果、聖徳太子が率いる蘇我氏が勝利して、わが国において仏教が根を下ろすのである。このときの仏教は権力者のための信仰であると同時に、当時の最先端の外来文化であり、文明だった。

 奈良時代には鎮護国家仏教の名の下に、南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)が立ち上がる。しかし、学問的要素が強く、民衆に寄り添うことがなかったため次第に衰退。現在では法相宗、律宗、華厳宗の三宗しか残っていない。奈良仏教は基本的には超エリートの宗教だったのである。

 そうした中、法相宗の僧侶、行基は民衆救済のための遊行に出る。行基が開いた寺院は畿内を中心に四〇余り(『続日本紀』)とされ、本書で紹介した岩手の黒石寺や佐賀の大興善寺など、開山を行基とする寺院は多い。

 平安時代には最澄、空海の二人の天才が唐に渡って密教を修得する。帰国後、最澄は比叡山にて天台宗を、空海は高野山で真言宗を開く。奈良時代に登場した役行者(役小角)が始めた修験道が各地で信仰されるようになったのもこの頃である。

 つまり、日本の各地に広く仏教が伝えられたのは、平安時代以降のことだったといえる。本書に登場する「その地域で最も歴史のある寺院」の多くは、平安期の修験道や天台宗、真言宗の広がりに由来している。しかも、そのほとんど全てが、わが国の土着の古神道と一体となった「神仏習合寺院」なのだ。庶民信仰という意味では、この時期にこそ「日本仏教が始まった」と考えることができそうだ。

 この頃、同時に仏教信仰を強固なものにした出来事がおきた。平安時代後期、にわかに広まった末法思想である。末法思想とは、釈迦の入滅一五〇〇年後(別説では二〇〇〇年後)、仏の正しい教えの効力が失われ、世の中が混乱し、退廃してしまうなどという終末論のことである。

 末法思想はその後の鎌倉新仏教の誕生に大きな影響を与えた。「日本仏教の母山」と呼ばれる比叡山延暦寺で学んだ法然や親鸞、栄西、道元、日蓮らが新たな宗派を次々と開き、「祖師」「開祖」と呼ばれるようになったのだ。その後、祖師を継いだ有力な後継者や弟子たちが各地で布教を展開。現在の仏教分布に大きな影響を与えている。

 例えば北陸は、浄土真宗を開いた親鸞の嫡流、蓮如が一五世紀に越前吉崎に赴き、布教の本拠地としたことで今でも「真宗王国」と呼ばれる浄土真宗の一大勢力となっている。

 また、千葉県では日蓮宗寺院が多いが、それは日蓮の直弟子日進が法華経寺(千葉県・法華経寺の章を参照)を拠点に、上総や下総で大布教を展開した影響である。

 現在、寺院数の上で最大勢力を誇っているのは曹洞宗(約一万四五〇〇カ寺)である。曹洞宗の寺院は東日本、とりわけ北海道・東北に教線(布教の範囲)を拡大した。その理由について、『曹洞宗宗勢総合調査報告書 二〇一五』では、〈現在の曹洞宗寺院の多くは、一五世紀中頃以降に開創されたものが大多数を占めるが、それは当時、新興勢力として台頭してきた在地領主である『国衆』が領有する発展途上の村落に展開した。商工業が発展し、多くの人々を引き寄せる都市部においては、他派の教線が入り込んでいたためであり、曹洞宗寺院はその間隙を縫って、その数を飛躍的に増加させていった歴史的経緯がある〉としている。

 さらに、戦国時代を迎えると、各地の戦国大名の庇護を受けた寺院が、その地域で力を持つようになった。たとえばこの頃、江戸に入った徳川家康は東京・芝の増上寺の法主、存応に深く帰依し、菩提寺とした。そのことで増上寺は徳川将軍家歴代の墓所となり、江戸では浄土宗寺院が勢力を拡大する。現在でも都内には浄土宗寺院が多い。家康のブレーンだった天台宗の僧、天海が三代将軍家光の時代に創建した寛永寺も同様に将軍家の菩提寺となり、江戸時代は関東では浄土宗と天台宗の勢威が高まった。

 しかし、明治維新の時、日本仏教界最大の法難が訪れる。新政府が出した神仏分離令に端を発した仏教への迫害、廃仏毀釈である。鹿児島県では寺院が一つ残らず打ち壊され、宮崎県や高知県でも大方の寺院が消滅した。廃仏毀釈の影響は凄まじく、約九万カ寺あった寺院がわずか数年の間に半減したとも言われている。今でも鹿児島県、宮崎県、高知県に寺院が少ないのは廃仏毀釈の影響である。

 特に鹿児島県では江戸時代の寺院分布が完全にリセットされた。廃仏毀釈の嵐が止んだ後、この寺院空白地帯において浄土真宗が大布教を開始。現在、鹿児島県内では八割以上が浄土真宗系寺院となっている。

 以上のように日本仏教の歴史を俯瞰してみるだけでも、地域の信仰のあり方の一端を垣間見ることができる。

 寺院は地域社会の隅々にまで、染み込むように入っていった。京都や鎌倉などにある宗門の本山詣り、初詣や節分会などの年中行事、四国遍路などの巡礼、あるいは現代では御朱印集めや仏像鑑賞を目的とした寺巡りなど、地域を越えて生活や文化的習慣に強く影響を与えてきた。寺院を広い視野で学ぶことは、「日本人とは何か」に迫ることでもある。

