三重県 伊賀市寺田 大光寺北向三体地蔵石仏
寺田の東南、丘陵上に大光寺がある。西大寺末寺帳に載る伊賀における筆頭末寺であった大岡寺に比定されており、現在は、真言宗豊山派で山裾の毘沙門寺の奥の院のように扱われている小宇があるだけだが、丘陵上にはかなり広い平坦地があって相当規模の伽藍であったらしい。毘沙門寺から奥の院である大光寺に向かう山道を爪先上りにしばらく登っていくと右手に大きな花崗岩があり、地蔵石仏が彫ってある。正面側の平坦面中央を137cm×70cmの横長の隅切長方形に彫りくぼめ、二重円光背に単弁八葉の頭光のレリーフを背にした同一デザインの地蔵菩薩坐像三体を並べて厚肉彫する。注目すべきは蓮華座で、平面六角ないし八角の框部上を複弁反花で飾り、正面と左右3箇所に小さい雲形文を付した敷茄子を挟んで覆輪付単弁請花座という構成で、右手に錫杖を斜に握り、左手は掌を上にして膝上に置く。左手には宝珠は見られない。お顔の表現も優れ、体躯のバランスがよい。衣文も木彫風で、とりわけ中尊の面相は眉目秀麗である。先に紹介した寺田地蔵堂地蔵石仏よりひとまわり大きいが、凝った蓮華座や像容の特長は瓜二つである。しかし、よく見ると①框部側面を二区としている、②覆輪付単弁の請花座が魚鱗葺となっている、③頭光の蓮弁が覆輪のない単弁である点に相違がある。複弁反花や衣文の表現がやや硬いところから、北向三体地蔵石仏のほうが若干新しいとされているが、寺田地蔵堂地蔵石仏と概ね同じ時期、つまり鎌倉末~南北朝初め14世紀前半から半ば頃の造立とされている。隅切長方形に彫りくぼめた龕部に体躯のバランスの優れた眉目秀麗な三体の尊像を、写実的に厚肉彫りする手法は、上野の市街地を挟んで西南にある徳治元年(1306年)銘の花之木三尊磨崖仏(岩根の石仏)に通じる。小生はとりわけその面相に共通の意匠を見て取るのだがいかがであろうか。花之木三尊磨崖仏では地蔵菩薩が阿弥陀、釈迦の二如来と同列に配されており、やはり地蔵信仰の強さを示すものと見てよいと考える。なお大光寺から南に少し下った服部川沿いの岩壁には鎌倉中期とされる阿弥陀三尊を中心に不動、地蔵等から構成される立派な磨崖仏があり、中之瀬磨崖仏と呼ばれる。また、毘沙門寺境内にも、塔身に胎蔵界四仏の種子を刻んだ鎌倉末期頃の宝篋印塔、江戸時代に後補部材を交えて再建された南北朝ないし室町初期ごろとされる巨大な宝篋印塔の残欠がある。
参考:川勝政太郎 『伊賀』近畿文化社近畿日本ブックス4 71~72ページ
清水俊明 『関西石仏めぐり』 176ページ
中淳志 『日本の石仏200選』 33ページ
平凡社 『三重県の地名』日本歴史地名体系24 814ページ
ほの暗い木陰にあって、北向といわれる光線の加減もあってか、数回訪れて、なぜかいつもいい写真が撮れません。いや腕のせいかな、やっぱり・・・。悪しからず。