⚫︎お寺の歴史は「謎」だらけ?一方で,寺ほど謎めいた存在は,そうはない。

「いつからこの寺があるのか」「なぜ、この地域に寺がひしめいているのか」「開山からどういう変遷を辿ってきたのか」「誰も住んでいない山奥に巨大寺院があるのはなぜか」「なぜこの宗派なのか」「本堂の規模に比べて本尊がとても大きいのはなぜか」──。

 実際、多くの住職は自坊の縁起(起源や歴史的経緯)を分かっていない。私も京都の浄土宗寺院に住持しているが、ここ半世紀ほどのことは分かるが、戦前のことともなれば、何も知らないに等しい。

 京都には清水寺や東西本願寺、知恩院、天龍寺、東寺、妙心寺などの古刹名刹がひしめいているが、多くの文献が残るそうした名刹さえ、伝承(口伝)と史実が混在しているのが実情である。

 その理由は、いくつかある。例えば、寺の開山があまりにも古く、当時は記録媒体そのものが存在していなかったケースである。

 仏教の伝来は六世紀半ば。文書などによる記録が生まれるのがどんなに早くとも八世紀以降である。現存する寺院に残る寺伝文書の類の多くは、せいぜい江戸時代に入ってからだ。

 さらに寺の主や場所、さらには宗派さえ変わってしまうケースも少なくない。浄土真宗を除いて寺の住職が世襲されるようになるのは、実は明治以降のことだ。寺によっては政治的な影響を受けて宗派の兼務や転向、廃寺命令が下ることも珍しくはなかった。そのため寺伝がきちんと継承されておらず、それ以前の歴史が不明になっているケースが少なくない。

 次に、度々の戦火で焼かれているケース。これは京都や東京などの都市部でよくみられる。戦国時代以前は特に、寺院自体が軍事的にも力を持っていた。戦火に巻き込まれるどころか、戦いの主体でもあったのだ。寺院同士が武力で戦う場面もあった。一方、太平洋戦争では東京などの多くの都市が空襲に見舞われてもいる。

 また、落雷による火災もしばしば起きていた。五重塔を思い浮かべればわかるが、近代以前、寺院は最大の高層建築でもあった。避雷針が大規模建築物に取り付けられるようになったのが明治以降のことである。

 さらに、明治初期の廃仏毀釈でかなりの割合(一説には五〇%)の寺院が破壊されたこと──などが理由として挙げられる。

 このように、古代・中世からの縁起をもつ寺院で、創建からそのオリジナルの姿を維持している寺院はまず、存在しないといっていいだろう。

 また、とくに宗教にはありがちではあるが、歴史が「理想化」されて伝わっている点は厄介だ。

 本書でも、寺をひらいた人物として登場する“定番”が「聖徳太子(厩戸王)」「行基」「坂上田村麻呂」「役行者」「円仁」らである。

 特に存在感が大きいのは第三代天台座主の円仁である。九世紀、中国の五台山で密教を会得し、没後に「慈覚大師」の称号が与えられた円仁が開いたとされる寺は、北は北海道、南は鹿児島まで存在する。円仁開山の寺の数は全国に六〇〇カ寺を超えるとも伝わるが、実際はそのほとんどが後世の「勧請開山」(弟子らが師僧の名前を借りて寺を開くこと)とみられる。

 むろん、そうした聖者が本当に開山したものも混じっていることは確かであるが、それを検証する材料は乏しい。本書の記述では「伝承である」「想像の域を出ない」などと添えた上で、史実と区別して書き添えていることをお断りしたい。

 特に地域社会において、長きにわたってその寺院がどんな役割を果たしてきたのか。地域の信仰形態や文化、生活習慣にどのような影響を及ぼしてきたのか。本書はそうした社会と寺院との関係性を可能な限り取材した上で、先述のような「なぜ」に迫る。

⚫︎お寺選びの基準
 本書に登場するのは実際に私が四七すべての都道府県に入り、取材した寺である。そのセレクトについては私の主観の部分も多いが、一定の基準も設けた。それは、

(1)日本古来の宗教観を知るに十分の縁起を有していること(ある程度の記録が残っている) (2)地域性をよく表した寺であること
(3)日本仏教史のターニングポイントとなった寺院であること
(4)地域文化やライフスタイルに影響を与えた寺院であること
(5)地域に現存する最古の寺を検討したうえで、新旧・宗派などのバランスをとる
(6)当該寺院を参拝するためにわざわざ訪れる価値のある寺院であること
(7)読者に紹介するに値する佇まい、境内環境、住職の人柄等が整っていること
(8)一生に一度は参拝したい寺院であること

 である。あなたは、これらの地域を代表する寺院の中で、いくつの寺を知っている、あるいは参拝したことがあるだろうか(一〇カ寺以上参拝していれば、あなたはかなりの寺院通といえるだろう)。

「寺院とは何か」。その先に見える「日本人とは何か」。本書を通読していただければ、その輪郭がくっきりと見えてくるはずである。

(「はじめに」より)
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